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荒廃した中にある建物だけの中だけが自然を保たれ、一人隠遁している老人?と訪れる男、して建物を襲ったグループと思われる男を蹴散らしてしまうのだ。一体何が起こったのか。
この8部が2話で未完になったので、第7部は大幅に内容の変更が迫られたのだ。
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COM
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この「休憩」がなぜ描かれたのか、ご本人がいないので聞くわけにはいかないが、第8部の準備が出来ていなかったか、相変わらず多忙で執筆する時間がなかったのか、はたまた別の理由かは分からない。ただ、COMの売れ行きも芳しくなく、5・6月号からの編集方針の変換、発行の遅れ、などなどいろいろあったようだ。
ただ言えるのは、手塚治虫の「火の鳥」執筆意欲は高く、第7部「羽衣編」をつなぎ役として、いや、それ以上に重要な作品なのだが、第8部「望郷編第1話」に繋がっていくのだ。「羽衣編」で未来からやって来た「トキ」はこどもを有無が、前の時代の戦争で、障害を持ってしまうというのがあらすじだが、COM版「望郷編第1話」は翌年1月号の「COMコミックス」版と合わせて、一部だけだが、マンガ少年で掲載されてはいるが。
COM1971年12月号 最終巻
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以上がCOM版ですが、小学館版で修正がされたところだけ掲載します。
左の363頁の三段目左のコマですが、テレビがどなり、手塚治虫がびっくりしているシーンですが、原作では手書きで「マンガ評論家」と描かれていますので、前日のブログを見て下さい。
さて、365頁は大幅にネームが修正されています。真ん中の四コマのネームが入れ替わっています。良く見なければ分からないが…そして、最下段のネームの一部が削除されている。「無数のエネルギーのかたまりにわかれました」ですが、これは完全に誤植です、前頁におなじネームがありますから。
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1967年1月創刊号のCOMに「マンガ少年」や「少女クラブ」とは稿を新たにした「火の鳥」が新連載された。月刊誌COMは手塚治虫が構想し発刊された雑誌で、「漫画少年」をモデルとした投稿雑誌でもあった。この中から、多くの漫画家が発掘され、デビューして行ったのである。一方、手塚治虫の「火の鳥」は他の商業雑誌では掲載が難しいのと、青林堂の「ガロ」に対抗して発刊されたであろうと思う。「ガロ」は白土三平の「カムイ伝」が毎号100頁が掲載されたのだ。「火の鳥」は第1部黎明編から第7部羽衣編まで56回に渡って掲載された。
第7部の「羽衣編」は一話完結で、舞台上での演技で、他の作品とは趣を異にしている。それまでの6部作はそれぞれ直接的に繋がりがなかったが、「羽衣編」は次の「望郷編」への橋渡しの役目もしているのだ。しかし、71年12月に掲載された第8部「望郷編第1話」はCOMの休刊と”リニュール”と称した再刊COMコミックス72年1月号に掲載された「第2話」で未完となった。73年8月号に復刊されたCOMは虫プロの倒産で第1号で休刊になるのだが、ここでは新たに「乱世編」が掲載されることになった。それでは、「望郷編」どうなったのかと言うことだが…
COM 1971年11月号
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手塚治虫の作画の手伝いをしたのは、最初は編集者で作品の出来上がるのをかっていた人がベタを塗ったり、ホワイトで修正したり、消しゴムをかけたりしていたが、その中で本当にアシスタントに成った人もいる。藤子不二雄(主に安孫子素雄の方だが、「怪物くん」の作者)のように手塚治虫の作品の手伝いができることがとても嬉しかった、いや光栄だったという人もいる。永島慎二のように、「巨人の星」で大変忙しがった時に、臨時で応援に行き、伴宙太のお尻を描いた人もある。良き時代だったと言うのは古いのか…
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