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雑誌COMに創刊号から青春残酷物語として短編3話、4月号からその4話目として描かれたフーテンだが、翌68年1月までと3月で全11話で休載、作者のダンさんこと永島慎二は半年間NYに行ってしまった。
69年6月10日号のプレイコミック誌上再録で連載が開始され、12月13日号から新作で続編がはじまった。これのいきさつはまたいつか機会があれば…
70年10月号にダンさんの「長嘆息」が載りました、画が描けなくなったとのこと。
虫プロのCOMは手塚治虫、永島慎二、石森章太郎の3本柱でスタートしたが、「ジュン」の休載、「サイボーグ009 神々との闘い」の終了で一本目の石森柱が倒れ、二本目の頼みの永島慎二も倒れ、当然売れ行きもかんばしくなくなり、永島への期待は集まり、連載へと…しかし、テレビの実写や雑誌での人気作品だった「柔道一直線」もアシスタントに譲り、文字通り描けなくなったのだ。
ダンさんにとって、漫画を描くということは生きるということと同義語だ。「漫画について 人間について 初めから学びなおそう……」
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フーテン 永島慎二
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COM 1967年1月創刊号 永島慎二 「かたみの言葉」 33P
それまで正義の味方しか知らなかった良い子が初めて知った永島慎二の劇画、大いに衝撃を受けた、そして、朝日ソノラマの「漫画家残酷物語」を読み、漫画の世界のみならず人生が拡がったのだ。
扉に”Le mot de souvenir”と横文字で、なんとカッコ良かったか…
死期まじかな入院中の妹のために花を買いたい少年、金がなく金持ちの家に泥棒に入るが、一生をベットの中で過ごさなければならない少女と出会うのだが…少年の「金がないのは病気でからだが不自由なのとおなじことなんだぜ」の言葉に深く考えさせられたものだ…
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そして一日が終わる…
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本業が釣りで、漫画は趣味と錯覚、そして我が家へと
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コートさんと別れ、アメリカに大事なものを忘れたがそれを思い出せず…
少しつかれたダンさんは家路につく…
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