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「ベトナムでは牛肉はあまり美味しくはないですよ。ベトナムでは、牛は労働力として使われて入れ、肉が固いのです。」とガイドがアドバイスをしてくれた。
ハノイからハロン湾までは、バスで4時間ほどかかる。この間ベトナムの農村で水牛が田を耕している姿を見ることができた。
「ベトナムではほとんど土葬をしています。あれが墓です。」と教えてくれた。「土葬であれば野犬などが墓を掘り起こすことはないのですか。」と質問すると、「墓を荒らす前に、人間に食べられてしまします。」との答えであった。
経済成長が著しいベトナムであっても、日本の50年以上前の生活であることを実感した。
アメリカに日本は負けたのに、北朝鮮はアメリカに勝てなかったのに、どうしてベトナムがアメリカに勝つことができたのかの疑問が頭の中を駈け巡った。
ベトナム兵が、「竹槍では戦えません。銃をもらえませんか。」と要求すると、ホーチミンは、「銃が欲しければ、相手の銃を奪い取ってこい。」と指示したと言われている。
アメリカが北爆を開始したときに、らい病患者の施設を爆撃していると大森 実が報道すると、駐日アメリカ大使のライシャワーが「全く事実に反する内容」と大森を名指しで批判した。そのため、大森は毎日新聞を退職することになった。その後、北爆をした兵士は、大きな建物がほとんどなく爆撃をするところが無かったことが明らかにした。ベトナムでは家内手工業で、大きな軍需工場がなかったのに、アメリカは軍事施設の空襲を行うという名目で行った。親日であったライシャワーさえベトナムのことを知らないために間違った内容を発表した。
ベトナム戦争での死者の数は、北ベトナムだけで、500万人であるに対してアメリカ兵は6万人である。アメリカが脅威を感じ終戦につながるテト攻勢では、アメリカ軍3,895人、南ベトナム軍兵4,900人、解放民族戦線5万8,373人であったとアメリカ軍は明らかにしている。
この数から、アメリカ人1人の死亡に対しベトナム人は100人が死亡していることになる。
因みに、アジアの植民地解放の戦いで始めて地元兵が勝利したディエンビエンフーの戦いでは、フランス人2,200人、ベトナム兵8,000人の戦死者が出ている。
ベトナム人には物がないだけでなく、お金も、地位も名誉も失うものが無かった。
何もないところを、破壊し屈服させようと思ってもできなかったのではないかと思う。あったのは、希望と命だけであった。
世界や社会を変革するにはすべてを捨てないいとでないことを教えている。
第2次世界大戦で日本がアメリカに負けたのは、日本民族という誇り(天皇制)という失うものを持っていたからかもしれない。
今年、日本では、東大闘争50周年になり、テレビで紹介したところもあった。しかし、コメントは、「どうしてこんなことをしたのかわからない。」というこうなものであった。私は、ベトナムに行って、命を捨ててアメリカと戦っている中、世界の若者が無意識にも何かをしないと思い、行動するのは当然の現象であったように思えた。当時、ベトナム戦争反対を直接掲げたのは「べ兵連」であったが、他の若者も、マルクス、ゲバラ、毛沢東、トロツキー(第4インター)、マルコムXなどすべてを捨てて世界を変えようとした人に共感をして行動に出ていたように思う。
ベトナム ハロン湾
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