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七輪日記
七輪生活だったサーファーオヤジがなぜかバンコク暮らしを経てプーケット暮らしを始めました

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あとがき

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          あとがき

「スリランカに行く予定なんやわ」―。そうT君から聞かされたのは昨年(西暦2015年)の10月。日本に一時帰国した僕が関西を旅行中、二十数年ぶりに再会した時のこと。それを聞いて僕の食指が動いた。スリランカには興味があったし、タイにいるのだから遠くない国に思えていて、「いつかは行ってみたい」と考えていたからだ。だから速攻で「便乗」をお願いした。年が明けて1月29日、僕はほとんど準備のないまま待ち合わせのバンコクの空港へ行くと、そこにはスーパーマンが待っていた。

それはもちろんT君のこと。彼は何でもできるスーパーマンだった。まず、強力な殺虫剤を持っていた。アースの「おすだけノーマットスプレータイプ」。スリランカは熱帯の国。当然、蚊はタイ同様にいる。僕も体に塗るタイプの虫除けは持参したが、T君のは半端なかった。部屋に1、2回スプレーするだけで部屋中の蚊がボトボトと落ち、しかも半日は効果が持続するという優れもの。お陰で僕は一度も自分の虫除けを塗ることがなかった。

次に、コーヒーカップの水を沸かす簡易の湯沸し器。昔は僕もこの手のものを持っていたが、最近はトンと使っていない。だが、ほぼ毎年、世界中を旅していて、今年はついにアフリカにまで足を延ばすという彼は「旅の達人」なのだ(そして今日2016年2月26日現在、彼はアメリカのラスベガスにいる=笑)。湯沸し器の便利さと必要性を身をもって知っていた。そしてこのお陰で僕もスリランカ滞在中は毎日、セイロン紅茶を楽しませてもらった。朝の一杯は格別だった。

そして、これが一番のスーパー道具なのだが、それがスマホである。僕は今回、このスマホの威力を嫌と言うほど思い知らされた。T君はコロンボ空港に着いてすぐにシムカードを買った。これで現地の通信会社経由のネットアクセスが可能になった。さらに滞在先の宿はどこも例外なく無料Wifiがあって、パスワードを入れるだけで使い放題になる。現地にいながら現地に関する詳細な情報収集が、言葉の問題や時間に関係なくできるのだ。

それにGPS機能があるから、自分たちの正確な位置や移動速度をリアルタイムでつかめる。宿までの道で迷うことはないし、バスや列車、トゥクトゥクに乗っている時に駅の表示や街の看板が読めなくても「ここがどこの街か」が分かるし、「あとどれくらいで目的地に着くのか」も計算できた。だから、その後の計画も立てやすかった。まったく驚くべき道具だった。

20歳の時にアメリカを半年間“浮遊”してから、なんとなくあちこち旅するようになった。その時にT君と出会ったわけだが、当時はみんな必ず「地球の歩き方」を片手にしていた。それはまだ中身に信ぴょう性のカケラもないお粗末なガイドブックだったが、頼るものはそれしかなかった。

書かれている場所の情報はよく「嘘」だったし、地図も違った。自分がどこにいるのかもその地図を近くの人に示しながら尋ねる。夜行バスや夜のレンタカー走行の時は、道路標識だけが頼りだ。バスの時刻も現地のターミナルまで行って紙のタイムテーブルを手に入れなければわからない。宿も行ったとこ勝負で、空き部屋を探し歩いて宿の人と値段交渉をする。

そんな旅はアメリカだけじゃなくタイやインド、ベトナム、ネパールなど文字や言葉がさっぱりわからないアジアでも同じだった。タクシーの運ちゃんに宿を紹介してもらい、食堂で読めないメニューを指差す。バスや列車の時間なんてさっぱりわからない。下手すりゃ値段だってよくわからない。だから結果、ぼられたり、得体の知れないものを食わされたり、非効率な動きで時間をものすごくロスしたこともあった。

それがどうだ。スマホさえあれば「何が」「どこに」あって、それが「いくら」で、「いつ」「どの道順で」行けばいいのか…、ぜ〜〜〜んぶ分かるのだ。つまり知識や経験がなく、まして現場で尋ね歩くことなんかしなくたって、スマホの操作と検索方法さえ覚えてしまえば、迷うことなく、予定通りに、予算内で、目的に合った、失敗しない、安全な旅が、お気軽にできちゃうわけだ。ついでに翻訳だってしてくれるし、日本まで無料電話だってできる。いやいや万歩計の機能さえ付いている。無敵だ。

