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その頃、1964年当時の少年マガジンはどのような作品が掲載されていたか?ギャクの少年サンデーに大きく差をあけられていたことも加味するとなかなか興味深いのだ。
白土作品は1960年29号から52号までの「風の石丸」、61年1号から4号までの「狼小僧」そして65年の「ワタリ」なのだ。少年サンデーの「0マン」や「海の王子」は鮮明に憶えているのだが、マガジンの作品は記憶になく、「黒い秘密兵器」「8マン」「紫電改のタカ」は覚えているので、たぶん63年以降と思う。当時マガジンはサンデーと比べて、「野暮ったい」感じがしたのだ。
白土作品は「ワタリまでに、読切で63年15号「幻の犬」、64年2号「一本やぐら」、3・4号に「傀儡」が描かれているのだ。
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ガロ創刊から50年
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コミックボックス ふゆーじょんぷろだくと 1999年1月 第109号 「特集・少年マガジン」
野口文雄による「白土流忍法劇画『マガジン』的変遷」が掲載されている。65年からの「ワタリ」は少年マガジンでは連載第3作目なのだ。「ワタリ」の原稿料は「カムイ伝」のために稼いだと白土三平は述懐している。
末尾の白土三平のプロフィールのガロのくだりは正確な表現でなく、白土が「カムイ伝」を発表するためにガロを創刊したという方が正しい。 |
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COM19694年4月号の「特集 まんが賞その展望」という記事があり、その中で白土三平の記事がある。1964年第4回講談社児童まんが賞を「シートン動物記・サスケ」で受賞しているのだ。白土三平の漫画宣言だ。「これからも自由に描きたいものをものをかいていくつもりだ。」
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コミケの創始者で手塚治虫研究の第一人者の米沢嘉博が長井勝一青林堂社長の死去に寄せている文の中で傾聴に値するのは「青林堂の活動は64年から始まる。(中略)借りて読むから、マンガを所有する時代へと変わり始めた時である」「『ガロ』は確かに「カムイ伝」のための雑誌だったのかもしれない。だが、こうした社会的な意識を反映させることで時代のメヂィアと変わっていったのである」。たしかに、このころから単行本が出回りだし、たくさん所持することが漫画好きの真骨頂のようなところがあったのだ。そして、電車など通学、通勤時でも大人が読むようになっていった。「長井さんともうひとつのマンガ史」 ガロ第373号1996年3月1日 「追悼長井勝一ガロ初代編集長」
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1964年7月に青林堂からガロが創刊された。記念すべき第1号の9月号。ガロの題名は白土三平の「大摩のガロ」から名付けられたのだが、「我路」という意味合いも込められていた。そして、50年の月日が流れたのだ。
私は中学1年生で、創刊時は全く知らない。少年マガジンの「ハリスの旋風(かぜ)」や少年キングの「サイボーグ009」に夢中になっていた時だ。貸本は訳あって母が読むことを許してくれず、貸本屋さえ厳禁だった。とにかく他人の呼んだ本をダメで、それゆえ、貧乏にもかかわらず、新刊は買ってくれたので、サン・マガ・キンは創刊時から読んでいた記憶がある。だから、白土三平の「甲賀武芸帖」や「忍者武芸帳・影丸伝」は知らないのだ。
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