この大前提から既に、明白な虚偽・虚構・出鱈目である。
例えば、日本国の2000年以上の歴史において「階級闘争」など、皆無と言ってよい。
武士身分に対する農民身分の一揆などが頻繁に起こったのは歴史事実である。しかし、それは、過重な徴税・徴発などを課された農民身分による、武士身分に対する抗議・抵抗運動であったに過ぎない。その抵抗運動によって、農民身分が武士身分を打倒し、身分秩序を転覆させようなどと意図したことなど皆無である。「これまでのすべての歴史は、階級闘争の歴史である」などというのは、日本国の歴史事実に反する。
ただし、このことは、「日本国全体としての歴史事実」という「国家の歴史」を考察するという前提条件下での結論ある。あらゆる時代に日本国内のある地方で、そのような身分秩序の転覆を意図した闘争運動や事件が、部分的にあったかもしれないことを否定するものではない。
人間は不完全である。だから、日本国の一部に、そのような考えを抱く人間や集団がいて、そのような運動を行なった事実があったとしても、何の不思議もないし当然のことでさえある。
しかしながら、日本国全域・全体に及ぶような大規模な身分秩序の転覆運動・転覆闘争は、「日本国の歴史事実」の考察の結果としては「皆無」であり、「存在しない」という意味である。
言いかえれば、自己の哲学的イデオロギーに都合のよい、日本国のある時代のある一部の運動を抽出して、いかにもそれが、その時代の日本国全体の歴史運動であるかのように、こじつけ的・牽強付会的に解釈し、この牽強付会的な歴史解釈を歴史の時間軸にそって各時代について行い、繋ぎ合わせておく。そうして、歴史及び人間が「理性の発展法則〔=ヘーゲルの観念的弁証法〕やマルクス/エンゲルスの唯物弁証法などにしたがって発展過程をたどる」などと、創造する試みは、「フィクション」に過ぎない。このようなフィクションは、「日本国の歴史事実」の考察としては虚偽・誤謬であり、ある種のイデオロギー的目的を達成するための「歴史の哲学的解釈」あるいは、「歴史のイデオロギー的誘導」にすぎないということである。
ヘーゲルの「世界精神」や、マルクスの唯物史観の「二大階級論」「階級闘争」は、このフィクションの典型である。
ヘーゲルの『歴史哲学』における「世界精神」について、は歴史学者ランケに師事した、19世紀ヨーロッパ最大の歴史学者で保守主義者のヤーコプ・ブルクハルトが著書『世界史的考察』で、その誤りを痛烈に批判している。
マルクスの二大階級闘争論については、スペインの保守主義者であるオルテガが『大衆の反逆』で述べているとおり、19世紀ヨーロッパは、世界史上まれにみる大繁栄の時代であり、プロレタリアートなる階級など存在しなかった。
ただし、ここでも同様に、プロレタリアートという貧困者からなる一つの階級層などは存在しなかったという意味であり、ヨーロッパ各地に貧困者が存在したという事実を否定しているのではない。
つまり、マルクス/エンゲルスの『共産党宣言』は、その一行目から、日本国以外のヨーロッパ諸国の歴史においても、一部分の事実から全体の事実を捏造し、歪曲しているのである。《隣国のあの「歴史認識」のパターンである。》
ヨーロッパ全体の観点で観た19世紀という時代は、貧困者・中間所得者・富裕所得者まですべての人間の混成状態であった。《武士という身分の中にも、貧困から富裕までいたように。農民にも、貧農から富農までいたように。逆に、貧困身分などというようなものはなかったということ。》19紀以前のどの時代よりも最も裕福な時代であったとオルテガは言っている。
だからこそ、大衆は自分の時代と自分たち自身を過去のどの時代よりも最も優れた、偉大なものだと錯覚し、過去への尊敬の念を忘却し、大金持ちの「慢心しきったお坊ちゃん」のわがままさと傲慢さを弄んでいると警鐘を鳴らしたのである。
がんばって勉強します。
やっぱり難しい。(>_<)
2010/7/5(月) 午後 10:54 [ - ]
なんだかなぁさん
自分は解説ないと チンプンカンプンです・・)
2010/7/6(火) 午前 4:27