沖縄のあまのじゃくの感想。

地元沖縄を敢えて褒めない自分でも変わっていると思う(・∀・)

オノコロさん〜フランス革命

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こころ静かに生きるにも、
あまりにも、ノイズが多く、屁理屈が多く、
そんなものを小学校以来、
注入されてしまう。

まして、ヤカラたちは、
保育所や、幼稚園、小学校を占拠し、
そこで、子供ともども親まで、
洗脳工作をくりひろげている。

そういう洗脳を中和するには、
こういう理屈も役立つだろうか。

選挙カーの上から、

  「私が、財務省を洗脳しているんです」

そんな世の中だからこそ。
こういう理屈も役立つかもしれない。


「洗脳」されてるかもなら、読んどけ
という記事を公開された。

転載して、お届けしよう。
世界の保守主義者たちの著作の引用文中の〔 〕内は、著作の翻訳者注であり、( )内は(=ブログ作成者/転載元)の補足解説部分である。≪≫≪≫内はうまやど(オノコロ)の補足である。
なお、読みやすいように、適宜原文の意図を損ねない範囲で表現を改めた。


以下、転載

―――――――エドマンド・バーク保守主義―――――――
―――――保守主義哲学の神髄―――――
E・バークAハミルトンJ・ジェイJ・マディソン
A・トクヴィルオルテガガセットFA・ハイエク
D・ヒュームギュスターヴ・ル・ボン ・・・
世界の偉大な保守主義(哲学)者からの現代日本国への警鐘
――711参議院選挙投票日までに必読の政治哲学(7-1)――
―――――――――――――――――――――――――――

ヒュームの道徳哲学
D・ヒューム道徳哲学(その1)についての解説の続き

〔=ブログ作成者の解説ヒューム曰く
 「理性は情念の奴隷である。また、それだけのものであるべきだ。理性は情念に仕え、従う以外に何らかの役目を望んでは《=与えてはならないのである」《情念は理性の主人である。理性をあがめてはならない》
 「道徳は理性に起因しえない。道徳は情念を呼び起こし、そして行為を生じさせたり、妨げたりする。ところが、理性そのものはこの点について全く無力である」
 「道徳の規則は理性の規則ではない」《道徳は、理性でできていない。》
 つまり、ヒュームの結論は、
  • 理性の限界《理性は、理性のみで行動に影響を与えられない》
  • 理性の情緒に対する下位性という常識的な哲学的原理(=「人間は完全な理性を持つ存在ではない」=「反・デカルト反・理性主義」)《情緒の理性に対する上位性。情念こそが理性の主人である。理性は神ではない》
明快にしたのである。
 これがヒューム道徳哲学の神髄の一つである。

 上記のヒュームの原理に従えば、人間が文明社会を完全に理解したり、未来の社会を理性によって設計したりできるなどという社会主義共産主義思想がいかに人間の本性からかけ離れた狂気であるかかがわかるだろう。《不完全な理性で捉えられた「文明」や「社会」など、不完全に決まっているから!》

