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七輪日記
七輪生活だったサーファーオヤジがなぜかバンコク暮らしを経てプーケット暮らしを始めました

書庫昔日記(マレーシア)

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イメージ 1 …はビールとワイン、そして椰子酒の世界。そして麺の嵐だった。
 
 マレーシアはイスラム国家として知られている。だから当然、宗教的には酒と豚肉は忌避されるもの、という印象が強かった。しかし、行って見るとそこにはお酒の世界が広がっていた。もっともイスラム教ではない華僑系の家族の、しかも結婚披露宴に来たのだから酒は欠かせない状態ではあったのだが。
 
 イメージ 2まず披露宴前日に連れて行かれた台湾からであろう華僑の店では「雪花(SnowFlowerBeer)」と呼ばれているビールをしこたま飲んだ。これは銘柄に関係なく瓶ビールを冷蔵庫で氷になるぎりぎりの温度で冷やしたもの。これを栓を開けてコップに注ぐとその刺激でコッイメージ 3プの中でみるみるビールが凍っていくのだ。だからタイのようにビールに氷を入れなくてもビール自体が氷の役割を果たして冷たく美味しく飲めるのだ。さすが中国四千年の歴史である。
 
 カールスバーグに青島、タイガーなどの銘柄に加えて、なんとマレーシアにもあった地元ビール「JAZ」というのまでがそろっており、蒸し暑いマレーシアの夜風を感じながらバコバコ飲んだ。
 
 翌日は夜に披露宴があり、そこではワイン飲み放題。こちらは多分、オーストラリアワインだったか。いやぁ、東南アジアで暮らすようになって、タイではなかなかおいしいワインに当たらなかったのだが(もっともその原因は高いワインを買えない僕の状況のせいかもしれないが…)、さすが華僑系マレーシア人とオーストラリア人のカップルの披露宴とあってしっかりしたおいしいワインを味わわせてもイメージ 4らった。白は少し甘かったが赤は僕にとっては辛目で絶品だった。そしてこれが中華料理に絶妙に合っていた。さすが中国四千年の歴史である。
 
 さてお腹いっぱいワインを頂いた翌日はさすがに10時半まで寝ていたが、昼ごろになんだか分からないまま促されつつ泊めてもらった花嫁のお姉さんの家を出発。僕が乗せられた車はひたすら高速道路を南下し、約2時間後、KLANGという地域にあるオープンな感じの中華系レストランに到着した。
 
 椰子の葉で葺いた屋根がなんとも南国らしく、その陰に涼しい風が吹いている。「こんなところでビールが飲めるなんて…、うふっ!」と一人勝手に期待していたら、出てきたのはなんと椰子酒だった。や、椰子酒!あの山田イメージ 5長政もタイで戦功をあげる度に飲んでいたのかもしれない椰子酒だ。聞いたところではここの椰子酒は朝どれの新鮮な椰子の実ジュースから造られるのだそうだ。
 
 入れ物はジュースのPETボトルの再利用と安っぽい。その中に白い濁った椰子酒が入っている。ストレートで飲んでみると爽やかな甘さと少しの酸味があり、アルコール度数は高くない。せいぜい5%くらいだったろう。そのままでもいいが、新郎イメージ 6のお姉さんの旦那さんは、「これにギネスの黒ビールを混ぜて飲むのが一番いい」と言って作ってくれた。これがまたビールのほろ苦さとマッチして旨い。すいすい入っていく。さすが中国四千年の歴史である。
 
 そこで3時間ほど、15人ほどの華僑家族と新郎のオーストラリア人に新婦と僕の友人であるタイ人、そして日本人の僕がものすごい勢いで料理に喰らいついていた。当然、その分、椰子酒も胃袋に流し込まれる。いや、飲んでいるのは華僑の旦那さんとオーストラリア人の新郎と、そして日本人の僕だけだったか…。それでも2リットルボトル2本の椰子酒とギネス5本が空いてしまったから、一人当たりでは随分飲んだ。お陰で帰りの車の中では熟睡だった。
 
