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少年チャンピョンが秋田書店から創刊されたのが、1968年で隔週刊だったが、翌年から週刊となった。サンデー、マガジンからおよそ10年後の創刊だが、キング、前年のジャンプとその後の少年週刊誌5誌が勢ぞろいとなるのだ。
時は大きく変わり、月刊誌の廃刊、劇画路線・文芸調など読者対象の加齢化、なにより、スポコン的作画によりまんがの質が低下し、短編を描ける作家が少なくなっていった時代でもある。その中で、手塚治虫にスポットがあたるのだ。
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すべて扉は新たに描き下されたものだ、いままでの勧善懲悪の作品とはかけ離れたものだが、なぜか興味をそそられるのだ。
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講談社手塚治虫漫画全集
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少年サンデーに連載されたバンパイヤは終了したが、第2部が描かれるという後書を残して…何回読んでも、中途半端な結末だ。人類とバンパイヤ族との闘いでなく、悪の権化と成り果てたロックの非業さは際立つも、それまでの手塚ヒューマニズムは全く浮かび上がらない作品になっているのだ。それゆえ、少年読者の支持も少なく、途中での連載中止と決まり、尻切れトンボのごとく、無残な結果を迎えた。
翌68年少年ブックで半年間、第2部が連載された。MT320で読むことができるが、なぜだか読んだのだが全くどんな内容だったが記憶が無い、作者のあとがきも覚えていない。1000作以上の作品を描いたと言われているが、敢えて言うが、時代まかせの駄作だったのではないか…もし、手塚治虫が生きていれば、リテイクと言うに違いない。
蛇足だが、ロックには悪役は向かない、彼はいつも正義の味方なのだ、はっきりいってミスキャストなのだ。
MT144 バンパイヤ ③ 1979・6・30
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これはテレビ+アニメのエピソードと雑誌COMに掲載されたコマーシャル
朝日新聞社 手塚治虫物語 1960−1989 伴俊男 手塚プロ 1992年10月発行
COM 1967年10月号
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少年読者の年齢が上がり、大学生にも読まれるようになったのが、この時代の特徴だ。それまでは、早ければ中学生になって、遅くとも高校生になれば漫画なんぞは読まなくなっていたのだ。これは手塚治虫にはじまるストーリー漫画の成熟と月刊誌の廃刊にみられる時代の移り変わりの速さの変化だったかも知れない。劇画や妖怪・恐怖漫画の登場がそれまでの「面白い」笑いのある漫画との差別化がはかられたのではないか。「パンパイヤ」の終了に続き、妖怪物の「どろろ」が連載されるが、68年7月で終わると、手塚治虫の活躍の場は創刊された青年雑誌に移されるのだ。少年キング、少年チャンピョンで作品を発表するが、「巨人の星」「あしたのジョー」「天才バカボン」「仮面ライダー」には太刀打ちできなくなり、72年少年サンデー連載の「ダスト8」、「サンダーマスク」も不発に終わったのだ。この2作品を知らない方もおるであろう。少年チャンピョンの「ミクロイドS」も今一評判が悪かった。巷では少年向けの漫画では、手塚は終わったとも揶揄されたのだ。
少年サンデーは藤子不二雄の「オバケのQ太郎」、赤塚不二夫の「おそ松くん」を皮切りに、ギャグ路線を展開し、手塚治虫の「正当派漫画」は少年たちから、だんだん敬遠され、その人気は下火になっていったのだ。
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「バンパイヤ」は1966年6月12日号からおよそ1年間連載されるのだ。「バンパイヤ」はそれまでの「勧善懲悪」とは異なり、悪の少年ロックを生み出し、怪奇マンガの一つのあり方を示したと米澤嘉博は指摘している。
1967年は「ウルトラQ」の放映、少年マガジンでの「巨人の星」の連載開始、そして極め付けの「ウルトラマン」がカラーで放映されたのだ。怪獣ブームが巻き起こり、
ウルトロマンの「シュワッチ」が巷に連呼された。「シュワッチ」
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