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票のためなら何でもする、
それが無制限民主主義の本質だ、
と、ハイエクやトクヴィルに断言されてしまって、
私は途方にくれている。
多数派は、少数者の意見を尊重しなさい、と
小学校の学級会で勉強したが
そんなん、ムリムリ
と断言もされてしまった。
子ども手当にせよ、外国人参政権にせよ、
人権擁護法案にせよ、
あるいは、すでに起こった天皇陛下への不敬にせよ、
「オレ様 お子様」政権にとっては、
それがオレ様の意向だ。
それが票の要望だ。
で、なんで悪いんだと開き直ると、「予言」されている。
しかも、こういうことが正当化されれば、
「悪徳」がはびこる
とまで言われてしまった・・・。
エドマンド・バーク保守主義さんが、
「悪徳」に染まりたくないなら、読んどけ
という記事を公開された。
転載して、お届けしよう。
世界の保守主義者たちの著作の引用文中の〔 〕内は、著作の翻訳者注であり、( )内は私(=ブログ作成者/転載元)の補足解説部分である。≪≫内はうまやど(オノコロ)の補足である。
なお、読みやすいように、適宜原文の意図を損ねない範囲で表現を改めた。 以下、転載
保守主義の哲学---保守主義(哲学)の神髄---7/11参議院選挙投票日までに必読の政治哲学(5-1) [政治]―――――――エドマンド・バーク保守主義―――――――
―――――保守主義(哲学)の神髄―――――
A・トクヴィル、オルテガ・イ・ガセット、F・A・ハイエク、
D・ヒューム、ギュスターヴ・ル・ボン ・・・
世界の偉大な保守主義(哲学)者からの現代日本国への警鐘
――7/11参議院選挙投票日までに必読の政治哲学(5-1)――
―――――――――――――――――――――――――――
《民主主義の社会における善悪は、》民主主義理論が仮定するのとは、逆説的になるように思われる。
すなわち、多数派が正しいと一般に信じているから正しいとなるのではない。自らその結束力を維持するために必要だと判断されることが、正しいことだとされる(=誤解される)。
多数派が同意したということは、ある措置が正しかった(正義の)証拠であるとと依然(として誤解されて)信じられるようになっている。(例えば、多数派が同意した措置、具体的には、政府による政策の施行や与党による立法等は、いつも正義であると、誤解されるようになっている)
・・・《このメカニズムは、》受益者(=ある利益集団に属する人びと)以外の人がその(=受益者以外の人も、その物事から同様に得る)メリット(=利益)によって、正しいと判断するというものではなくなっている。
(→私〔=ブログ作成者〕の解説:ある物事〔=例えば、ある政策や立法〕が「受益者」と「受益者以外の者」という区別なく、多数派に「公平の法〔ルール〕)」を遵守して利益を与える場合のみ、真に「正しい・正義である」と判断していたが、いまやそうではない)
単に定期的になされる(=慣例になってしまう)という理由で、「社会的に正しい」と判断(=誤解)されるようになっている。
さらに、分派グループを絶えずくどく必要があるので、結局まったく思いがけない道徳基準(=疑似道徳基準、正確には悪徳基準)が生み出されてしまった。
・・・無制限の(=それを制限するルールの無い)民主主義政府では、新しい「民主主義的な」疑似道徳(=悪徳)が生み出される。
この疑似道徳(=悪徳)は、定期的になされるもの、あるいは(各種の利益団体が)デモクラシーという政治制度の巧みな利用《=悪用》によって政府から(選挙における集票力を武器に)ゆすり取ったものこそが社会的正義だと信じさせる、機構の産物である。
今や、ますます多くの所得が政府によって決定されている(=多くの利益団体に国庫〔公金〕からの負担金・補助金・交付金・補償金・独占権などの特権等が与えられている)、という意識が広まっている。こうなると、自分たちの境遇が依然として市場力によって決定されているような集団(=国庫〔公金〕に頼らず、市場での自由競争によって所得を得ている集団=純粋私的企業など)の新たな要求をつねに引き起こすことになる。すなわち、自分たち(=純粋私的企業など)にも、(国庫〔公金〕からの負担金・補助金・交付金・補償金・独占権などの特権等を)付与させようという要求が引き起こされるのだ。
ある集団の所得が政府(=国庫〔公金〕からの負担金・補助金・交付金・補償金・独占権などの特権等の附与)によって引き上げられるたびに、同じような扱いを求める正当な要求(=自分たちの所得も政府によって引き上げてもらいたいという要求)が他の集団に生じる。
立法府がある集団に与えた恩恵によって創出してきたのは、《正義でもなんでもなく》自分たちも同じように扱われるべきだという〔「社会的正義」に対する要求の基礎にある〕期待にすぎない。
―――F.A.ハイエク『法と立法と自由Ⅲ 自由人の政治的秩序』、春秋社、24〜25頁(ここまで)―――
(→私〔=ブログ作成者〕の解説:上記のハイエクの引用部の趣旨を私流に、ごく簡潔にまとめれば、
ということである。
さて、読者の皆さん、この辺までは、私の解説で、ハイエクら保守主義者の哲学を理解いただけているであろうか?
ノーベル経済学賞受賞の保守主義者ハイエクにしろ、「保守主義の父」エドマンド・バークにしろ、「米国保守主義の父」アレクサンダー・ハミルトンにせよ、フランス保守主義の父とも言えるトクヴィルにせよ、スペインのオルテガにせよ、世界超一級の保守主義(哲学)者たちである。哲学に不慣れであろう、読者の皆さんが理解に苦しむなら、ひとえに、私の哲学的な説明能力の限界点だと思って、お許しいただきたい。
が、何とか最後までお付き合い願いたいと思っている。
【2010/06/26 ブログ掲載】
転載ここまで
この後は、ヒュームの話へ進む(5−2へつづく)
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オノコロさん〜フランス革命
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この号は、なかなか難しかったです。
転載ありがとうございます。
2010/7/4(日) 午前 6:37
オノコロさん お早うございます
最初から難しいです 自分には^^。
2010/7/4(日) 午前 7:47
うまやど様の解説がないと本当に理解不能ですよね。
難しいです。(^_^;)
2010/7/4(日) 午前 9:06 [ - ]
なんだかなぁさん
同感です^^
2010/7/4(日) 午前 9:10