 また、必然的に、デカルト理性合理主義を引き継ぐ、
  • ジョン・ロック(英)
  • ベンサム(英)
  • バブーフ(仏)
  • JS・ミル(英)
  • ルソー(仏)
  • ヘーゲル(独)
  • コント(仏)
  • スペンサー(英)
  • オウエン(英)
  • サン=シモン(仏)
  • フーリエ(仏)
  • エンゲルス(独)
  • マルクス(独)
  • フロイト(墺)
等の左翼極左思想も同様だ。なぜなら、その前提理性の完全性という虚構だからだ。虚構から、理性的な合理的な因果関係に基づいて得られる結論は、必然的に虚偽または虚構または空想となるし、現実にそうである
 ヒュームの結論によれば、理性が見出せるのは、「対象(=観念から別個の持続的存在=物質・事象)」と「対象間の因果関係・原因と結果の結合のみ」である。そうであれば、理性主義の適用範囲は限定されなければならない。その範囲は、学問の研究の前提条件が必ず理性的に真であると決定できる数学や物理学や化学などの自然科学や機械工学や電子工学などの自然科学の応用分野だけである、と私は考える。
 例えば、次のようなのは「適用範囲外」である。理論の根拠も、論理展開も、結論も誤りあり、人類に害悪しか与えない。
  • ヘーゲルの「歴史哲学」やマルクスエンゲルスの「歴史科学」ように、「人間の歴史が理性や物質の弁証法的発展過程をたどる」とか、
  • スペンサー社会学の「未来主義」や、進歩教の教祖コンドルセや、その直系の「熱狂的進歩教徒」のコントのように、「未来には人間は完成する
 アニメドラゴンボールスーパーサイヤ人人造人間セル」など、フィクションの世界なら、面白いが・・・。
 しかし、上に上げたような狂人たちは、真顔で次のように語っている。例えば、
 スペンサー
「したがって理想的人間の究極的発展は、論理的に確実であり、・・・いわゆる不道徳なものは消滅するし・・・人間は完全になるのに違いないSpencer, Social Statics, D. Appleton, 1890 pp7980.
 コンドルセ
「自然は人間能力の完成に対して何らの限界も示さなかった。人間の完成は真に無限である。この完成への進歩は、これを停止しようとするすべての権力とは爾来全く関係が無い。自然がわれわれを生んだ地球が存在する限りは、限界を有しない(コンドルセ『人間精神進歩史』、岩波文庫、23頁)
 コント
「人類が住んでいる惑星(=地球)の状態が、乗り越えられない障害とでもならない限り、人類は絶えず進歩する文明を築き得る」(コント「社会組織に必要な科学的作業のプラン」、中央公論社、世界の名著第46巻、132頁)
人間の精神は、科学や技術の発達において、最も優秀な知性の持主をも超越する所定のコースをたどる」(コント「社会組織に必要な科学的作業のプラン」、中央公論社、世界の名著第46巻、94頁)
 (=ブログ作成者)に言わせてもらえば、これらの学者ら?の言説は、論理破綻している。なぜなら、そもそも完成した人間とは何かの意味・内容は、決して理論的(理性的)に定義できない、からである。
 「決して定義できないもの」に対して、それが「完成する」とか、それが「有限無眼である」とかいっているのだ。こんな言説自体が彼らの理性の異常性を証明している。だから、理性の異常者の唱える理性の完成可能性」や「完成の無限性」など誰が信じようか
 上記に掲げた「理性主義」の思想家著作を、精神的に正常な人間が読めば、仮定空想妄想連鎖からなる誤謬・妄論であることにすぐに気付く。
〔→ただし、作者等は、その虚構虚偽を隠すために、難解な用語を不必要に羅列する。さらに、一般的な政治用語の意味を、用語名を変えずに独自の特殊な意味に変形して用いる。あるいは、転倒論理を駆使したりする。だから著作の本旨を見抜くには、読者が、正統な保守思想哲学)を十分に所持していることが前提である〕《正常でない人、正常であって正統な保守思想(哲学)を持っていない人間は、逆に洗脳されてしまう。
 マルクスエンゲルスの『共産党宣言』の最初の1行目を見よ。
 「これまでのすべての歴史は階級闘争の歴史である
この大前提から既に、明白な虚偽虚構出鱈目である。
 例えば、日本国2000年以上の歴史において「階級闘争」など、皆無と言ってよい。
 武士身分に対する農民身分の一揆などが頻繁に起こったのは歴史事実である。しかし、それは、過重な徴税・徴発などを課された農民身分による、武士身分に対する抗議抵抗運動であったに過ぎない。その抵抗運動によって農民身分が武士身分を打倒し身分秩序を転覆させようなどと意図したことなど皆無である。これまでのすべての歴史は階級闘争の歴史であるなどというのは、日本国の歴史事実に反する
 ただし、このことは、「日本国全体としての歴史事実」という「国家の歴史」を考察するという前提条件下での結論ある。あらゆる時代に日本国内のある地方で、そのような身分秩序の転覆を意図した闘争運動や事件が、部分的にあったかもしれないことを否定するものではない
 人間は不完全である。だから、日本国の一部に、そのような考えを抱く人間や集団がいて、そのような運動を行なった事実があったとしても何の不思議もないし当然のことでさえある
 しかしながら、日本国全域・全体に及ぶような大規模な身分秩序の転覆運動転覆闘争は、「日本国の歴史事実」の考察の結果としては「皆無」であり、「存在しない」という意味である。
 言いかえれば、自己の哲学的イデオロギーに都合のよい、日本国のある時代のある一部の運動を抽出して、いかにもそれが、その時代の日本国全体歴史運動であるかのように、こじつけ的牽強付会的解釈し、この牽強付会的な歴史解釈を歴史の時間軸にそって各時代について行い繋ぎ合わせておく。そうして、歴史及び人間が理性の発展法則〔=ヘーゲル観念的弁証法マルクスエンゲルス唯物弁証法などにしたがって発展過程をたどる」などと、創造する試みは、「フィクション」に過ぎない。このようなフィクションは、日本国の歴史事実」の考察としては虚偽誤謬であり、ある種のイデオロギー的目的を達成するための歴史の哲学的解釈あるいは、「歴史のイデオロギー的誘導にすぎないということである。
 ヘーゲルの「世界精神」や、マルクス唯物史観の「二大階級論」「階級闘争」は、このフィクションの典型である。
 ヘーゲルの『歴史哲学』における「世界精神」について、は歴史学者ランケに師事した、19世紀ヨーロッパ最大の歴史学者保守主義者ヤーコプブルクハルトが著書『世界史的考察』で、その誤りを痛烈に批判している。
 マルクス二大階級闘争論については、スペイン保守主義者であるオルテガが『大衆の反逆』で述べているとおり、
19世紀ヨーロッパは世界史上まれにみる大繁栄の時代でありプロレタリアートなる階級など存在しなかった
 ただし、ここでも同様に、プロレタリアートという貧困者からなる一つの階級層などは存在しなかったという意味であり、ヨーロッパ各地に貧困者が存在したという事実を否定しているのではない。
 つまり、マルクスエンゲルス共産党宣言』は、その一行目から、日本国以外のヨーロッパ諸国の歴史においても、一部分の事実から全体の事実捏造し、歪曲しているのである。《隣国のあの「歴史認識」のパターンである。》
 ヨーロッパ全体の観点で観た19世紀という時代は、貧困者・中間所得者・富裕所得者まですべての人間の混成状態であった。《武士という身分の中にも、貧困から富裕までいたように。農民にも、貧農から富農までいたように。逆に、貧困身分などというようなものはなかったということ。》19紀以前のどの時代よりも最も裕福な時代であったオルテガは言っている。
 だからこそ、大衆自分の時代自分たち自身を過去のどの時代よりも最も優れた、偉大なものだ錯覚し、過去への尊敬の念を忘却し大金持ちの「慢心しきったお坊ちゃん」のわがままさ傲慢さ弄んでいる警鐘を鳴らしたのである。
20100627ブログ掲載

転載ここまで

ヒュームの道徳哲学をもとに、「日本国の歴史事実」に学ぶのは 7−2へ


転載元転載元: オノコロ こころ定めて

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がんばって勉強します。
やっぱり難しい。(>_<)

2010/7/5(月) 午後 10:54 [ - ]

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なんだかなぁさん

自分は解説ないと チンプンカンプンです・・)

2010/7/6(火) 午前 4:27 あまのじゃく


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