スリランカの列車にはアナウンスがない。駅に着いても駅名の放送はない。だから僕は最初、必死に通り過ぎた駅を数え、駅名を読んだ。でもT君は気にしていない様子。それで尋ねた。「T君、『降りる駅』が分からなかったらどうしよう?」。T君はあっさりと、「それが分かる便利な道具があるやないか」と、GPSの画面を示した。まったく返す言葉がなかった。スマホのすごさを見せつけられたスリランカ。そしてそこにはそんな旅行者ばかりがいた。さて、どうしたものか…。そう思いながらバンコクへ戻った。

スマホとは縁遠いようなバンコクの赤バスに乗っていた。前にはさらにスマホとは結びつきそうもないかなり高齢のおじいさんがいた。だが、彼はおもむろにスマホを取り出し、フリック(指で画面をはじいて動かす=今知った)やピンチアウト(指を広げ画面を拡大する=これも今知った)をし始めた。参った。友人の家に行くと、5年前までパソコンとはまったく無縁だった年配の家族までがタブレットをいじっている。完敗である…。

だがまた一方でT君が言った。「なんでここまで来て、日本のこまごましたことに煩わされるんだ…」。スリランカにいるのに日本のサイトから新しいニュースが入るたびにスマホが鳴る。時々刻々の株式市況も知らせて来る。

さらに、彼は大学で教鞭をとるコンピューターの専門家ということもあるが、「もしかしたら仕事が入るかもしれない」などと言い出した。その「もしかしたら」のために小型のパソコン端末も持って来ていた。そして宿に着くなり部屋の中でWifiが一番受信できるスポットを求め、壁際であの名画「ミレーの晩鐘」のような姿になっていた。なんとも忙しいことだ。

今では世界中で多くの人がスマホを持つ。携帯の買い替え時期と合わせてスマホに切り替わっていったのだろうが、僕の場合、その機会を会社を辞めたことで逸してしまった。会社勤めのままなら絶対に必要だった(?)のだろうが、辞めて以降は緊急な連絡はなし。慌てて何か調べることもない。

だから携帯すら本当は必要ない(入管で電話番号を聞かれる時のために持っているようなもんだ)。なんせ、電話代は年間50バーツ(≒175円)に満たないのだ。まったく忙しくない。

そう、仕事をしていない僕は忙しくない。ほぼ約束もなければ予定もない。旅をするにしても時間はたっぷりある。焦ったり急いだりしなくていい。道に迷っても、たまにはボラれても、目的が変わっても、「しまった」と思っても、ちょっと危険でも、そんな旅を「ひぃ〜ひぃ〜」言いながらやればいいのだ。非効率なことで経験できることだってある。そんな経験と出発前に無理やり詰め込む知識のかけらでカバーするしかない。これまでずっとそうやって来たではないか。

それに、個人的にはスマホを持ってしまうと「頼らされる」という強制感というか、犬の首輪のような「束縛感」を感じてしまいそうで嫌なのだ。「持っていなければ旅ができなくなりそう」という恐怖感さえある。単に持つことにビビっているだけなのかもしれないが…。

いや、これはどちらが「正しい」とか「おかしい」とかいう話ではないと思う。スタイルの問題だ。それぞれが自分のスタイルで旅をすればいいのだ。

今回はT君のお陰で非常に貴重な経験をさせてもらった。大変、大変感謝しているし、今後も大いに参考にさせてもらいたい。そして何より、またT君と旅がしたいと思っている。もちろんその時はまた今回のように「物見遊山」を決め込むつもりなのでナビ役をよろしくお願いしたい。

そんなこんなで、いずれにしても僕にはまだスマホは必要ないということのようだ。だから、次の旅に向けて僕が準備すべき必需品は「アースの殺虫剤」と「簡易湯沸かし器」の2点である、ということが判明した次第だ。まぁ〜、僕はやっぱり「頑固なアナログおやじ」ってことだ。スマートにはなかなかなれそうにない。(終)

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2月5日。ついにスリランカ最終日になった。今夜というかあす6日の未明、午前1時40分発の飛行機でバンコクへ戻ることになる。ということで、今夜は宿泊はしない。しないのだが、ここクラナで別に行くべきところもない。だからここの宿にレイトチェックアウトを頼むことにした。