イメージ 7 途中ショッピングモールに寄ってお世話になっている家に帰って来たのは午後6時。眠い…、と全員が睡眠に入った。このまま夕食はなしなのだろう、いや、これ以上は食べられない、と思っていたが、なんと夜10時になってまたみんなが起き出して中華料理屋へ出発した。
 
 そこでは今度は中華麺の嵐だった。うどん大の麺を醤油味で炒めたもの、揚げた中華麺のあんイメージ 10かけ、細面のしょうゆ味炒め…。とにかく次から次に出てくる大皿には麺、麺、麺…。本当に麺しかないのだ。おいしいのだがここまで麺攻撃をされるといささかうんざりしてくる。しかし、華僑系はすごい。同じ麺の大皿のお代わりを数回頼むのだった。
 
 残すのは失礼と思い、こちらはひたすら麺を押し込む。やっと押し込んだと思ったら目の前にまた麺の大皿が出てくる。す、すごい、と思いつつ目をオーストラリア人の新郎に向けると、彼も多少うんざり感を漂わせつつ必死に麺を口に押し込んでいた。それにしても華僑の人たちはなんでそこまで麺ばかりがすきなのイメージ 8か…。
 
イメージ 11 その食事の間、飲んでいたのはウーロン茶だった。個人的にはビールが欲しかったが、みんながウーロン茶を飲んでいる中でビールをおねだりするのもいけない、と思ったし、みんな一昨夜から飲み続けているのだから、「さすがに今夜は肝臓を休めるのだろう」と思っていた。だが、ぜーんぶ料理が終わったところで出てきたのがなんとビールだった。いや、さすが中国四千イメージ 9年の歴史である。
 
 うっそぉ〜。そこからはビールタイムである。お腹は麺でパンパン、ウーロン茶でガボガボである。そこにビールを流し込むのだ。ふひゃ〜、である。しかし、おいしく入っていくから不思議である。さすが中国四千年の歴史である。
 
 ということでとにかく酒と麺の日々に感心させられた3泊4日の旅だった。さすが中国四千年の歴史である。あれっ?ここ中国じゃなくてマレーシアだったはずだが…。
    
 …は多分、10年ぶりの訪問だった。前回はまだ会社員だったころ、無理矢理に休みを取ってマレーシアのパンコール島へ行く途中に1晩だけ立ち寄った。だから実はほとんど思い出はないし、記憶もない。まぁ、バンコクイメージ 1同様に東南アジアのひとつの街という感じだった。
 
 だが、今回到着してみると、なんとも街中は綺麗だ。ごみもほとんどない。なんだか韓国のソウル市内を思わせるような清潔さを感じさせられた。特に10年前はまだ建設中だった高架鉄道KLrapidが市内を軽快に走り抜ける様子は、市内の清潔感、そしてそびえるツインタワーと合わせて先進国そのものだった。ちなみにこのKLrapidはコンピュータ制御の無人運転だ。
 
 バンコクをAirAisiaで飛び立ち約2時間後、KL中心部から車で約1時間南に離れた国際空港に到着。黒川紀章設計の個人的には「ちょっと趣味悪い」と感る豪華なターミナルに降り立つと思いきや、入れられたのは本ターミナルからかなり離れた格安航空用の鉄骨プレハブ造りの「格安ターミナル」だった。
 
 さすが格安用だけあって入国審査もものすごい人の列で、ゆうに1時間は待たされてようやく入国。この時、スタンプを確認するとなんと「90日」のビザなし滞在許可だった。タイは現在「30日」しかもらえないからかなり羨ましい。
 
 空港前から高速バスに乗る。1時間半後、高架鉄道のKLSentrl駅に着くと、同行のタイ人のそのまた友人のイメージ 2そのお姉さんが迎えに来ていてくれた。一緒に高架鉄道に乗り終点一つ前のTamanBhagia駅で降りる。そこにはお父さんが車で迎えに来てくれてちょっと雨がふっていたものの何の不便もなく友人であるタイ人のその友人の実家に到着した。
 
