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敦盛
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
織田信長が好んで舞ったと伝えられる能に敦盛があります
能には興味はわかないのですが19歳の時にある本でこれを知りました
以来、どういうわけか?自分の死生観と似ていると感じてしまい
未だにその想いは変わりません
簡単に云うと「自分の命より大切なものがある」そんなところでしょうか?
上手く云えませんがつまり座右の銘です
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日本軍は命がけで沖縄県民を守った!
↓
社会科教科書の検討をクリックし1/3位下に有ります。
<父母を疎開させるために那覇港に見送りに来たら、水兵がたくさん艦から降りて来て、「艦長命令です! 全員乗ってください。まもなく米軍は上陸します」ということで、そこにいた人力車の車夫から労働者まで、片っ端から三隻の艦艇に乗せられたそうです。そして、那覇港を出ると高速で「『の』の字運動」を繰り返しながら熊本の三角港に入り、その結果、この一家は全員助かりました>
<警察官は逃げていないものですから、憲兵が各家を一軒一軒回って避難誘導したんです。そのことを富名腰(ふなこし)ツルさんというお婆ちゃんが今から十年前に証言しています。「自分の家で死ぬのが本望です」と言ったら憲兵に叱責されたと言うんです。「死に急ぐな!生きることを考えなさい」と言って説諭され避難壕に誘導された。その憲兵は避難住民に兵糧まで配給し、「勝利の日にまた会いましょう」と言って敬礼をして、そしてまた戟場に戻って行って戦死されたそうです>
<このひめゆり部隊を引率している陸軍の将校や下士官たちが、「あなた方は生きて沖縄のために尽くしなさい」と言いました。すると、女子学徒は何と言ったと思いますか。「死ぬ時まで一緒と言いながら、ここに至って投降せよと言うんですか」と喰ってかかっているのです。こういった証言がいくつも残っています。
そこで、帝国陸軍の将校や下士官たちは抜刀して「ここまで言っても分からぬのか、たたっ斬るぞ」と言って、壕の外に追い出して投降させているのです。そういうふうにして救助されて、今日、生きている当時の女子学徒が多数いるのです>
沖縄の皆さん、
この記事を肯定なされますか
それとも
否定なされますか?
私は当時を知りません、
ただ真実を知りたいだけです。
ただ…
沖縄で戦争の犠牲に成られたのは沖縄県民だけでは無い事は事実ですよね。
多くの若者が特攻機や回天等で命を投げ出してまで戦ったのも事実でしょうね、その特攻隊員は全員沖縄県民っう事は無いでしょう、聞くところでは当時日本だった朝鮮民族の方も特攻されたそうですよ。
水上特攻の戦艦大和に女性用衛生用品が積まれた事実も最近わかって来ましたね、沖縄県民を心配された賢所からの要請で沖縄海岸に乗り上がり陸上砲塔をめざした大和に搭載された様です。
沖縄戦で多くの沖縄住民の生命が奪われた事も事実ですが、東京都民も、広島市民も、長崎県民も多くの命を失いました、中小都市の岡山だって倉敷だって多くの市民が犠牲に成った事も事実なんです、
私の父だって叔父さんだって、否、当時の日本人すべてが犠牲者と言えなくも無いでしょう、
日本国民だけでなくアジア人全員が犠牲者と言ってもおかしくは無いだろう、アジア人に被害を与えたのは白人優位思想の欧米人であろう。
本当はアジア対欧米の争いの世界最終戦争ハズだったんですが、中国がなぜだか欧米側に付いたのが最大の失敗だったんです。
沖縄での日本軍悪玉説はこの辺に有りそうですね
沖縄作戦と集団自決 永江 太郎
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社会科教科書の検討をクリックし1/3位下に有ります。
<戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下援護法という)が改正されて、軍に協力した民間人にも拡大され、遺族や負傷者に「遺族給与金」や「障害年金」が支給されることになり、集団自決にもそれが軍の命令や強制によるものであれば適用されることになったからである。これは島暮らしの苦しい生活をしていた渡嘉敷村や座間味村の集団自決者の遺族にとって正に干天の慈雨であった>
私は上にも書きましたが、
真実が知りたいだけです。
真実を知る方々は毎日毎日少なく成って行きます、どうか命ある内に真実を語り残しておいてください、
勿論、沖縄以外の地域も同じです、内地の状況、外地での事実を語り残しておいてください、正義は時代と権力者で変化するでしょうが、有ったという事実無かったという実を正確に残すことはその時代を生きた方の責務だと思います。
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天皇陛下、皇后陛下 御尊影(皇紀2671年天長節)
『生まれて以来人は自分と周囲との間に一つ一つ橋を架け、
人とも物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています・・・・・ この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、 自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し 自己の確立をうながしていくように思います』 皇后陛下におかせられましては、ご成婚50周年を記念して「橋をかける」を出版あそばされた。上記はその一節です。
謹んで御本の一部を抜粋させていただきます。
教科書以外にほとんど読む本がなかった疎開先で、たまに父が東京から持ってきてくれる本は、どんなに嬉しかったか。 ご来訪いただいている皆様は、皇后陛下の祖父母様が共に熱心なカトリック教徒であられたことはご存知だと思います。
皇后陛下も洗礼は受けておられませんが、ミッション系の聖心女子大学でカトリック信仰について多くを学ばれました。
キリスト教についても多くの知識をもっておられ、そのことが諸外国の多くの方々から敬愛される一因にもなっています。
世界に日本の精神を発信される国際人としてご活躍されてきた皇后陛下の素地は、ご幼少の頃、疎開先で自然界と触れ合い、日本の原型である神話を学ばれたことにあるように思います。
「真の日本人・真の国際人」はまず自国の成り立ちを知り、その上で他国の文化、伝統を知っていることではないでしょうか?
