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ソニーが揺れてます。リチウム電池回収、PS3発売延期 ソニータイマー等
私が使用中のデル、インスピロンのリチウム電池も2個とも回収対象でした。これはデルの回収に対しソニーが協力するという形で行われたらしいです。最近の発表は、ソニーがその非を認めて、回収の主体になると言うことで500億円程度の負担になるとかです。また、プレーステーション3も値段が変更になったり、発売時期が延期になったり、液晶テレビを安売りしたり、最近、歯車がかみ合っていないです。
私の考えは、プレーステーションの美酒に酔いしれ、製造業の原点を忘れてしまったのではないかと思います。
私は、学校を卒業して最初に就職したのが、この会社でした。北品川の本社の後ろにありました高輪寮、と言うところに住み、会社まで、走って2分くらいであったと思います。始業ベルすれすれの時間に、門を通る生活でした。その頃、この会社の社長さんは、井深大さんでした。専務が、盛田昭夫さんでした。学歴無用論とか言う本を書いて、意気軒昂でした。確か、社長の井深さんは、当時、セドリックに乗られておりました。また、専務の盛田さんの車は、確かベンツであったと思います。ソニー商事という会社がありまして、そこの社長は、盛田昭夫さんでした。ソニー商事に行きますと、社員は、品川の会社を、「工場」と呼んでいました。実権は、盛田さんにあったので、盛田さんがそう呼ばせたのかも知れません。
当時、ソニーはカラーテレビでクロマトロン方式という、技術的にはすごく面白い方式のテレビを量産にかかりましたが、うまく行かないで、苦労しておりました。これは、色選別グリッドという、すごく面白い発想の方式でした。
井深さんは、これと並行して、トリニトロン方式というCRTを開発いたしました。これは実は、シャドウマスク方式の特許を逃れる程度の開発であったんですが、当時は、ソニーのブランド力と相まって、「ワンガン、スリービーム、大口径電子レンズ、シャドーマスクより○十%透過率の良いアパーチャーグリル。」とか言うふれこみで、大成功でした。技術的には、たいしたことはなかったんですが、ブラウン管の製造は大崎工場でした。ここでは、電子管製造部とソニーテクトロニクスがあったと思います。テクトロは、オシロスコープを作っていたんだと思います。でも、私が会社で使ってましたのは、ナショナル製のシンクロスコープでした。
当時の社風は、上司にも社内では自分の意見を、自由に言える、風通しの良い環境だったと思います。開発現場のアイディアも、正当に評価されたと思います。
学歴不要論の会社にも、学閥はありました。確かTH大とか、W大が、磁性体やら半導体での関わりから、主要なポストを占めていたように思います。
同じ職場に、他のエレクトロニクスメーカーから転職してきた人がおりました。その人曰く、「この会社に入って、驚きましたよ、ソニーは町工場なんですね。」と言っていたのが、記憶に残ります。
アイデア優先、設備はドタバタ、厚木の半導体工場などは、労働集約型工場だったらしいです。実は余りよく知らないです。
こんな事もありました。第一製造部に勤める、友人が話しておりました。某放送局に、最新開発のトランジスターアンプ、(多分型番はTA-3120Fであったとおもいます。)6台を納めたところ、電源投入直後にすべて故障、その放送局の技術者は、使用法が悪いのかと思って、おそるおそる、調査を依頼しました。調査の結果、そのすべてが、製造上の欠陥であったそうです。
当時から、アイデア重視、製造技術未熟の社風はあったんですが、井深さんの、技術者魂は社員を鼓舞し、新提案が、出てくる社風があったんですね。それなりに良い会社ではあったと思います。
社長が、盛田さんに交代し、ビジネスマン風の経営になりました。拡大路線を歩む中、製造現場は、昔の甘さが残ったのかも知れません。ブランドに甘える社風が出来ていたのかもしれません。
当時、大宅壮一さんだと思いますが、「ソニー、モルモット論」を唱えまして、話題になりました。当時の会社規模は、その通りでした。ブランド力に助けられて、会社は急成長、いつの間にか、巨大ビジネスコングロマリットみたいになってしまいました。 ビジネスで成功して、社員を豊かにしたので、良かったのかも知れません。 でも、井深さんの、技術屋魂は、何処かへ行ってしまった様に感じます。ソニーは、何処へ行くのでしょうか? あのにじみ出すような、井深さんの技術的好奇心、子供みたいな井深さんの好奇心、ソニーが再生するために、是非必要です。 クロマトロン方式で苦労して、他社に水をあけられた当時を振り返れば、再生可能ですよね、きっと可能です。
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