午後7時のチェックアウトで、追加1500ルピー(≒1250円)は少し高かったが、まぁ、部屋を追い出されて居場所がないよりはましだ。それに丸一日うだうだと部屋で過ごせるのは、今回の旅行ではこれが最初で最後でもある。

居場所が決まって一安心だったが、ただ一つ決まってないものがあった。それはここクラナから空港へどうやって行くか。選択は2つ。一つはこの宿からトゥクトゥクで直接空港へ向かうというもの。二つ目は、クラナ駅から列車に乗って空港最寄りのカトゥナーヤカ・サウス駅まで行き、そこからトゥクトゥクに乗るというもの。

トゥクトゥクはこの宿からなら300ルピー(≒250円)、カトゥナーヤカの駅からならせいぜい100ルピー(≒85円)と試算した。さらにT君の調べたところでは、午後7時過ぎにクラナを出てカツゥナーヤカ・サウスへ向かう列車があるとのこと。長い距離のトゥクトゥクの値切り交渉はなかなか大変なので、どちらかと言えば後者が有力だった。

まぁ、とりあえず空港までの移動手段にも目途をつけた。となれば、心残りは一つ、「リベンジ!」である。だから宿の朝食を済ませてすぐにきのうのスーパーへ向かうことにした。「なぜ?愚問だ」。ビールに決まっているじゃないか。ビールにリベンジなのだ。1日遅れでもスリランカの独立記念日を祝わないでは帰れない。ま、これは嘘だけど…。ただ何もすることのない昼間の時間を、呑んだくれて過ごしてやろうというのが目的だった。

きのう僕の楽しみを奪った憎っくきスーパーはきょうもそこにあった。中に入り既に勝手知った店内をさっさと酒コーナーへ向かう。忌々しかったあの張り紙がないのをチェック。コーナーの扉も開いている。よしよし。タイのように時間規制はなく何時でも買えるようだ。

それまで飲んだことのなかったPOWER EXTRA STRONGとSTOUTを一本ずつ。そしてお気に入りのLION LAGERを2本かごに入れた。呑めないあのT君も「最終日のきょうは呑む」とLION LAGERとSTOUTを購入した。楽しくなってきた。

つまみにピーナツとスリランカのスナック、そして腹が減るだろうからとスリランカのカップラーメンを2個買った。「ふふふ…、宴じゃ、宴じゃ〜。呑まいでかぁ〜!」―。ビールが買えてご満悦の僕は、スリランカの独立記念日の祝いなんてことはすっかり頭から吹っ飛んでいた。

午前11時には宿に戻り、早速、宴が始まった。まったくもって呑んべえ〜馬鹿おやじである。まずは2人ともSTOUTで乾杯。「いやいや、お世話になりました。T君のお陰で安全に確実な旅ができました」と感謝した。スナックをボリボリ、バリバリ食いながらビールをグビグビ。プハァ〜である。言うことなし。

ところがT君は1本目で玉砕。ベッドですっかり「涅槃像」になってしまった。ま、こっちも何本目かには大の字になった。その後、昼過ぎにカップラーメン2個をペロリとたいらげた。スパイスの効いたラーメンだが、これがなかなか美味い。スリランカでは麺料理がなかったので、それもあったのだろうが「これがこの国で一番落ち着いた味の食事だった」とつい思ってしまった。まったく即席麺を発明した安藤百福に感謝である。

夕方5時過ぎまでうだうだと部屋で過ごして、ようやく荷造りを始めた。そして、6時にチェックアウト。7時まで部屋は使えるのだが、実は午前中、ビールを買いに出た時に見てしまったのだ。大通りを走る「AIR PORT」と書かれた路線バスを。これを使わない手はない。

ということで空港への移動は、まずは6時から大通りでバスを待ち構える。バスが通る頻度がわからない。それでもし7時まで待ってもバスが来なければ駅に移動して列車を待つ。もし列車も乗り過ごしたらトゥクトゥクで行く、という三段構えの作戦となった。

頭がまだビールでボーッとしたまま荷物を抱えて大通りへ。すぐにバス停を発見した。で、ホッとして振り返ったらそこにバスだ。見ると「AIR PORT」と書いてある。えーっ!?まったく待つ時間もないままにそのバスに飛び乗ることになった。あまりにもタイミングが良すぎる展開。2人とも「普段のおこない」がいい、ということに違いない。

