沖縄のあまのじゃくの感想。

地元沖縄を敢えて褒めない自分でも変わっていると思う(・∀・)

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以前、ブログで 「祈り」 という記事を書かせていただきましたが、
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/11953514.html
そちらに載せていた、被災地を歩くお坊さまのことが、ほかのブログさまの記事でわかりました。


そちらから、転載させていただきます。
今、「われわれが仏教に求めているもの」 を体現していらしゃる姿 として、
とても感動し、そして衝撃を受けました。

もし、お時間があれば、ご覧くださいませ。




http://livedoor.2.blogimg.jp/netacube/imgs/5/9/591b0d37.jpg
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20110405/1301994116


山本宗補の雑記帳 さまより転載
http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/


鎮魂の読経〜生きた仏教



写真は津波被災地で「鎮魂の読経」をし続ける禅僧。撮影地は宮城県気仙沼市本吉町。禅僧は小原宗鑑さん(28歳)。小原さんは、4月2日に宮古市から読経行脚を開始した。4月6日の朝日新聞の一面に、雪の降る釜石内で読経する小原さんの写真が大きく掲載されたため、全国の読者が感動したに違いない。

私もその写真を見て心を動かされ、小原さんの取材をしたくなり、取材に行ってきたわけだ。ともかく、取材させてもらい、小原さんという若い僧侶の存在と活動、彼の生き方に直に触れることができた収穫は計り知れない。「生きた仏教」を目の当たりにした気持ちだ。これほど一心不乱に読経を続け、歩きつづけ、合掌し続けることができるのかと心で感動しながら、彼に密着させてもらった。いまでも小原さんの写真をセレクトし、色調整をしているだけで、突然ジ〜ンときて目頭が熱くなってしまうほどだ。

被災地は小原さんが毎月のように、鉢を持ち網代傘で托鉢に歩いた馴染みの街だという。小原さんはひたすら歩き、鈴を鳴らし、立ち止まり深々と頭を下げる。歩きながら読むお経は「舎利礼文」。火葬場などで遺族が骨を拾う際に唱えられるお経だという。「師匠から、私は何もできないことを学びなさいといわれた。瓦礫を前にして、何か知らないけど、ただ謝るしかない」。小原さんはそうした思いで読経行脚を続けながら、被災地を南下しているのだが、初日はあまりに圧倒されて、無言で頭を下げて回っただけだったという。

小原さんは岩手県盛岡市内にある臨済宗系の石雲禅寺で修業する副住職。石雲禅寺は単立寺院ということで、臨済宗の妙心寺派とか南禅寺派とかに属してはいない。小原さん自身は京都の大徳寺(訂正済み)僧堂で3年間の修行を積んだ。彼の活動が伝統仏教の枠にはまらないのは、石雲禅寺とその寺を創立した小原さんの師匠によるところが大きい。ここでは師匠については、まだきちんと書くほどの情報も持っていないので触れないでおく。


彼の鎮魂の読経こそが、日本仏教界に属する数多いるお坊さんたちの切羽詰った行動として、この大震災の被災地で私が期待していたものだった。3万人に及ぼうとする死者行方不明者。家族や親族を失い、住むところも、収入を得る場も全て失った膨大な被災者。

これほどの悲しみや苦しみの現場を前に、伝統仏教界は僧侶としてできることをきっと果そうとすると期待した。先月24日からの二度目の被災地取材では、都内の5人の僧侶に同行して釜石市に入ったが、現地での地元仏教会などとの入り組んだ事情のために、結果として5人の僧侶は被災地での読経奉仕を形にできないまま帰京した。

続きは、どうぞ 元記事のブログ主さま記事



(4月22日付記:下の写真は宮城県女川市の仮埋葬地。宗鑑さんと二人の尼僧さんが、一体一体、丁寧に弔いの読経を上げた。尼僧さんは、石雲禅寺の吉田慈光さんと、京都の京丹後市から駆けつけた荒川宗範さん)





いちばん上の写真を 目にしたとき
私は、雷に打たれたような衝撃を受けました

あるべき姿に出くわしたとき
人間は感動というか・・・
大きく心を動かされるのかもしれません


「ありがたいという姿」、まさにそうでした


 

転載元転載元: successのブログ


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