 人間関係がややこしいのでちょっと説明する。僕は日本人の無職男でバンコクに住んでいる。そしてもう16年ほど前に知り合ったタイ人の友人がいる。そのタイ人はフランス資本のコンピュータ会社で働き、その会社は日本も含めて世界中に支店があり、世界中に従業員がいる。当然、世界中に転勤する。
 
 だからそのタイ人には世界中に友人がいて、ここマレーシアにも同僚がいる。その同僚はオードリーというマレイメージ 3ーシア華僑の女性。以前、彼女がバンコク勤務していた時、僕は彼女の超豪華マンションのシャワーを使わせてもらったことがある。とは言えその時、オードリーは不在で実はきょうまで会ったことがなかったのだが…。
 
 で、そのオードリーが現在の勤務先であるオーストラリアのシドニーで、同僚のパトリックというオーストラリア人と結婚した。結婚式自体は既にオーストラリアで済ませていて、今回はKLでの披露宴を開くことになった。そこに僕の友人でもあるタイ人が呼ばれたのだが、なぜか僕も来てもいいことになり、お言葉に甘えて出席させてもらったのだ。
 
 オードリーには両親と姉が3人いる。末っ子の結婚とあって両親もかなり喜んでいた。そのうちお母さんはさすイメージ 4がにおしゃべりだ。73歳とは言えめちゃくちゃ元気で、そかも強烈に速い英語でがんがん話してくる。半面、お父さんはかなり無口。中国語の新聞を静かに読んでいるタイプ。オードリーの姉3人もこれまた母親に似てものすごいスピードの英語で話してくる。7歳と12歳の甥2人も元気だ。こちらも英語だけの映画やテレビ番組を楽しみ、英語で喧嘩をしている。
 
 ということでマレーシアは完全無欠の英語国だ。マレー語ももちろんあるが共通語はむしろ英語と言っていい。旧宗主国がイギリスであることもあるのだが幼稚園から英語教育が始まるし、街中で英語が必要だから自然に話せるようになる。その上、この華僑の家では家の中では北京語と広東語も話している。つまり4つの言語を自由自在に操るのだ。驚愕である。マレーシア全体でも街には英語、マレー語、中国語、そしてアラビア語が表示されている。国自体がインターナショナルだ。
 
イメージ 5 オードリーの両親の世代は当然、漢字も読める。さすがにオードリーの世代は漢字は読めなくなっているらしいが、話すだけなら十分に使えるのだから、マレーシア華僑は英語と中国語という2大言語を制しているといって言い。それがこの国の発展を強く支えているように感じた。ちなみに大英連邦の一員であるマレーシア人はイギリスへ行く際、ビザは不要だ。
 
 さて、僕の友人のタイ人も英語はネイティブ状態で、もう一人バンコクから参加したタイ人もこれまた英語がペラペラ。そんでもってオードリーの結婚相手はオーストラリア人だから、向こうの親戚一同はもちろんオーストラリア人で英語を話す。
 
 そんな中に戦後日本の惨憺たる試験用の英語グラマー教育しか受けてこなかった日本人無職中年男が入れられたのだ。話せるわけがない。
 
 イメージ 6−みんな何言ってるんだ!?  −みんな何がおかしいんだ!?  …
 
 「私は貝になりたい」、という映画があったと思うが、そんなこと思わなくても、僕はすっかり貝になってしまっていた。
 
 それでも話さない訳にはいかないから記憶のかなた、いや記憶の範囲外のどこに行ってしまったかわからないような英単語を必死に探しながら話す。しかし、ダメなのだ。必死に探して見つけた単語がどれもこれもタイ語なのだ。英語の単語のつもりが気付くとタイ語になっている。
 
 文法もそうだ。英語で話そうとしてもタイ語の語順になってしまったりする。特に修飾語は英語は日本語同様に前から修飾するがタイ語は後ろから修飾するのでひっくり返ってしまう。最後はタイ人の友人にタイ語で話してそれを英語に通訳してもイメージ 7らう始末だった。おぉーぃ、誰か日本が話せませんか〜?いるわけない…。
 
