―――A・トクヴィル『アメリカの民主政治』、講談社学術文庫、170〜173頁(ここから)―――
第三節 多数派の専制
政治において、人民の多数者が何をしてもよい権利をもっているという公理がまかり通ってる。しかし、これは神を冒涜するもの、そして嫌悪すべきものである。
・・・「多数派にあらゆる権力を与えることを、恐れてはいけない」と言い散らしている人々がいる。けれどもそのような言(=論理)は奴隷の言葉(=論理)だ。
もしそんな権力を与えたとしよう。集団としての多数派(=団体)は、少数派に反対し、そしてしばしば、その少数派の利益を踏みにじるかもしれない。
もし全権を与えられているあるひとりの人間が、その全権を反対者たちに濫用できるなら、同じことは多数派にも認めねばならないであろう。
人々は団結することで、(全権を与えられたひとりの人間と比較して)性格を変えるだろうか。
人々は、(団結して多数派になり)より強力になる。その結果、より一層忍耐強くなるだろうか。わたくしは、そのようには信じられない。
・・・もし、ある社会が混合政治形態になると、言い換えれば、その社会がそう反する諸原理で別れ別れに支配されると、その社会は革命に陥るか、また(は)瓦解するか(の)いずれかになる。
それゆえに、他のすべての権力に優越した社会的権力が、常にどこかになければならない。
けれども、この権力の前に、無鉄砲な前進を抑制してくれる障害があり、さらに、自らの節度を回復するゆとりをかせぐ障害がなければ、自由は危うくなるだろう。(トクヴィル著1835年)
―――A・トクヴィル『アメリカの民主政治』、講談社学術文庫、170〜173頁(ここまで)―――
―――A・トクヴィル『アメリカの民主政治』、講談社学術文庫、188〜189頁(ここから)―――
どんな政治形態でも、下劣は権力に、迎合は権力に、結びつくとわたくしは信じている。
人間の堕落を防止する手段は、一つだけしかないとわたくしは思っている。
それは(=その手段とは)人々を愚劣にする全権を、(つまり)主権を、誰にも与えないことである。(トクヴィル著1835年)
―――A・トクヴィル『アメリカの民主政治』、講談社学術文庫、188〜189頁(ここまで)―――
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、20〜21頁(ここから)―――
近年の政治的変革は、大衆が政治権力化した事を示すものである。
かつてのデモクラシーは、かなり強い自由主義と法を守る情熱によって緩和(=制限)されていた。
これらの原則を厳守することは、個人がひとりひとり自発的に自ら厳しい規律を守ることである。この結果、自由主義の原則と法の規範に守られて、少数者は活動し生きることができた(=多数者の専制から守られた)のである。
この時はじめて、デモクラシーと、法および、多数者と少数者の共存は同義語となった。
今日われわれは超デモクラシーの勝利に対面している。今や(超デモクラシーの政治においては)、大衆が法を保つことなく直接的に行動する。その結果、物理的な圧力によって自己の希望と好みを社会に強制していくのである。
・・・当時の大衆は、公の問題に関して、政治家という少数者の方がましだと考えていた。(=政治家をある程度は尊敬し、信頼していた)もちろん、ありとあらゆる欠点や欠陥があるにもかかわらず。
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、20〜21頁(ここまで)―――
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、47頁(ここから)―――
実は、(大衆は)自分が過去のどの生き様よりもリアルであると感ずるあまり、過去に対する一切の敬意と配慮を失ってしまったのである。(オルテガ著1930年)
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、47頁(ここまで)―――
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、67〜68頁(ここから)―――
大衆人とは、人生の計画をもたない人間であり、波のまにまに漂う人間である。したがって彼の可能性と権力がいかに巨大であっても、何も建設することがない。(オルテガ著1930年)
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、67〜68頁(ここまで)―――
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、80〜82頁(ここから)―――
われわれは、今日(=超デモクラシー時代の)の大衆人の心理に二つの特徴を指摘することができる。
ひとつは、自分の欲望の(無制限の膨張)、すなわち自分自身の無制限な膨張。もう一つは、自分の安楽な生存を可能にしてくれたすべてのものに対する完全な忘恩である。
この二つの傾向は甘やかされた子どもの心理と同じものである。
・・・誰かを甘やかすというのは、その子の欲望になんの制限も加えないことだ。自分には一切のことが許されており、なんの義務も課せられないという印象を与えることである。
このように甘やかされた人間は、自己自身の限界を経験したことがない。
外部からのいっさいの圧力や他人との衝突のすべてから守られてきたので、そうした人間は、ついには、自分だけが存在していると思い込むようになる。そして、自分以外の者の存在を考えない習慣、さらには如何なる人間をも自分に優る者とはみなさない(=自分より優る者を許せない)習慣がついてしまう。
・・・彼ら(=大衆)最大の関心事は自分の安楽な生活である。しかし、その実、その安楽な生活の根拠に一切連帯責任を感じない。彼等は文明の恩恵の中に、非常な努力と細心の注意で初めて維持できる奇跡的な発明と営為を感じられない。(オルテガ著1930年)
―――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、ちくま学芸文庫、80〜82頁(ここまで)―――
―――世界の保守主義者によるデモクラシー批判(ここまで)―――
【2010/06/25 ブログ掲載】
本ブログ「保守主義の神髄」は、まだまだこれから本論に入っていく段階である。次回以降も、豊富な話題を提供するよう努力するので、興味ある読者の皆さんは、最後までお付き合い頂きたいと願う所存である。
保守主義の哲学---保守主義(哲学)の神髄---7/11参議院選挙投票日までに必読の政治哲学(5)へ続く
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オノコロさん〜フランス革命
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ありがとうございます。
なかなか、難解で、毎回骨がおれますです。
2010/7/3(土) 午後 11:10
『権利』という言葉の意味とかいろいろなことを考えさせられますね。
2010/7/3(土) 午後 11:22 [ - ]
なんだかなぁさん
そうですね 全くです
しかも まだ寝ていません^^ どうしましょ・・朝ですよ。
2010/7/4(日) 午前 8:23
boston様、寝てください!
寝ないと倒れちゃいますから!!!
2010/7/4(日) 午前 11:16 [ - ]
なんだかなぁさん
お早うございます^^ 先程おきました・・)
ゆっくり行きます。
2010/7/4(日) 午後 6:14
大変な、ご様子で。
わたしも、体がおかしくなりそうです・・・
2010/7/4(日) 午後 8:28
オノコロさん^^
大丈夫と思いながらも・・報道に対しての不満だと思うのですが
なにか 足りないいと感じています・・。
2010/7/4(日) 午後 9:37