萬画三昧―漫画・マンガ・まんがの大好きな人集まれ

再開・再会・最下位???しました。宜しくお願い申し上げます。大川瀬萬画倶楽部

創刊号

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 1967年初秋新社屋の2階、「少年サンデー」編集部の一角に”企画室”が誕生、当初のメンバーは直前までの「少年サンデー」編集長の小西湧之助(ようのすけ)(1931年生)、田中一喜(36年生)の二人でスタート、当時大学生であった「団塊の世代」(1946〜50年生まれ)以上の読者を対象にした青年コミック誌「ビッグコミック」が発刊されるのが、1968年2月29日、今から45年前だ。そして片岡靖子(40年生)、中村滋、鈴木俊彦同期入社で(ともに43年生)の三人と合わせて、この5人が初代の編集部だ。小西編集長36歳、副編集長31歳、中村・鈴木は入社2年目の新人だった。
 漫画好きの鈴木は小学館の近くの喫茶店で小西とはじめて会った。小西から5人の漫画家を選べと言われ、四人までさっと名前を思いついたが、最後の5人目で迷った。さて、小西は手塚治虫、白土三平、さいとう・たかを、石森章太郎・水木しげるの5人の内、一人をはずし、ちばてつやを挙げた。鈴木は五人目はちばと横山光輝のどちらかと考えたのだが。ちばは講談社との関わりで「壁」があったが、横山は「少年サンデー」に連載してきた経緯から問題が無かったが、なぜ創刊号のメンバーに声をかけなかったのかは、小西は口を閉ざした。
 さあ、最初に選出した5人の内、外した人は誰だったのか???
 この話はプレジデント社発刊の「ビッグコミック創刊物語」(瀧田誠一郎)2008年12月より勝手に抽出したことをお断りする。
 
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 ビツグ創刊記念プレゼントはなんと乗用車、日産自動車のサニー1100CC
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 1968年当時の乗用車の値段はいくらか?
 
 
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 スカッとさわやか若大将
 
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 ビッグコミツク創刊号は白土は13〜48Pで36P、手塚は61〜91Pで31P、石森は109〜169Pで61P、水木は183〜214Pで32Pさいとうは扉カラーで233〜311Pで80P総計240P、312Pの77%がマンガ、5ビッグの創刊によせてを読むとなかなか面白いが、一番カチンときたのは手塚治虫だろう。白土、石森は二色、さいとうは扉カラーで、水木と同格に並べられたら面白くないだろうと推測できる…5ビッグの似顔絵はそれぞれ自筆と思われるが。
 残るビッグの二人は横山光輝とちばてつやだ。
 
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  定価160円、同封のクイズ応募はがきの切手が7円必要とのこと。私が働き始めたのが71年でコーヒーが80円だった。もちろん学生時代は一回も茶店には入ったことはなかったので。160円はコーヒー2杯分だが、うどんは2杯は食べれたと思うが、もちろん立ち食いではなくて。
 漫画界にも週刊化の波が押し寄せてきた。月刊雑誌から週刊化にかわり、読み物から漫画主体に大きく変化した1950年後半から60年前半、その役割を果たしたのは「少年サンデー」(小学館)と「少年マガジン」(講談社)だった。1959年3月に創刊号され、良きにつけ悪しきにつけ、強力なライバルだった。それまでは、漫画は子どもの読むもの、小学生の上級生、ましてや中学生はほとんど漫画から卒業したものだ。しかし、親が買い与え、情報を得るための少年向け(小学校5年から中学生1年まで)の週刊雑誌はその市民権を勝ち取っていくのだ。サンデー・マガジンの創刊時からの発光部数は20万と15万だった。創刊から5年後の64年はサンデー50万部、マガジン40万部と大きくあけられ、マガジンは苦戦するが、これはサンデーのギャグ路線、「おそ松くん」(赤塚不二夫)、「おばけのQ太郎」(藤子不二雄とスタジオ・ゼロ)が大ヒット、テレビアニメも高視聴率を得る、その間、63年「少年キング」(少年画報社)が3冊目の少年週刊誌として創刊されるのだ。65年新編集長に若干33歳の小西湧之助が就任、このひとが「ビッグコミック」の初代編集長となるのだ。
 紙芝居・貸本の衰退、劇画の台頭・テレビアニメの興隆と漫画をとりまく環境が急変し、そして漫画読者の高年齢化が進むのだ。高校生・大学生そして若いサラリーマンと…。小学館は67年の「漫画アクション」(双葉社)、「ヤングコミック」(少年画報社)、68年の「プレイコミック」(秋田書店)の創刊に負けじと68年2月29日に「ビッグコミック」4月号を創刊、一年後に月2回刊とするのだ。創刊号は13万部印刷し、実売10万、実倍率80%でまずまずのスタートであった。一年間はほぼ横ばいだったが、月2回刊した4月10日号は22万部、11月10日号25万部、12月25日号35万部とうなぎ上りで、71年の8月10日号は50万部を突破するのだ。
 さて、創刊号はどのような編集内容なのか?45年前にタイムワープするのだ。
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表紙の題名は「五人のサムライ」号、イラストは伊坂芳太良
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 創刊号の表紙をよく見ていただくと分かるが、1968年当時のビックな作家を登用したのだ。アイウエオ順で
石森章太郎、さいとう・たかを、白土三平、手塚治虫、水木しげるの5人で、手塚治虫は少年誌では人気の凋落が激しく、白土三平は「ガロ」(青林堂)の「カムイ伝」に忙しかった。この当時、ビッグ7だったが、後の二人は誰だったかお分かりかな?

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