 だが、そこは披露宴会場。酒がある。場に馴染むには酔っ払うしかない。ということでワインをひたすら飲ませてもらった。これが旨い!もちろんオーストラリアワイン。バンコクではワインを買うたびにその値段の高さと味の甘さに閉口していたのだが、ここのワインは僕の好きな少し渋みのある辛口ワイン。旨い、旨い。そこに高級な中華料理がバンバンやってくるからやめられない。
 
 お陰で英語力のない日本人無職中年男はあっさりとその「言葉の壁」を乗り越えてしまった。もちろんよく分かっていないし通じてもいないが、最後は「乾杯〜!!!」と言えばいいのだ。
 
 それにしてもマレーシアという国はすごい。国民の高い語学力はこの国のこれまでの急激な発展を支え、今後のコンピュータ社会になった世界の中でものすごい力を発揮するのだろう。タイ人の友達をして、「歴史上タイもイメージ 8植民地になっていないからタイ人の多くは英語が苦手なのよねぇ。羨ましいわぁ」と言わしめる国マレーシア。
 
 日本の外国語教育はそんな国々と張り合える人材を育てているのだろうか…、とかなり自虐的に考えさせられた。えらそうな大学を卒業しても英語一つも離せないヤツばかり…って。経済的にはまだ先進国だが、現実は「言語途上国」、いや、「言語行進国」、いや、「言語未開国」か。経済的にもこれからあっさり抜かれる可能性は高い。
 
 いやその前に日本でしか通じない日本語を母国語に持つこの田舎大学卒の中年オヤジは、タイでしか通じないタイ語を「ひぃひぃ」言いながら勉強している。他の国では一言も通用しない2つの言葉…。や、やばくねぇ?「乾杯〜!」なんて言ってる場合ではなく「完敗〜!」なのかも知れない。

ボンバルディア・・・

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 あぁ、また事故が起こってしまった。しかも今度は墜落事故。アメリカのニューヨーク州バッファローに旅客機が墜落し、地上で巻き添えになった人も含めて50人が犠牲になった。その飛行機の機種はボンバルディア。2007年3月、前輪が出なくなり高知空港に胴体着陸したあの全日空機と同じだった。

 もう10年以上前のこと。マレーシアのパンコールという島に行った。何の目的もない旅行で、ただただ小さな島を目指した。首都クアラルンプールの国内線専用スバン空港からプロペラ機が出ているとのこと。初めて聞くベルジャヤ航空の運航だった。
 
 チケットを買い搭乗口へ。スバン空港自体は昔の国際空港なだけに図体はでかいのだが、さすがに施設は古い。エスカレーターがものすごい悲鳴を上げながら回っていた。

 飛行機を待つこと10分。ビ〜〜〜〜〜〜ン。フワリとしたエンジン音がやってくる。4発エンジンのプロペラ機。こんな南国での空の旅にはかなりピッタリ、なんて勝手に旅情に浸る僕。

 しかも、機長は初老のイギリス紳士風で、第二次大戦中に欧州戦線でスピッツファイヤーを操ってメッサーシュミットとやりあったくらいの風貌。これがまたいい、なんてさらに勝手な思い込みに浸っていた。

 さぁ、出発。エンジンの横を歩いて出入口に行くと、スッチーが生暖かいペットボトルの水を無造作に渡してくれる。自分のチケットに「5/5」とマジックで書きなぐっているので「これはどこの席だ?」と聞いたら、「自由席だ」との答え。なるほど「Free Seat」の略「F/S」だった。

 たじろぎながら乗り込み、主翼よりちょっと前の席に陣取った。エンジンが本格的に回り始める。キュイン、キュイン、ストトン、ストトン、バリバリバリ、ボワ〜〜〜〜ン・・・・。まるで「紅の豚」だ。

 全員が乗り込み終わったので、さぁ出発、と思っていると、先ほどのスッチーが名簿を回してきた。出発直前になって乗客チェックだ。まぁ、これも南国流か、と善意に解釈する。機体はそのままメーン滑走路へ。これから加速、そして離陸・・・という当たり前のスケジュールのはずなのだが、機体は広い滑走路の真ん中で止まってしまった。

