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七輪日記
七輪生活だったサーファーオヤジがなぜかバンコク暮らしを経てプーケット暮らしを始めました

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1年検診・・・

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 あの腰の手術から、ついにきょう1年検診の日がやってきた。レントゲンを4枚撮って、主治医の診断は「問題ないですね。骨はもうつながっています」とのこと。画面を見ると第4、5腰椎が既につながっている様子が分かった。

 そして「もう何をしても大丈夫ですよ」の言葉。確かにまだ時に腰痛がするのだが、少なくとも骨格の再生上は問題がないという。まぁ、今の痛みは以前の耐えられないものでも、歩けなくなるものでもないから、とにかく経過は良好ということ。

 とにかく今は歩きたいだけ歩けるし、サーフィンしたいだけできるのだから、「良好」以外の何ものでもないのだ。ようやく一段落の時を迎えた。

 1年前、造影剤の注射をする時に、脊柱への注射ということで恐怖心から体全体が固まっていたことが思い出される。その時は「これから20年のために」と呪文のように独り言を続けながら注射を受けた。そして手術直前はかなり怯えていた。前日は眠れなかった。

 それから1年、とにかく思い通りに動けるのだ。ありがたいことだ。主治医の先生は「今後は1年に1回くらいの検査で十分でしょう」と言ってくれた。ただ、僕の方が来年はタイにいるかもしれない。その旨を伝えると先生も「僕は来年は異動かもしれません」という。それも県外らしい。

 どうやら今回の受診がこの先生と会う最後になったようだ。それにしても本当にお世話になった。昨年6月からほぼ1年半のお付き合いだった。ちょっとおとぼけな感じの先生だったが、医者の「大変さ」を微塵もこちらに感じさせずに飄々とした雰囲気を続けていた先生だった。感謝、感謝・・・。

 さて、一区切り。あすからまた海に行って頑張ろう。腰君、よろしく〜。  

1年・・・

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 昨年10月16日の手術からほぼ1年になる。当初は10月9日の手術予定だったから、その予定からすれば丸1年が過ぎた。ということで、そんなこんなにかこつけて自宅の「自分の蔵」に秘蔵していた焼酎「野うさぎの走り」を引っ張り出した。

 もちろん貧乏浪人の僕にそんな高価な焼酎を買う余裕はないから、もちろんいただきモノだ。それも数年前にいただいたもの。そのまま「自分の蔵」に仕舞い込んでいたのを思い出したのだ。

 42度の米焼酎。独りで「乾杯」。一口で五臓六腑に染み渡る。ぷはぁ〜。旨い。

 さて、腰の手術から1年になる。この1年はものすごい変化の中に身をおくことになった。手術で初めて自分の体にメスが入り、リハビリに半年を要した。その間、20年勤めた会社を辞めた。

 リハビリ後はサーフィンとタイ語の勉強が日課になり、それから6、7月はタイに1カ月滞在。それでも結局プーケットで10日間はやっぱりサーフィンだった。

 もちろん、そんなおめでたい話ばかりではないし、環境の変化はかなり精神的にはストレスになっている。いろんな夢も見る。辞める前の会社の夢はやはり多いし、辞めた後なのに元の会社を自分が訪れるという妙な夢も多い。

 とにかく以前の会社関連の夢は多い。それだけ生活の基幹だったのだろうし、支えでもあったのだろう。それくらい精神的にもちょいときついことはあるのだ。(もっとも周囲から見ればただの遊んでるオッサンなのだが・・・)

 だけど、自分の選んだ道を、自分で選んで進んでいるのだから文句も言えまい。その道の先に山があるのか、谷があるのか、はたまた暗中模索した挙句に断崖絶壁から落っこちてしまうのか。それでも自分では「お花畑」があるだろうことを信じて進むしかない。

 まぁでもこの1年、とりあえず腰には昨年のような激痛が走ることもなく、長い距離でも歩けるようになった。この半年はサーフィンもしているし、それもほぼ毎日やっていても腰は耐えているから、まぁまぁ順調なのだろう。いや、かなり順調なのだろう。

 その順調な腰でどこまで進めるか。進めるところまで進むしかない。いやぁ、進めるだけ幸せなことだ。さて、ぼんやりしている僕のこれからの道はどこに向かっているのだろう・・・。レールがないだけに不安でもあり、怖くもあり・・・でも、楽しみでもある。(ニヤリ・・・、と、今のところ笑ってみるしかない・・・)