筆者が師と仰ぐ、さくらの花びら大兄が先日、「日本の歴史を知らない日本人」と題して、秀逸な記事を書かれました。
歴史を知らないから祖国への誇りも持たない、愛国心も生まれないのです。政治家においては、正しい史観を持たないから諸外国に媚びばかり売るのです。
戦後、教科書に墨をぬらされたことから分かるように、我国は連合国の占領を受けたことで、教育の内容は大きく変えられてしまいました。建国の歴史を教えなくなったばかりか、日本の素晴らしい精神についても教えることができなくなりました。連合国が日本を占領した目的は一つしかないのです。我国が将来に亘って二度と連合国に刃向うことがないように「我国を骨抜きにすること」であったのです。連合国は、日本人と神道の関係を断ち切り、建国と神話の教育をやめさせ、日本人の心のなかから日本人の精神を抹消しようとした。その結果が荒廃した現在の世相に現れています。
現在の政治・経済のもたつきは、戦後教育を受けた世代の顕著な例です。
歴史学者として知られるアーノルド・トインビー博士は「十二、三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と述べています。
また、一つの民族を滅ぼすには、一定期間「母国語」と「歴史」を奪えばその民族は消えてなくなると言われています。
かっての征服者は、征服した地では、言語と歴史を奪いました。
それだけ、国語と歴史は大事なものなのです。
現世の人々は、「神話」とは古代の人が作った「ただの神ばなし、昔ばなし、一種の小説のようなもの」と考えているようですが、日本の神話が私たちの祖先から連綿と伝えられて来たということには誰も異存はないはずです。
伝承、文化を蔑ろにして葬り去ってしまうことは、祖先をないがしろにすることでもあり、民族意識を失うことであり、自然の摂理に反していることはいうまでもなく、淘汰される運命にあることも自然の摂理のように思います。
皆さんもご存知のとおり、祖国を失ったユダヤ人が二千年以上に亘って民族としての誇りや団結力を維持して来たのは、ユダヤ神話を信じ、精神的国家としてつながっていたからで、民族の神話がいかに大切なものであるかの証左でもあるのです。
『古事記』の神代の段(くだり)は、天地開闢から人間界の成り立ちに至るまで詳細に記されており、歴史的な連続性をもった世界に類を見ない古伝承です。
神話を知ることにより、日本民族としての誇りや団結力を取り戻し、実際面でも真の独立国家になり得るものと信じています。
我国は一国一文明一王朝の世界でも類のない素晴らしい国です。
万世一系の畏くも天皇陛下を戴く民族です。
皇后陛下のお話が民族のありかたを示されているのです。
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きのうエアーフェスタを観に行きました
姪っ子が気にいっていたのが「ブルドーザーやトラックの運転席」
その横には活動状況写真あり被災地の子共の事を思い出しながらみてました
もうすぐクリスマス・大晦日・正月とあります 自分にとってはクリスマスはどうでもよいんですけど子共には楽しみな事でしょう
どうしているんだろうか? あの姉弟・・)
今年7月22日 夜中にこれを知って涙が溢れたのを思い出しますし今も・・
糸満市ブログ参加中 小さな街〜素人感想発信中・・情報受信中
支援の車に「ありがとう」 福島の姉弟手振り続け3カ月
http://www.asahicom.jp/special/10005/images/TKY201107200246.jpghttp://www.asahicom.jp/images08/common/icn_zoom.gif警視庁の車に手を振る広野あみさんと諒君=福島市飯野町青木、山吉写す
福島県の沿岸部の被災地と福島市を結ぶ国道114号沿いに
毎日朝と夕、小学生の姉弟が立っている。
福島市立青木小学校6年生の広野あみさん(12)と
4年生の諒君(10)。
行方不明者捜索などで行き来する警察や自衛隊の車両に手を振り続け、3カ月になる。
夕方、福島市飯野町青木の峠道。警視庁のパトカーが来た。
2人はカレンダー裏に書いた「おかえり!!」「いつもありがとう」の
メッセージを急いで広げ、手を振って「お疲れさまでした」と大きな声をかけた。
警察官も手を振り返した。
始業式だった4月6日、通学路の国道114号は全国から派遣された警察と自衛隊の車両が連なり、横断できないほどだった。
「大きくなったら、人を助ける仕事がしたい」という諒君が、登校前と下校後に手を振るようになった。
やがてあみさんも加わった。
車が多く通る時間に合わせ、平日は午前6時20分と午後4時半からそれぞれ1時間余り国道脇で待つ。
1日も欠かさず、雨の日もカッパを着て立つ。
手作りのメッセージボードは雨にぬれ、今は五つ目だ。
「警察や自衛隊の人が手を振ってくれるのがうれしい」とあみさん。
活動の最終日に車から降り、記念撮影をしてくれる警察官や自衛官も多い。
2人の自宅には各地からたくさんの写真や手紙が届く。陸上自衛隊福島駐屯地は「君たちの応援は私たちの大きな力となり、活動の原動力となっています」。
警視庁第6機動隊は「時にはつらい時もありますが、諒君とあみちゃんが応援してくれたおかげで、とても勇気づけられました」とお礼を書いた。
「2人の根気には脱帽です。好きでやっているから苦にならないんでしょう」と母親の清美さん(36)は見守る。