 約5分後、アナウンスが入った。「こちらは機長です。ただいま当機は離陸態勢に入りましたが、実は二人の乗客が行方不明になりました。調べるためにしばらく待機します」と。客が行方不明。南国ミステリーだ。まぁ、結局、白人の夫婦が自分たちの子供の分のチェックをしていなかっただけのことで、ようやく10分後には離陸したのでした。

 約1時間のフライトでパンコール島に到着。ただ、島の滑走路はかなり短く、着陸は「もしやオーバーランでは!!」と思わせるくらいスリル満点だったが、そこは「誉れ高き英国空軍オヤジ」の腕でなんとかきちんと着陸できたのでした。

 そうその飛行機が、なんとボンバルディアだったのでした。当時は知りませんでしたが、高知空港の事故で型が似ているのに気づき、調べてみたら、パンコールの機体は問題のボンバルディア機(DHC8)の兄貴分にあたるDHC7(通称Dash7)というヤツでした。

 あの時は車輪は出たから良かったけど、出なかったら島の場合はどうしたんだろう。水上着陸とか?アメリカの事故は翼への着氷が原因という見方が強いらしいので、熱帯のパンコールではありえないのでしょうけどね。

 まぁ、飛行機ってのは、飛んでること自体がすごいんだから、落ちることもありますわなぁ〜。

 (写真はパンコール到着。よく見ると”行方不明”なったガキが中央付近にいますわ)

日本への思い・・・

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 マレーシアのパンコール島にいた。自転車でふらふらしていると、後ろから「おい、おい」と呼ぶ声。「この島に友達はいない」と思いつつ振り返ると、やくざ顔のオヤジ。ヘルメットをかぶって原付バイクに乗っている。ニターッと笑った顔は安部譲二そっくりだ。

 やばい、絡まれたか、と思っていると、「きょうは何かあるのか。もし時間があれば友達に紹介したい」と言う。知り合いはいないはずだが・・・と顔を確かめると、なんとここに到着したときに空港にいたタクシーの運転手だった。よくまぁ僕のことを覚えていたもんだ。

 顔は怖そうだが極悪人には見えない。何だかよく分からないがこちらも暇だし、こんな小さな島じゃ、そう悪いこともできないのだろうから、と誘いに乗った。

 僕の安宿で待ち合わせして、早速、安部譲二のバイクに2人乗りだ。たまにはこんな展開もいい。島の北側の中心地パンコール村を通り過ぎ、そこから西の方角へ。場所はスンガイ・ピナン・クチル村。まぁ村というより地区だ。そこの小さな中華系の食堂前で安部譲二は止まった。

 「何か食べるか」と聞いてきたので、小腹もすいていたから汁そばを頼んだ。安倍も同じものを注文したらしく、しばらくして2杯が運ばれてきた。「ここのはうまいんだ」と安倍に勧められつつ一緒に食べた。あっさりのビーフン麺。塩味のスープに赤い香辛料の入った辛いヌクマムのようなものがれんげに乗っている。それをスープに溶いて食べると、ほどよい辛さがうまい。

 しばらく2人で話していると、安部の歳は55歳の独身らしいことが分かった。それより本題だ。「友達って言ったよな」と水を向けると、忘れていたのか、自分でも驚いて「そうそう、ちょっと待っててくれ。日本に住んだことのあるヤツだ」と慌てて店を出て行った。

 しばらくして安倍はもう一人の男を連れて戻ってきた。メガネをかけ、少しほおがこけた感じで、どことなくマンガのネズミ男に似ている。甥っ子だという。日本語が喋れると聞いたので、「こんにちは」とあいさつしたが、返ってきたのは「ニホンゴ、ワスレタヨー」というたどたどしい言葉だった。

 なんでも8年ほど茨城県のつくば市で土木作業員をやっていたという。45歳。島には約7カ月前に戻り、今は釣り客相手の船員として働いている。8年いたという割には、日本語は話せていない。

