ニャン太郎の叫び

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「ベトナムの紙幣にはすべてホーチミンの肖像が載っています。みんなお金が好きだからホーチミンも好きです。」ガイドの話からベトナムではホーチミン(ホー・チ・ミン)は愛されているようだ。
ハノイの中心?に広い敷地にホーチミン廟があり、バスの中から見ることができた。ここでは、ホーチミンの遺体を永久保存処置をして安置されている。ホーチミンは火葬にし個人崇拝につながる墓所の建設を望んでいなかったが、死後、政府?や国民によって造られた。

ホーチミンは21歳の時、船の見習いコックとして、フランスに行き、その後、いろいろな国を回って世界の現状を見てくる。27歳にパリに戻り28歳でフランス社会党に入党し、ベトナム人にフランス人と同等の権利を主張するが認められなかった。フランス社会党の左派が共産党になり、28歳の時フランス共産党員になる。33歳にソ連に行き共産主義者になるが、ホーチミンの課題は、民族自決すなわちベトナムの独立であった。共産主義にとって民族主義は問題の解決にはならないとせれているが、まず、ベトナムの悲惨さを変えることを重点に置いた。
1935年頃には、世界の共産主義者も反ファシズム統一戦線に加わり、民族主義に傾いていった。
1941年 ホーチミン51歳になりベトナムに帰り、ベトナム独立同盟会」(通称ベトミン)を組織する。当時フランスはドイツに敗れ、フランスはドイツと友好なヴィシー政権に成り、日本は三国同盟(ドイツと同盟)を結んでいたので、ベトナムはフランスと共同統治をしていた。そのためベトミンは日本を敵対していた。
 日本は大東亜共栄圏を掲げ、ベトナムの独立を1945年3月にさせたが、日本の敗戦が見えてきて、統治がうまくできなく、ベトナム人はベトミンを支持するようになる。
日本の敗戦後、ホーチミンはベトナム民主共和国を建国して国家主席兼首相になるが、実質的には、中国、フランス、イギリス等の支配下にあった。
1951年にベトナム労働党が結成され、ホーは労働党主席に就任し、党と国家の最高指導者としてベトナム民主共和国を統治した。
1957年に、平和的な方法をとろうとするホーチミンと、武力による統一をめざすズアンは対立し、ズアンが党指導部を掌握すると、ホーチミンの影響力は外交の面に限定されていった。ホーチミンは、党内人事・国内問題などの決定にはほとんど関与せず、ズアン指導部の決定を容認していた。
こうして、ホーチミンはベトナム人にとって権力はなく、心の拠り所、悪く言えば権力者の飾りになり、日本の天皇のような存在になったと思われる。

    ベトナムの紙幣である10万ドン札に描かれている ハノイ 文廟
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