夏休みもしばらく続けるというが、最近は支援部隊の撤収が進み、
1台も通らない日もある。
「それはそれで、いいことなんだよね」と親子で話し合っている。 |
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教育勅語
明治23年(1890年)10月30日121年前の今日、畏くも明治天皇陛下より「教育ニ関スル勅語」が渙発されました。
荒廃した今日の日本社会、およそ日本人の政党ではないのではないかと疑いたくなる民主党政権の横暴、国民、権力と化したマスコミ、東日本大震災後の風評被害、すべて戦後教育の歪みであります。
素晴らしい人材を輩出し、崇高な精神を誰もが持ちえた戦前の日本と戦後日本を考え、教育勅語の日を迎えるにあたり、今一度、教育についてご考慮いただけたらと思う次第です。
輝かしい発展を遂げた明治日本。戦前の日本は道徳心溢れた国でした。一人一人に「奉公」の精神があり、国民相互にいたわりの精神がありました。
これらの根幹となった「教育勅語」の復活を強く願うものであります。
以下明治神宮HPより引用
引用終わり
明治天皇陛下による「教育ニ関スル勅語」は戦前まで日本国民の精神を培った教育基本法ですが、これは明治天皇陛下が新たに決めたものでもなく日本古来からの伝統であり教訓をこれを普遍的に続く道徳であるとして、明治天皇陛下みずからも努力して実践しようではないかと国民に呼びかけているものであり、陛下が一方的に国民に押し付けたものではありません。
戦後敗戦国となった日本は連合国に「教育勅語」を廃棄・失効させられ、これに代わって日本人の魂を狂わせ、戦後の教育や社会が悪化・堕落するように周到に仕掛けてあった社会科教育などの占領政策である。
現在の70歳以下の国民は戦後の教育で育ち現在の教育に何ら矛盾を感じないのです。
戦前は社会科という教科はなく、「修身・地理・歴史」という教科で学びました。
連合国は日本の精神の強さ、気品ある国柄を恐れ、再軍備し再び米国に立向かわないよう教育の場から「骨抜き」にしてしまったのです。
占領期間はわずかな期間で終わりましたが、占領政策に関しては倍の年数をかけています。
なぜなら、占領政策は「魂の原爆」となって、二度と米国に刃向かわないよう属国とし、日本の戦後60年の間、社会や教育悪化に深刻な影響を及ぼす骨抜き政策だったのです。
教育勅語こそ、先祖代々・明治以来百年の父祖の精神、品格ある国家と品格ある日本国民を生んだ大本だったのです。 連合国は、日本人を恐れ「教育ニ関スル勅語」を恐れたのです。
現在連合国の罠にまんまと嵌り、もがき苦しんでいます。
お国柄を忘れた夢遊病者のように・・・・
朕(ちん)惟(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう) 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つること深厚(しんこう)なり 我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に 億兆(おくちょう)心を一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美を濟(な)せるは 此(こ)れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す
爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相(あい)和し 朋友(ほうゆう)相信じ 恭儉(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし 學を修め業(ぎょう)を習ひ 以(も)って智能を啓発し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し、進んで公益を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開き 常に国憲を重んじ国法に遵(したが)ひ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以って天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし 是(かく)の如(ごと)きは 独(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以って爾祖先の遺風を顕彰(けんしょう)するに足らん
斯(こ)の道は 実に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 之(これ)を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず 朕爾臣民と倶(とも)に挙々服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(そ)の徳を一(いつ)にせんことを庶(こ)ひ幾(ねが)う
明治二十三年十月三十日
御 名 御 璽
園児達の教育勅語の暗誦が素晴らしい動画です。
教育勅語を暗誦する園児
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