世の中捨てたものじゃない…やさしさを感じる15のエピソードソース
http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/2/8/28c29ccf.jpg 世界がやさしく感じる15のエピソードご紹介します。 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 以上15のエピソード。
世の中捨てたものではありませんね。
様々な国には様々なエピソードがある
地球はでかいな(^^)
そして空はつながっている。
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世界系
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【ISIL邦人殺害】後藤さん殺害か ネットに動画投稿★14 覚悟はしていましたが、ついにやってきました。卑劣なテロリストによる後藤さん殺害。湯川さん後藤さんと二人の日本人が悪魔どもの犠牲になりました。
海外の反応を見ているんですが、世界中の多くの人がイスラム国を非難し後藤さんの死を悼んでいる中で、おそらく朝鮮人と思われる連中だけが日本を侮辱し嘲笑していました。2ちゃんねるでも在日と反日左翼どもは、「すべて安倍が悪い」とこの期に及んで政権批判、テロリストも卑劣ですがそれを利用してプロパガンダする連中の非道さはどうでしょう?まさに鬼畜としか言いようがない。一番悪いのはイスラム国に決まってるだろうが!(怒)
私も安倍政権の対応が完璧だったとは言いません。ただ現行憲法下ではこれが限界だったのも事実。憲法9条を変えなければ海外邦人救出のために自衛隊が出動する事も出来ない。この事件を貴重な教訓とするなら憲法改正議論が湧きおこらなければおかしい。そして、同時に日本国内で蠢いていたテロ協力者もあぶりだし厳しく処断しなければなりません。すくなくともテロリストの主張を代弁し政権を非難した何人かの国会議員と売国マスゴミはその責任を取ってもらう。
本来なら北朝鮮拉致事件が明るみになった時点で憲法改正し、武力奪還を可能にすべきだった。武力奪還というオプションをみずから捨てたために北朝鮮が日本を舐めふざけた態度に出ているのです。その前に押し付けの占領憲法がなかったら拉致事件自体起こらなかった可能性が高い。なのにこの期に及んで、安倍さんは北朝鮮拉致被害者の武力奪還を有り得ないと否定しています。おそらく大多数の日本人も同様なのでしょう。
平和ボケの日本人が考えている以上に世界の現実は厳しい。目には目を、歯には歯を!というのが普通。そこには綺麗事など一切ない。世界の歴史を見てれば自然に分かる事。今回の事件を機に日本人が覚醒してくれる事を願います。でなければ日本は世界中から侮られ惨めに滅んでいくしかないと思います。
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クリミア半島、世界史に興味のある方なら百も承知ですがもともとウクライナとは別の国・地域で、もちろんロシアとも何の関係もありません。ロシア帝国拡大の過程で征服されただけ。
古代はキンメリア人やスキタイ人の天地。半島南部にはギリシャ人の植民都市ができゴート族、フン族、ハザールなどの侵攻を受けました。ビザンツ帝国にも属したしモンゴルのキプチャク汗国の領土にもなりました。キプチャク時代後期、遊牧国家が分裂するとクリミア半島には一方の雄としてクリミア汗国が成立しています。ちなみにクリミア半島に遊牧民が栄えたのはよほど牧草地として好条件だったのでしょう。クリミア汗国などは最後までロシア帝国の拡大に抵抗した国でクリミア戦争の遠因の一つにもなっています。
クリミアン・タタールというのはこのクリミア汗国の人々で、そもそも論を言うなら彼らこそクリミア半島の正統な領有者であるはずです。しかしソ連のスターリン時代多くのクリミアン・タタールが中央アジアに強制移住させられました。クリミア半島は黒海の出口に当たる戦略上の要地なのでロシア人が多く進出し今に至っているのです。
現在はロシア人が人口の6割を占め、黒海艦隊の基地もあるためロシアはこの地を絶対に手放すはずないと思います。これを覆すには戦争するしかない。果たしてアメリカやEUにそこまでの覚悟があるかどうか?