 彼はおもむろに1枚の手紙を出した。そこにはとてもいびつな平仮名の多い鉛筆書きの文章。日本の女性からだという。「マレーシアはどうですか。子どもは大きくなりました」「いつ、こっちにもどれますか」とあった。

 彼はそれを見ながら「漢字の部分は分かるが平仮名は苦手。訳してくれないか」と言った。内容を英語で通訳したら、今度は返事を平仮名で書いてくれという。

 詳しくいきさつを聞いたところ、彼は約1年前にその日本女性との間に子供ができたというのだ。ところが、健康保険やビザの関係で正式な結婚もできず、さらにビザの期限を迎えて自分だけ帰国せざるを得なかったのだという。「平仮名中心の手紙」を頼む理由も、その女性には知的障害があるらしく、平仮名のほかは簡単な漢字しか分からないためだと説明した。

 彼女は現在、関東のある街の友人宅に住んでいるらしい。だが、そこも友人が勤める工務店の社員寮らしく、本人に仕事はないため、いつかは出なければならないのだ。「心配で心配でたまらない。それに子どもに会いたい」と言う彼。

 彼から頼まれた返事の内容は「あと5カ月でマレーシアに帰って1年になります。だから、またビザをとって日本に行きます。実家のお母さんの所に連絡をとってください。とても心配していました。実家に帰りなさい」。そして「子どもは元気ですか。もう1歳になったから歩き始めたでしょうね。子どものおもちゃなんかはマレーシアの方が安いので、ここで買って送ります」だった。

 書いた内容を日本語と英語で再度読んであげると、彼は少しホッとした表情で「これであいつに手紙が出せる」と言った。安部譲二は僕が日本人であることを空港で知って、日本に手紙が出せない甥っ子のことを考えて声をかけてきたようだった。

 「彼女をマレーシアに連れてくればいいじゃないか」と聞いてみた。だが彼は「分かってる。こっちなら今の仕事で食べていけるし、物価も安い。でも彼女は英語すら話せない。それに障害もあるから難しい。いつかは連れてきたいが、まだ今は無理だ。でもこちらからも行けない」と言って下を向いた。

 今すぐにでも日本に行きたいだろうに、ビザの取れない状況にいらだつしかない状況だった。

 安部譲二は僕たちの様子を見て「役割は終わった」という感じで、肩の荷が下りたのだろうか僕に笑いかけていた。そして「今夜、一緒に飯を食おう」と言い残して、用事があるからと食堂を出て行った。

 それからはネズミ男がホスト役になった。「僕の家へ行こう」と、彼のバイクで近くの彼の実家へ行った。70歳くらいに見える母親が店番をする雑貨店だ。店先にはプラスチックのおもちゃやピストル型の水鉄砲なんかがぶら下がっていて、下にはせんべいやあめ玉などの駄菓子が並んでいた。

 母親は少し戸惑っている。まぁ、そりゃそうだ。いきなり見ず知らずの日本人が来たのだから。彼に続いて店の奥の階段から2階へ上がった。天井の扇風機がぐるっ、ぐるっ、とゆっくり回り、外の暑さは感じられない。なんだか時間がゆっくり流れている。

 彼は日本に残した彼女と子どもの写真を見せてニコニコ笑った。そして「僕には兄弟が三人、姉妹が二人いる。僕は長男だよ」と言って、あとの四人は既に結婚して、それぞれ台湾やシンガポール、香港に住んでいると説明した。

 実家に残ったのは彼一人しかいないらしい。だが、その彼も彼女と子どものいる日本に強い思いを寄せているのだった。なんとなく、彼の年老いた両親がどう感じているのか、気になった。



 ・・・あれからもう10年以上が過ぎた。ネズミ男は日本に行けただろうか。彼女と子供は元気のだろうか。ネズミ男の両親はどうしているだろうか。そして安部譲二はまだタクシーを運転しているだろうか。

 【写真は安部譲二のバイクで連れていかれる途中。高校生たちの下校ラッシュだった】

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