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火の鳥の第7部(1971年10月号)と第8部第1話(1971年12月号)との関連についての説明
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COM
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そしてその巻頭言と目次は
再出発については署名がないのは不自然である。また、手塚治虫の「火の鳥 第8部 望郷編 第2話」、村野守美の「ほえろボボ 第4話」、永島慎二の「漫画博物誌 その7」は引き続き連載されたが…今までのCOMファンは失望したのだ!
そして、虫プロ商事社長の手塚治虫も同じ気持ちだったに違いない、「火の鳥」の連載は中止されるのだ。
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1966年12月に虫プロ商事から発刊されたCOMは丸6年間で58冊で71年12月号は松本零士の美人画でその扉を飾った。
そして、翌年の72年1月号として、COMコミックスが登場したが…
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講談社全集(1978年)、角川版(1986年)を見てきたが、朝日ソノラマ普及版も見てみることにしよう。
1978年7月25日の発刊だが、もちろん1Pはカットされている。
もちろん、2013年11月30日発刊の小学館版も角川版から版をおこしているので、1Pカットなのだ。
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創刊第1号(1967年1月号)は手塚治虫の「火の鳥」、石森章太郎、永島慎二、出崎統の4人だけであるが、少年雑誌のトップの石森と劇画・貸本界のトップの永島が並んだことは素晴らしいできごとだった。これも手塚治虫の偉大な力のなす技だ。また、あの出崎にテレビアニメにタイアップした作品を描かしたのもスゴイのだ。
この雑誌の前身は「アトムクラブ」だったのでアトムの顔が印刷されており、読者は小学生高学年・中学生と考えていたようだが、実際は予想をはるかに超え、高校生、大学生以上の読者、漫画家志望者の心を掴んでしまったのだ。ここでは青林堂の「ガロ」との話は取り上げないが、いろいろお話がおありなら、投稿を期待している。
また、200頁の紙面の内、およそ半分が「冒険狂時代」の再掲だが、これは3段組みから4段組みに変えたとうことだは意味あることだ。「かたみの言葉」はさすが永島と言ったところだが、石森の「ジュン」には驚いた読者がほとんどで、これが漫画か?と思ったのではないか。これには逸話があり、編集部からの依頼があった時点で、多忙な石森は長編を描く時間がなく、短編ならということで、実験的作品を描き始めたとのことのようだ。
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