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COM掲載の「夏の章 №2」は
1967年12月号に掲載されたもので
講談社文庫版 中 の発表誌は間違いだ。この№2は青林堂、講談社文庫とも№4に収録されている。
講談社文庫 中 の発表誌は
夏の章 №1 「COM」(虫プロ商事)昭和42年11月号
2 「プレイコミック」(秋田書店)昭和43年10月25日号
3 「COM」(虫プロ商事)昭和43年1月号
4 「COM」(虫プロ商事)昭和42年12月号
5 「プレイコミック」(秋田書店)昭和44年12月13日号
6 「プレイコミック」(秋田書店)昭和44年12月27日号
昭和45年1月10日号
が正解となる。
さて、青林堂の 上 の方はどうか見てみることにしよう。
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フーテン 永島慎二
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繰り返しになるが永島慎二の「フーテン」は「COM(虫プロ商事発行)」の創刊3号(1967年3月号)から翌年の3月号まで12回掲載された、ただし、68年2月号は休載。このブログでも紹介したが、その後の単行本は72年の青林堂(「ガロ」を発刊した会社で、社長は長井勝一氏)から上下全2巻の普及版、同時に280部限定版全1巻、また、76年の講談社文庫の上中下全3巻、そして88年にはちくま文庫(筑摩書房)から全1巻が発行された。
最初の青林堂の収録に際し、「COM」掲載の春の章第1章(67年4月号)から第7章(同年10月号)までが、春の章3章にまとめられた。「COM」第1章から第3章までを新第1章に、「COM」第4章から5章までを新第2章に、「COM」第6章から第7章を新第3章に改編されたのだ。
さて青林堂の普及版上巻には夏の章が№1〜4までが新見出しだが
№2の「はたちの夜」とわざわざサブタイトル?をつけているように、これは「COM」に連載されてはいないのだ。同じように講談社文庫も同じで
もともと青林堂を底本というよりまるまるコピーしたものなので当然だが、問題は右の出典資料がまちがっていることだ。「はたちの夜」は「プレイコミック」(68年10月25日)に掲載されたもので、「フーテン」の出演者でない人物が登場している。
「COM」67年11月号は
これは青林堂も講談社文庫も「夏の章 №1」で旅に出たサンチのお話、なぜ旅に出たかは少女とのやりとりでよくわかるが…
おっと、もう「夏の章」に入ってしまった、本当にシマッタということで、次項に続く のだ!
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「おれは児童漫画家……これからの日本の子供たちにうんとユメをあたえるんだ」
「すばらしい仕事だなァ オレもやる あきらめないぞ!」 と夢にふくらましていた少年たちだが、
一人だけ「オレわからね……」
上京して1年後さくらの花がさいたころ
そして4年目、売れっ子になった者、マイペースで単行本やカットだけを描いている者、それぞれ違った道を歩み始めたのだ…それから
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永島慎二が妻子を残して家を出、別に住まいを借り、そこで描いた「漫画家残酷物語」、漫画家生活50周年記念として FUSION PRODACT から3巻が発刊された。第1巻は2003年6月、10作品が収録されている。
今回出版にあたり、生原稿が多く使用されており、当時の雰囲気をよく出している。いままでの単行本はトレス版だったのだ。朝日ソノラマ全3巻(1968年発刊)はアシスタントの地獄プロの村岡栄一、向後つぐお、三橋乙梛の3人がトレスした。
1961年に描かれた6作品
その1 傷害保険 朝日ソノラマ第2巻収録
その2 ガン祖
その3 少年の日のけだるい孤独
その4 被害者
その5 坂道
その6 うすのろ 朝日ソノラマ第1巻
私の大好きな作品「うすのろ」
漫画が大好きな高校生の5人、卒業して上京するが、1年に一度会う約束をする…
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これは講談社文庫版 上巻 第1部春の章2
COM原作 1967年7月号 第1部春の章№4 (第4話)
COM原作 1967年8月号 第1部春の章№5 (第5話)
講談社文庫版 上巻 第1部春の章3
COM原作 1967年9月号 第1部春の章№6 (第6話)
COM原作 1967年10月号 第1部春の章№7 (第7話)
永島慎二は1961年から62年にかけて「漫画家残酷物語」を東京トップ社の「刑事(でか)」に発表する、同時期に家を出て、フーテン生活を63年までの2年間送るのである。「ステッキ親子」(赤旗)、「人間劇場」(ゴリラマガジン)と次々と発表していくのだ。
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