おけらの いつか青空 脱原発

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5月15日、沖縄「復帰」の日ですが、みなさんにもたくさんのご支援をいただいた鉄の造形作家「戦死者たちからのメッセージ」の作者である武田美通さんが急死されました。
呆然自失の状況です。いつかは来る日と覚悟はしていたつもりですが、不意をつかれてしまいました。
まだ悲しみさえも感じません。
思えば、2004年4月4日の東京新聞に大きく武田さんの記事と写真が載ったことで、生で作品を見せて頂こうと翌日工房に伺い、そこから交流が始まりました。
その後、私の友人たちに呼びかけて「鉄の造形作家・武田美通『戦死者たちからのメッセージ』を広める会」をつくり、私は事務局長としてマネージメントをする、といった活動を10年に及んで致しました。

多摩市で、あるいは文京シビックホールで、丸木美術館で、そして平和美術展や日本アンデパンダン展で、その作品に触れて下さった方もたくさんいらっしゃると思います。
ほんとうにありがとうございました。一昨年夏の多摩市での平和展では、たくさんのみなさんと交流ができ、武田さんもとても喜んでいました。
また、あの時、明治大学の山田朗先生にご鑑賞いただきました。
先生はこういう形で戦争を伝えていくことはとても大事と仰られて、登戸研究所記念館の前庭にて作品展示をすることとなりました。嬉しい展開でした。
思い出はつきません。
鉄は重いので、たくさんのご協力をいただかなければ輸送や展示もできません。都度、SOSを発して友人たちのご協力を仰ぎました。
武田さんに代わってお礼申し上げたい思いです。
(芸術家は)つくることが命、発表機会がなくても作る、そんな武田さんでしたから、応援しなければ世に作品が出ることはありませんでした。
最初の作品展(12作)は蕨のちいさなギャラリーで、そして最後のそれが蕨市と共催といってもいい「わらび平和の一週間」での全作品展示(30作)でした。
最初の出会いから12年。
知り合ってから1年後に大手術をした、その後遺症が原因での死去ということですから、この12年間は、私たちの支援に応えて身体を酷使しての制作だったのかと、申し訳ない気持ちにもなりますが、応援したからこそ新しい作品づくりの意欲にも繋がったと考えようと気を取り直しております。
これから、あの30作に及ぶ作品群をどうしていくか、それこそ大事な課題が残されています。
ご遺志を大事にして作品を残し、多くに広めたいと切望していますが、なかなか大変です。
武田さんは、沖縄にも、被爆者にも、もちろん現在の危険な状況にも心を痛め、怒り、それを作品に結晶させていました。
もう新しい作品を見ることはできませんが、残された作品は、いまを告発し、私たちの背中を押す力を今こそ発揮してくれると思います。
 
これからもご支援、ご指導をよろしくお願いいたします。

P.S
少々ご紹介をいたします。
6年前に丸木美術館で行った戦後65年記念の全作品展のお知らせをご覧ください。
また、武田美通 で検索していただくと、多摩市で、丸木で、あるいは蕨市で、大阪で開催した作品展の情報などが沢山出て参ります。
確か、丸木での作品展の時、にNHKの埼玉支局の方が取材され、放映も去れたと記憶しております。
そういえば、戦後60年記念で文京シビックで作品展をした時に、8月、終戦特集として「おはよう日本」で取りあげて下さいました。
 
武田さんは日経記者、テレビ東京とジャーナリストとして活躍されていましたが、この10年あまりの「戦争への気配」を感じ取っての制作でした。
「戦死者たちはもし生きてこの日本をみたら、何を思うか」がテーマです。


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