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蘇我入鹿が「遣唐使」を提案するが、歴史上は628年唐が中国を統一、630年宝皇女立后、犬上三田鍬、恵日らが遣唐使として派遣されている。
遠山美都男氏の「通説を見直す日本古代史の読み方」によると「鎌足は蘇我入鹿の最近の行動に危機感を募らせていたのであった。このまま放置すれば、入鹿は遠からず天皇家に取って代わろうとするのではないか。(中略)すると、蹴鞠を楽しむ貴公子の中に中大兄の姿を発見する。なんという偶然か。と思う間もなく、鎌足の足許に勢いあまって中大兄の沓が落ちた。鎌足はそれを拾い上げると、中大兄に近づき恭しく献じた。」
いや待て!作品上の男は中臣鎌足(後の藤原鎌足)ではなく、百済王子の豊璋ではないか!!さあ、お話はどのように展開していくのか、たのしみだ…
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2016年08月25日
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中大兄王子と蘇我入鹿のツーショットだが乙巳の変(645年)の正月と設定されているが、入鹿は若くとも35歳(推古18年・610年が誕生年)と言われており、この二人が同年代とは少し無理があるようだ。中大兄王子(後の第38代・天智天皇)は推古34年(620年)と言われ、25歳前後なのだ。
そして、百済の豊璋(生年不明)の渡来は舒明3年(631年)とされており、一説には百済の「大乱」後、皇極元年ともある。この「天智と天武」では豊璋の活躍ぶりが興味ふかいのだ。
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