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このマンガがすごい 2015

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手塚治虫物語 オサムシ登場 1928−1959 伴俊男+手塚プロ 朝日新聞社(1992年8月)
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余談だが、手塚治虫の生まれは大阪府豊中市で、5歳の時兵庫県宝塚市に転居した。
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手塚治虫研究では第1人者の米澤嘉博の「手塚治虫マンガ論」によると、付録合戦の月刊誌では、手塚治虫は漫画家の一人でしかなく、影響力は小さくなっていたと…。それから考えると、週刊少年誌でも手塚治虫の影響はあまり大きくなかったとも言えるのではないか。また、手塚自身のスタンスがアニメ制作に移っていたとも言える?0マンを除いて、サンデー誌上人気があまり出ず、次に手塚作品がブレイクするのはバンパイアとどろろ、水木しげるの鬼太郎の登場に一躍妖怪ブームが起こり、いち早く時代を先取りした作品だった。そういう意味では手塚治虫は時代の変化に敏感だったと言える。

手塚治虫マンガ論 米沢嘉博 河出書房新社(2007年7月)
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第1巻第4話、時は1959年(昭和34年)3月、日本初の少年週刊雑誌が生まれた。小学館から「少年サンデー」、講談社から「少年マガジン」、以降ライバル争いが続くのだが。手塚治虫はサンデーに連載を開始するが、一歩原稿依頼の遅れた講談社のマガジンには掲載をしなかった。これには小学館が専属料を支払ったと噂をされたのだが、真偽の方は不明だ、当事者の手塚治虫もこれには明確なコメントはしていないのだ。
このせいかどうかは不明だが、創刊数年間はサンデーが優位にたったのだ。
私はこの2冊が創刊されたときから読んでいるのだが、なぜだかマガジンは記憶はなく、サンデーの「0マン」は鮮明に覚えているのだ。

コージィ城倉 チェイサー 1 小学館

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滝田誠一郎の「ビッグコミック創刊物語」(プレジデント社2008年)によると、創刊から2年間はサンデー20万部、マガジン15万部で、60年代に入ると伊賀の影丸、おそ松くん、サブマリン707、極めつけオバケのQ太郎と人気作が登場し、63年40万部、64年50万部と、マガジンの40万部を大きく引き離した…(P85)、おそ松くんとオバケのQ太郎の人気はすさまじく、この時期”ギャグのサンデー”という評判…とのこと。
しかし、手塚作品が人気があったかどうかは触れられていないのだが…

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顔にバッテンやふきだし(ネーム)に変化をつけるなど今までにない表現の多様化?マンガがどんどん深化するのだ。

宝島社 このマンガがすごい!2015
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