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買うまいぞ、買うまいぞ…(いつの言葉か、はたまた歌舞伎か浄瑠璃か?)と念じていたにも関わらず、水木しげるの名だけで買ってしまったのだ。2015年8月15日号オリジナル増刊号、水木先生の「人間玉」、99年別冊ビッグの再録だが、読んだ記憶がない。たぶん、今回8頁中、4頁がカラー化されたのでは、と勝手に解釈いたしたが…水木先生の戦争物については、大いに感動、感銘される。
他の作品、とりわけ、コラム記事は一読の価値あり!
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トキワ荘
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後書の最後に何度も再生するとの結びは、まさにその通りだった、スマップのメンバーで実写化もされたのだ、ニンニン!
光文社文庫 「少年」傑作選第5集 1990年1月20日
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A氏の描く女性は私の大好きなキャラクターだ。目元パッチリ、口元スッキリ、なにより優しく、聡明なのだ。
光文社文庫 「少年」傑作集 第5巻
少年画報社 「まんが道」 第9巻
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「忍者ハットリくん」第1話の2〜3頁、現在と違い、大コマは使わず、4段組みの見やすい割り付けだ。コマの外枠も適度に省略、背景も最初は細かく描いているが、以降は省略し、登場人物に視線が集中するようにと、なかなか小気味良いのだ。
A氏(安孫子素雄 あびこ もとお)の手記だが、なかなか興味深い。1960年ごろは「漫画家」などは全く知名度が無く、肩身の狭い思いだったのだ。石森章太郎は自分の名刺には名前とトキワ荘の住所だけしか印刷されておらず、もちろん電話なんかは持てるはずがないのだが、肩書を印刷することを憚かったのだから。電話はアパートの前の公衆電話ボックスから架けていたのだ。
そういえば、A氏の代表作の「まんが道」には聡明な女性が出て来るのだが…
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1968年3月号でその幕を閉じた光文社の「少年」、数多くのヒット作を生み出し、多くの少年の心を捉えたのだ。藤子不二雄も「怪人二十面相」「シルバークロス」「シスコン王子」という作品後、64年11月号から「忍者ハットリくん」を連載する。
少し詳しく記してみると、59年少年サンデーの創刊に伴い、手塚治虫と並んで、「海の王子」というSF海洋アクションでメジャーデビュー、もちろん合作だが、61年4月2日号で終了する。その年、トキワ荘を出て、川崎市に転居。63年にスタジオ・ゼロ設立、その間、合作は「海の王子」の読み切りなど僅かだ。64年ライバル少年マガジンを恐怖に陥れた「オバケのQ太郎」を連載するが、人気なく約4か月で終了、しかし、天は見はなさなかった!のだ。連載終了後、読者からのオファーが日増しに多くなり65年連載再開、アニメ化に合わせ、日本中大フィーバーとなった。スタジロ・ゼロの運営資金として描かれた作品で、ゼロのメンバー、石森章太郎、つのだじろうも持ち回りでペン入れしたのだ。合作は実質のところ、これが最後になった。
藤子・F・不二雄jはQ太郎中心に学年誌で活躍、一方藤子・不二雄Aは独自路線を歩み始めるのだが、64年には少年、ぼくら、まんが王、少年マガジン、少年キングに連載、冒険王、週刊マーガレットまで大活躍するのだ。その中でも、「少年」の「忍者ハットリくん」は大ブレイク、66年には実写化された。
90年に発刊された光文社文庫「『少年』傑作集第5巻 忍者ハットリくん ほか」
より
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