 きょうで完璧に術後3カ月が過ぎた。おおむね順調に回復しているとは思うのだが、なんだかこの数日、調子が悪い。特に右側の腰に小走りで激痛が走り、歩いていても少し痛い。その痛みは時間がたつとなくなるのだけど、また少ししてちょっと走ってしまったりするといきなり痛み出す。

 横断歩道を渡っていて、車が止まってくれたりすると辛い。小走りができないから、そのまま歩くことになる。そうなるとなんだか運転者の行為に対して横柄な人に見られるようで、いやな気になる。こちらとしては小走りくらいしたいのだけど、痛いのだ。

 先日の3カ月の検査では、主治医のB先生は「焦ってはいけません。まだ3カ月なんですから。落ち着くにはまだ時間がかかりますからね」と言ってくれたのだが、やはり痛みが出てくると、「このまま痛いままではないか」と不安が大きくなるのだ。

 あぁ、でも焦っても仕方ないのだろうなぁ。きょうもとりあえずはリハビリウオーキングをやってきた。その間、楽観主義の自分の気持ちがくじけそうになる想像もしてしまったりする。後で、この文章を笑って読めるようになっていればいいのだけど。

 

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 きょう1月7日、術後3カ月の検査に行ってきた。レントゲンを5枚撮影。横から、前から、副ったり、前屈状態にしたり・・・。B先生と久々の再会。結果は、ボルトのずれもなく、骨も順調にくっつきつつあり「良好」とのことで一安心した。

 だが、たまにボルトを埋め込んだ部分に痛みを感じることがあり、また、腰の筋肉も朝の起き抜けに痛みを持っていることがある。これを相談すると、B先生は「いやぁ、ボルトの違和感はまだ少し残ります。耐えられないようなら今後、抜き取る手術を行うことも可能ですが、まだ3カ月ですからね」と結論を出すには早いし、今後、痛みはなくなっていくとの見通しだった。

 腰の筋肉の痛みについては、「手術では筋肉を縦に切っていますから、それが完全に修復されるのには1、2年はかかります。骨だって最低半年かけてくっつくのですから、焦らないでください。いずれにせよ検査の結果は順調です。本当に焦らなくていいですからね」との言葉。それまで「もしや、リハビリ運動のし過ぎで少し悪くなったかな」と考えることもあったから、この先生の言葉には本当に安心した。

 そして「きょうからコルセットは外していいですよ」と告げられた。いやぁ、嬉しい。6月に作って、夏の暑い時期を乗り越え、そして手術後には24時間装着を義務付けられ、術後1カ月の11月半ばに就寝時のみ装着解除となっていたコルセット。それがついに完全解除となったのだ。

 約半年、僕にぴったり寄り添っていた器具だけに愛着もわいているが、かといって付け続けたいものでもない。なのでひとまず「ご苦労様でした」ということになった。ちょっとだけ自由になったような、海に近づいたような気がした。

 さて、それで、きょうは初めてコルセットなしで海でのウオーキングをやった。最初は少し不安だったものの、いつもどおりに歩けていた。この調子でまずはあと3カ月、みっちりリハビリに励もう。部屋でコルセット解禁を祝い、独り焼酎を乾杯している僕であった。あぁ、解禁じゃなくても毎日飲んでますけどね。昨日は解禁記念前夜祭で、明日は後夜祭ですから。

●9・・再入院

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 手術2日前の10月14日までサーフィンをしていたのに、翌日の15日はいきなり病室のベッドに横たわることになる。そのギャップに少し苛立ちながら病院の門をくぐった。再入院。すべて振り出しなのだ。

 整形外科の階に行く。今回は既にあすが手術日であり、偶然にも個室が開いていたため最初から個室に入った。個室にはランクがあり、バス・トイレ、電話、冷蔵庫の付いた特別室は1万1938円の別料金が必要だそうだ。だが、こちとらそんなセレブではなく、むしろ貧乏人なのだ。その下はトイレ、洗面台付きで別料金3580円。いやいや、まだ下を、と頼んで、洗面台だけが付いた一人部屋(別料金2982円)に入ることになった。

