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ガロCOマン派宣言

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 藤子不二雄Aの「愛…知りそめし頃に…」に永島慎二の登場する場面がある。手元には単行本が無いので具体にお見せできないのが残念だが、もしお持ちであれば見て頂くといいが、主人公の満賀が手塚治虫のアシストを頼まれ、たぶん旅館だったと思うが、行ってみると、もう一人のアシストがいてその青年の名前が永島慎二だった、そして仏像の絵を上手に描いたという内容だ。これは事実で、その根拠はというと…イメージ 1
 
 おなじみの講談社手塚治虫全集№68の「丹下左膳」の「あとがき」に手塚が記述しているが、「仕事の後半の追い込みになると、手伝いの別の人の筆がはいってきます。なかったのは『弁慶』くらいのものです。で、呼び出されたのが永島慎二さん、もちろん、まだほとんど新人のころでした」とある。
 この作品は集英社の1954年12月号「おもしろブック」付録に掲載されたものだ。その仏像の絵とは…
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 ただ、藤子不二雄Aが本当にアシストしたかは不明だ。なにぶん「まんが道」「愛…知りそめし頃に…」はフィクションなんだから。
 54年には永島と藤子(正確には安孫子素雄)だが、二人の藤子が両国から椎名町に転居したきたのが54年10月30日(トキワ荘物語 COM69年12月号)と描かれている。たぶんこのすぐ後くらいに安孫子がアシストに行ったことになる。しかし、「愛…知りそめし頃に…」にはこのエピソ−ドのみだけだ。
 手塚と永島の出会いについてご存じの方がおられたら、ご一報を。ただ、この「丹下左膳」の続編の話があるのだ。乞うご期待!
 
 漫画界の七不思議をこれから探っていこうと思う。
世界七不思議を知っていますか?また、それを提唱した人物を知っていますか?
ここでは漫画界の七不思議を取り上げたいと思う。まず、第1番目は……
 
 「永島慎二はトキワ荘に行ったことがあるか?」 その1
 
 この疑問の源はwikpedia「ウィキペディア」の以下のような記述である。
 
 その後、『トキワ荘』に出入りするようになり手塚治虫の面識を得て、
 
 手塚のアシスタントとなる。
 
 この記述については根拠となる資料が明示されていないので、憶測で書かれたかも知れない。というのも私の少ない読書量で威張ることはできないが、まったくその事実がどこにも出てこないのである。長谷邦夫先生、哀れな私を助けると思ってお力をお貸しください。
 1972年に青林堂から発刊された豪華装丁の「フーテン」上巻に永島慎二の「非小説 白菊」が掲載されており、本人の14歳の春の頃からの話が詳しく書かれている。勘当同然で家出し、中学の友人に家を借り、豆腐を売りに歩き、その稼ぎで生活を支え、好きな漫画を描いた。当然中学は自主退学した。1952年初夏、最初の単行本「さんしょのピリちゃん」が発刊されたのは最愛の妹が死んで半月もたたない8月の初めだった。
 wikpedia「ウィキペディア」では、この後に「その後…」と続くのである。しかし、何の根拠を示さずに、憶測で書いていいのだろうか?もし、どなたでも結構ですから、何かご存じであればご教授をお願いしたい。
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 1955年正月に遊びにきたつげ義春とのツーショット
 いろいろ考えたが、これからは「ガロ」「COM」「マンガ少年」を相互に関係付けながら、あれこれと記述をしていくことに決めた。今風に言うと「リンク」された「コラボレーション」とでも???
 まず、宣言するにあたって「新約聖書」に位置する本はというと第1は講談社の「ガロ『COM』」漫画名作選①②(2012年12月6日第1刷)の2冊を推薦図書とする。
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 「ガロ」は1964年7月に創刊号(9月号)が発刊され、「COM]は1966年12月に創刊号(67年1月号)が発刊された。およそ64年から71年の8年間に発表された作品の紹介、記事、そして広告と編集されており、なかなか纏まった本となっている。とうぜん「旧約聖書」にあたる原作を読んでいる方には物足りないかもしれないが。
「ガロ」は71年12月号で本誌、増刊号合わせてちょうど100冊、「COM」は71年12月までに本誌58冊発刊されていることも付記したい。
 「ガロ」の主軸になった白土三平の「カムイ伝」は第4号の64年12月号から連載が開始され、途中5回休載されながら、第74話71年7月号で終了した作品である。最後の頁に三部構成と記述があり、第二部は弟の岡本鉄二が描いたが、第三部は未だ連載が開始したかどうか定かではない。一方「COM」は手塚治虫の「火の鳥」を主軸に永島慎二、石森章太郎の三大作家でスタートを切るが、最後までの連載は手塚のみであった。永島慎二は「青春残酷物語」シリーズとして3話の「読み切り」そして67年4月後から代表作となった「フーテン」の連載を始めるが春の章7話、夏の章4話で休載してした。また、石森章太郎は新境地を開拓したファンタジーの「
ジュン」を創刊号から26話69年2月号まで連載するが、大先輩の手塚治虫のやきもちからでた批判により、休載に至った。しかし67年10月から「サイボーグ009 神々との闘い」を12話70年12月号まで連載するが、難解と読者・編集者から指摘があり、作者不本意ながら終了せざるをえなかったのである。

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