その前に、いくらロシア寄りで腐敗していたとはいえ正統な選挙で選ばれたヤヌコビッチ大統領をクーデターで追放した暫定政府側に正当性があるのでしょうか?一説ではクーデター劇にアメリカCIAの関与も噂されそれを知っている各国はアメリカのロシア制裁に今一乗り気になっていません。
単純な民主化云々で語れるような生易しい問題ではないのです。ウクライナ自体もロシアから離れEUに加盟したい西側とロシアから離れると経済が破綻するのでそれに反対する東側とに分裂していると云います。ウクライナ問題がこじれると第3次世界大戦にもなりかねません。
日本にとっても北方領土問題を抱えているし、プーチンとは今のところ蜜月状態で状況打開の可能性も考えている安倍政権は、悩んでいると思います。安倍さんは、正直なところアメリカの勇み足に辟易しているところでしょう。現実的な解決策としては、ウクライナ憲法が云々などと屁理屈は言わないで民主的に住民投票で決めるしかないでしょう。クリミア独立もウクライナEU加盟も。
私がアメリカの態度で許せないのは、「対ロシア制裁でアメリカに同調しなければ尖閣で不測の事態が起こっても知らないぞ」と脅しをかけているところ。アメリカは尖閣施設建設にも猛反対し、支那に不必要な譲歩を繰り返し一つも日本のために働いてないじゃないか!(怒)口だけは尖閣も日米安保の範囲とかぬかしてますが、ヘタレオバマ政権が支那の核の脅しで尖閣危機にまったく動かない可能性だってあるんですよ。
アメリカは、自己の都合の良い時だけ日本を重要な同盟国扱いしますが、靖国参拝にも反対し韓国の主張は無批判で受け入れ捏造慰安婦で日本に圧力をかける始末。こんな国が果たして同盟国といえようか?
日本の戦後体制のラスボスはアメリカ。アメリカの圧力を跳ね返さない限り日本がまともな国になる事はない。といってことさらに敵対するのは愚の骨頂ですが、唯々諾々と従う属国ではなく、アメリカが間違っていたらやんわりと指摘できる対等な同盟国となる事を目指すべきじゃないか?
その意味では安倍外交は正念場を迎えているとも言えますね。このままアメリカに無条件で追従していてはいつまでたっても戦後体制から脱却できませんよ。日米同盟を基本路線としながらもアメリカに正当性がないごり押し外交に対しては賛同できないと堂々と主張できる国であってほしいと考えます。
追伸:
自国のパナマ運河支配のためだけにパナマをコロンビアから独立させたアメリカに、クリミアの独立ロシア編入を批判する資格はないのでは?
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グレンデールでの動きは近くのブエナパーク市で2週間後に開かれた同種の公聴会にも余波を広げた。同市でも韓国系勢力が慰安婦碑の設置を目指しているが、こちらの公聴会ではグレンデールでの激しい反対意見が提起さ
慰安婦像 沈黙は後退 ワシントン・古森義久米国グレンデール市での慰安婦像の設置は日本の将来に禍根を残す出来事である。だがその過程では、米国を舞台とする慰安婦問題論議で地元の日本人社会の反対が初めて全米に知られることとなった。草の根で初めて表明された強い反対は、近くの市での同種の動きにすでに影響を及ぼし始めたようだ。
グレンデールでは7月9日の市議会の公聴会で、証人27人のうち20人までが像の設置に明確な反対を述べた。大多数は同市内外に住む日本人男女だった。傍聴まで含むと同公聴会への参加は総数100人ほどだったが、うち7割が日本側で、反対の意を議事の合間にも明示したという。
韓国や中国の意を体する勢力が超大国を利用して日本を攻めるという構図の米国での慰安婦問題は、河野談話の出た翌年の1994年ごろから始まった。米国の司法、行政、立法からメディア、学界までに働きかけた韓中ロビーは2007年、下院での日本非難決議を採択させた。最近は州や市のレベルでの決議や像設置を狙っている。
20年もの対日糾弾工作に対し、米国の公式の場で日本側が反論や反撃したことはまず皆無だった。グレンデール市での証言がその記録を破ったことになる。
この公聴会のすべてを傍聴した現地在住の今森貞夫氏が報告する。
「日本人証人たちは韓国側の慰安婦を性的奴隷と決め、日本の謝罪も賠償もすんでいないとする主張に対し、商業的な売春であり、国家間の清算がすんでいることを中心に反論しました。外国政府間の案件に米国の地方都市が関与することの不当性も強調しました」