 手術後3日間は別料金は発生しないらしいから、結局は1日分だけの負担で済むらしいし、これで手術後に部屋を移る手間も省けるということだから、まぁよかった。

 前回の入院で顔見知りになった看護師さんに「どうもぉ〜、出戻りで〜〜ス」と声を掛けながら部屋に入った。すると今回は前回と環境が違った。看護師の研修生が付いたのだ。なんと19歳のうら若き女性で、なかなかかわいらしいCさんだった。19歳といえば平成生まれ。確かに表情にはまだ子供っぽさも垣間見える。なるほど若い。ってか、こちらがオヤジなのだ、と実感させられた。

 そのCさんの仕事は、まず僕にID番号とバーコード、名前、性別、血液型などが書かれた標識の腕輪を付けることから始まった。やはりピカピカの研修生だ。その腕輪付けだけでも手元が危なっかしい。その後、血圧を測ってもらうが、それも慣れていない状態。それでも一生懸命にやっている。ご愛嬌、ご愛嬌。みんなここから始まるのだ。ベテラン看護師への第一歩なのだろうなぁ。

 夕食後、主治医のB先生が来た。説明によると手術内容の一部を変更したという。手術法は簡単に言うと、背中側から切って、前にずれている第4腰椎を戻し、第5腰椎との間にある椎間板を除去。そこに第4腰椎から分離している(つまり骨折している)仙骨を加工して移植し、第4、第5腰椎を一体化させる。完全に一体化させるために第4、第5腰椎に2本ずつボルトを埋め込み、それを上下に渡した金属でつないで固定する「腰椎後方椎体間固定術」というものだった。

 変更点は、第4、5腰椎の間に骨の移植と同時に入れる金属をカーボン製にしたということだった。先週のパッチテストで金属アレルギーの可能性はほぼなくなったものの100%陰性とは言い切れないため、「万が一」を考えた措置だった。ボルトや上下をつなぐ金属は、手術後でもアレルギーが酷い場合には再手術で除去できるが、腰椎間に入れた金属は除去が困難なのだ。だから「次の手を残すための変更」とのことだった。ありがたいことだ。

 午後8時50分。「はぁぃ、失礼します」と若い看護師さん。そうなのだ、2度目の浣腸がやってきた。その看護師さんはかなりビジネスライクに「じゃぁ、ゼリー塗って、はぁい、行きますよ」とどんどん入れてくる。(まぁ、ビジネスライクでなきゃ看護師さんもやってられないだろうが・・・)うっ、うっ・・・。2度目で「慣れている」とはいえ、やはりこれはなかなかこたえる。そしてトイレにダッシュ。

 約10分の格闘を終え、体力を使い果た僕。部屋に戻る足取りは重い。そんな時、向こうから「こんばんはぁ」の声。視線を上げると、前回の入院のときに僕に浣腸をしてくれた可愛い看護師さんが立っているではないか。うわぁ、ちょい恥ずかしい。なぜなら、彼女は僕のすべてを見ているのだ。そう、僕でさえ見たことのない僕の肛門様を。もうそれだけに、いきなり昔の彼女に会った感覚になっている僕?違うか!?

 「今2度目の浣腸でした」と言うと、「あした手術ですね。頑張ってくださ〜い」と励ましてくれる。なんとも嬉しいのだが、やはり恥ずかしい。昔の彼女にはいつでも会ってみたいが、同時に会いたくない感じがあるのも事実だ。

 まぁ、もし、本当に昔の彼女に出くわしたとして、彼女からすれば何も考えてないだろうなぁ。ましてやその看護師さんにしてみれば、こちらはただの患者で、僕の肛門も毎日の職場で目にする星の数ほどある肛門の一つでしかないのだから、何の感慨もないのは理解しているのだけど・・・。勝手にそんな妄想にふける僕でした。

 部屋に戻ると、さすがに個室だけあって静かだ。さてあすは手術だ。寝ようとするが緊張で寝付けない。さっきの恥ずかしさや嬉しさも混ざっている。静か過ぎて、また眠れない。あぁ〜〜、逃げ出したい・・・。でも手術を受ければ痛みから解放されるのだ。・・・いろんな気持ちが混ざって混沌としている。本当に寝付けない夜だった。

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