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チェイサー 手塚治虫神話物語

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  1970年日本万国博覧会、70年安保、三島由紀夫割腹、コザ騒動、よど号ハイジャックなどなど波乱の一年だったが、一方ボウリングが60年後半からジワジワ人気を集め、あの中山律子氏の登場により、大ブームとなる。71年にはボウリングのテレビ番組、新藤恵美の「美しきチャンレンジャー」の放映、その後数年大フィーバー!!
良い子のデートはスケート場からボウリング場に変わって行ったのだ…


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 ジャンプは読切にしても2号が森田拳次、関谷ひさしがビッグネームで、3号はビッグまで行かない望月美起也、4号以降にはビッグネームがなかったのだ。
 さて、ジャンプの看板いや柱の「父の魂」の作者貝塚ひろしが失踪、8号はほぼ完成、9号はラフデッサン、10号はストーリーが完成していたのだが、特に10号の代筆原稿は明らかに別の人間が描いたのが分かったのだ。当然人気投票も5位に下落したのだ。
 ジャンプ快進撃の両翼の一人、本宮ひろ志の話に話題を移そう。持ち込みで集英社を訪れた本宮はその後ジャンプ編集長となる西村繁男と出会い、4号にデビュー作の「アラシと鉄と三本指」を掲載、なんと「父の魂」、「くじら大伍」につぐ人気順位3位に食い込んだのだ。そして、貝塚の失踪事件の最中、8号に第2作目の「怒りのボクサー」を掲載するが、なんと貝塚休載の穴埋めのため、連載候補の一人として、本宮に白羽の矢がたったのだ。


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  1960年代は東映の「白蛇伝」「西遊記」などは「動画」と言われていたが、この70年代中ごろは「アニメ」と呼ばれるようになっているのだ。いったい、いつ頃からか記憶が無い。「漫画」も最近では「マンガ」のほうが何となくピッタリくる感じもするが…



 前号の続き 
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 何から何まで手塚治虫のマネの海徳光市、ただし少しお金が足らなかったのだ…

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双葉社 ぼくの手塚治虫せんせい 古谷光敏 2010年7月
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 「バンパイヤ」が放映された1968年11月は雑誌漫画の仕事を西武線富士見台の駅前ビルに移し、「COM」連載の「火の鳥」の大部分や多くの作品を描いたのだ。


朝日新聞社 手塚治虫物語 1960−1989 マンガノ夢アニメの夢 伴俊男+手塚プロ 

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 ビッグコミック スペリオール 2016年6月24日号 №13
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