在米26年、経営コンサルタントの今森氏によると、証言した日本人はみな地元の米国社会のメンバーであり、大多数が永住権を持つ。ただし米国生まれの日系米人はいない。日本の政府はもちろん大企業の駐在員も留学生もおらず、文字どおり米国社会に根を下ろした日本人たちなのだという。
公聴会後の市議の表決では慰安婦像設置が決まったが、日本人の証言は米メディアで幅広く報じられた。
「反対派の証人は、慰安婦たちが志願した売春婦であり、性的奴隷ではなかったと述べた」(NBCテレビ)
「証人の一人は日本軍が女性を強制連行したことはなく、米国の市が日韓問題にかかわるべきでないと主張した」(ロサンゼルス・タイムズ)
「日本人の女性証人からは碑の設置は戦時の憎しみをあおりたて、子供たちに悪影響を残すだけだとの意見が出た」(NPRラジオ)
とくに地元の日系社会で読まれている「羅府新報」英語版は日本側の証人たちの名前をあげて、主張を詳しく紹介した。だが各メディアがみな報じたのは証人たちのリーダー格の目良浩一氏(元ハーバード大学助教授)の発言だった。「韓国側の慰安婦についての主張は捏造(ねつぞう)だ」とする同氏の証言はニュースの一部として幅広く報道された。
グレンデールでの動きは近くのブエナパーク市で2週間後に開かれた同種の公聴会にも余波を広げた。同市でも韓国系勢力が慰安婦碑の設置を目指しているが、こちらの公聴会ではグレンデールでの激しい反対意見が提起され、審議にあたる市会議員5人のうち3人が設置反対に傾いてしまったというのだ。
やはり米国での発言は欠かせない。黙っていれば、後退があるだけなのだ。(ワシントン駐在客員特派員) |
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宮崎淳さんは2011年10月に起こったトルコの大地震を救援するため「国際NGO 難民を助ける会」のメンバーとして活動されていましたが、宿泊したホテルが翌月の余震によって倒潰し、救出はされたものの病院で亡くなっておられます。
写真は現地で慕われていた宮崎さん、そして丁重な葬儀の式典です。
日本とトルコの強い絆については良く知られていますが、御存じない方は一番下の報道記事に簡単に載っていますのでご覧ください。
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トルコ:宮崎さん忘れない…地震救援、死亡 銅像も設置へ毎日新聞 2013年02月03日 10時19分(最終更新 02月03日 12時49分)
http://img.mainichi.jp/mainichi.jp/select/images/20130203k0000e040125000p_size5.jpg
トルコで制作中の宮崎淳さんの銅像=エンシジ・ムラートさん提供
11年11月、トルコ東部の大地震の救援活動中に亡くなったNPO法人職員の宮崎淳(あつし)さん(当時41歳)=大分市出身=の銅像が今夏、トルコ国内の黒海に臨む「ミヤザキ・パーク」と名付けられた公園に設置される。「被災者を救おうとトルコまで来てくれた宮崎さんのことを忘れないように」と、公園がある市の市長が企画した。宮崎さんの母恵子さん(69)は「悲しみは癒えないが、遠いトルコの方々が息子の活動をたたえてくれて元気が出る」と話している。
トルコ東部をマグニチュード7.2の地震が襲ったのは11年10月。多数の人々ががれきに閉じ込められた。宮崎さんは東京都のNPO法人「難民を助ける会」の職員として被災地に入ったが、11月9日の余震で宿泊先のホテルが倒壊し、亡くなった。会に入ったのは約3カ月前で、トルコは宮崎さんにとって初めての海外支援国だった。
銅像が設置されるのはトルコ西部のゾングルダク県コズル市。地元の芸術家が宮崎さんの顔写真を基に高さ約2メートルの銅像を制作した。昨年夏に市長と会った同県出身で福岡市在住のエンシジ・ムラートさん(36)によると、制作費を市が予算化した。市長は「東日本大震災後の報道を見て、日本人の我慢強さに感動した。その後に、トルコで日本人が犠牲になり、とても悲しかった」と話していたという。公園には既に「ミヤザキ・パーク」と書かれた看板がある。
◇各地の公園、診療所に「ミヤザキ」命名 「難民を助ける会」によると、トルコでは、宮崎さんが亡くなった東部ワン市の大学内の診療所や高校の実験室、イスタンブール市の防災用の公園など、既に複数の場所に宮崎さんの名前を冠した名称が付いているという。特に被災地では宮崎さんの名前は多くの市民の記憶に残っているといい、恵子さんは「昨年5月に被災地を訪れた時に、子供たちからも『宮崎さん』と声をかけられ、胸が詰まった」と話す。
「難民を助ける会」の堀江良彰事務局長は「宮崎さんが聞けば、照れくさがると思うが、彼の気持ちが銅像のような形で現地に残るなら、うれしい」と話している。【遠藤孝康】
◇親日国のトルコ◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮崎淳さんにトルコ全土で哀悼の意 大統領は天皇陛下に感謝の書簡2011/11/14 19:10 (J-CASTニュース)
トルコ東部で発生した地震で、救援活動のため現地を訪れていたNPO法人「難民を助ける会」の宮崎淳さんが亡くなったことに、トルコではインターネット上で哀悼の意を表す人が現れている。 トルコの大統領は天皇陛下に書簡を送り、宮崎さんへの弔意を示した。遺体がトルコを離れる際は、空港でトルコ政府によるセレモニーが行われた。
「トルコ国民は自己犠牲の精神を決して忘れません」http://www.j-cast.com/images/2011/news113088_pho01.jpg
トルコ外相はツイッターで「宮崎さんの家族は我々の家族だ」とつづった トルコ東部では現地時間2011年11月9日、マグニチュード5.7の地震が発生、宮崎さんが宿泊していたホテルが倒壊した。数時間後に救出、病院に搬送されたが、その後亡くなったという。
同地では10月23日、死者600人に上る大地震が起き、宮崎さんは現地で救援活動に携わっていた。そのさなかに被害に見舞われ、日本だけでなくトルコの人たちも胸を痛めた。事故後ツイッターでは、英語で「勇敢な宮崎さんの死を大変悲しんでいます」「宮崎さんこそ手本となる人物だ」といった、宮崎さんを称える書き込みが見られる。「日本の皆さんに申し訳ない」との言葉もあった。
在日本トルコ大使館は11月11日、ウェブサイト上で宮崎さんの活動について、「感謝と敬意とともにいつまでも我々の記憶に留まるでしょう」との声明を発表した。だがトルコ側の「思い」はこれだけにとどまらない。
トルコの英字紙やカタールのアルジャジーラ(英語版)は、トルコのアブドラ・ギュル大統領が天皇陛下に手紙を送ったと報じた。書簡の中でギュル大統領は、日本から送られた被災地への支援に対して「2国間の友好と親密さの証だと感じた」と記した後、宮崎さんと、今回の地震で負傷した「難民を助ける会」の近内みゆきさんについて触れ、
「私たちトルコ国民は、おふたりの自己犠牲の精神を決して忘れません。被災地・バンにおける献身的な活動を通じて、私たちの心の中に長く記憶されることでしょう」 と最大級の賛辞を贈った。
またトルコのアフメット・ダーヴトオール外相も、ツイッターで「宮崎さんの家族は、これからずっと私たち(トルコ人の)家族だ」と投稿、大切な家族の一員を失った宮崎さん一家の心中に配慮したメッセージを送った。
イスタンブールの空港でトルコ政府が式典宮崎さんの遺体は現地時間11月12日夕方、トルコを離れた。出発前にはイスタンブールの空港で、トルコ政府による追悼式典が催された。ひつぎは日の丸に包まれ、政府関係者や現地の救助隊員が見送った。被災地のために活動した宮崎さんへ、最大限の敬意を示したものと考えられる。ひつぎは14日、大分市の実家に到着した。
日本とトルコは、地理的には遠く離れているが双方で「助け合い」の歴史を刻んできた。古くは1890年、紀伊半島沖で当時のオスマン帝国の軍艦が沈没した際、近隣住民が生存者を介抱して最終的には日本側がトルコに送り届けた「エルトゥールル号遭難事件」が挙げられる。これに対してトルコは、イラン・イラク戦争さなかの1985年、イランに取り残された日本人を脱出させるため撃墜の危機があるにもかかわらず航空機を派遣し、救出に成功した。
両国はまた「地震国」との共通点があり、一方が震災で大きな被害を出すともう一方が救助の手を差し伸べてきた。1999年8月、死者1万7000人以上を出したトルコ北西部地震では、日本政府がすぐに人命救助隊を派遣。外務省によると、95年の阪神淡路大震災で救援活動を経験した隊員も送っている。また震災復興として、236億円の緊急円借款供与と、約5億2800万円の緊急物資・無償援助を実施した。これに対してトルコも2011年3月11日の東日本大震災で、赤十字社に相当する赤新月社から援助隊約30人が来日し、被災地での救助活動にあたった。トルコ政府は、飲料水や毛布といった物資も提供している。
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