空港前ターミナル(と言っても空港まではちょっと歩かなければならない)にはほんの30分ほどで着いた。こうなると逆に時間が余って困る。出発時間の午前1時40分まで7時間もあるのだ。

しょうがないのでバスターミナル近くの店で夕食代わりに買ったロティを空港内でムシャムシャと食う。やはりカレー味。次に、残ったスリランカルピーをタイバーツに両替する。150バーツになった。そして、機械で自動チェックインをする。便利になったものだ。出国審査もすんなり終わった。問題なし。タイの免税店で買ったのとまったく同じウイスキーを今度はスリランカの免税店で買った。準備万端―。

ということで長らく待ったスリランカ航空機に乗り込んだ。さて、スリランカには今度はいつ来るだろうか。来年かな?ボードを持ってくるか…?と思っていたら機内食が出た。ビールを頼んだ。こちらはお気に入りになったLION LAGERを期待したのだが、出てきたのはカールスバーグだった。「おぃおぃ!スッチーさん、〆が悪いわ〜…」―。「宴」はまだまだ終わらないようだ。

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2月4日。クラナ駅から宿までの道沿いの家は、駅の小ぢんまり感に反して敷地の広い「お屋敷」が多く、駐車場には高級な欧州車が止まっていた。この辺りは高級住宅地のようだ。宿もそんな屋敷っぽい建物で、1階にドミトリー1部屋と共同の広い台所、食堂、2階にドミトリー1部屋と個室2部屋、そしてリビングというかなりゆったりした造り。どうやら元々は金持ちの家で、それを宿に改造した建物のようだった。もしかすると道楽で従業員にやらせているのかもしれない。

既に午後4時が近かったのと、まともに昼ご飯を食べていなかったこともあってすぐに外出した。もちろん受付の兄ちゃんに「ビールを売っている店」もチェック済みだ。というのも、このスリランカ、実は酒を手に入れるのが非常に困難な国なのだ。これまで行ったどの街も、一般の食堂や商店、スーパーには全くない。かなりしっかりしたコロンボのインド料理店にも置いていなかった。

ではどこにあるのかと言えば、それは「酒専門店」である。これがどの街でも街角のひっそりした場所にあったりするもんだから、地元の人ならともかく旅行者には簡単には発見できない。スリランカでは宗教的な理由もあって公の場での飲酒は避けられていることが背景にあるようで、特に女性については飲酒はおろか酒屋で酒を買うことすらあり得ないのだという。

そういうこともあってスリランカの酒屋は、どこもここも怪しい店構えだった。すべての店が例外なくカウンター越しの対面販売で、そのカウンターには鉄格子がガッツリはまっているところがほとんど。この方式はインドも同様だったので、南アジア共通なのかもしれないが、しかし、何をそこまで警戒しているのか…。

だが、これはコロンボの酒屋の雰囲気を見て納得した。酒屋の前には身なりも、その表情もなんとも怪しげな男たちがたむろしている。酒を買いに集まっているのだが、中には今買ったウイスキーだかアラック(ヤシ酒)だかをその場で開け、リポビタンよろしくラッパ飲みで一気に飲み干すおっさんもいるのだ。これじゃ店側は鉄格子くらいつけたくもなるわな…(怖)

こちらはそんな状況にあっけにとられながらも、なんとか「ビールを2本お願いします」と小声で注文する。そして、受け取ったらそそくさと立ち去るのが精いっぱいなのだ。

そんなちょっと異様な場所から僕がいつも買ったのはビールのみ。ウイスキーはバンコクの免税店から買って来ていたので、とにかくビールを買った。スリランカビール、これがなかなか美味かった。というかお勧めは1種類しかないのだが、その名もLION LAGER(度数4.8%)=希望小売価格500ml200ルピー(≒170円)=。これはキリンの一番搾りっぽい感じで、正直、とても美味しい。

あとは、度数の高いSTRONG(同8.8%)=希望小売価格500ml250ルピー=は僕には甘すぎた。インドのキングフィッシャーのようなイラつく甘さ。もう一つ度数の高いPOWER EXTRA STRONG(同)=同=はすっきりした飲み心地ながら、いまいちコクが足りない。黒ビールのSTOUT(同)=希望小売価格330ml250ルピー=も「まずかぁ〜ないけど…」という感想だった。ということで、ビール好きな人には一度LION LAGERを試していただきたいところだ。

さて、そのビールを買いに行く。このKURANAで目指す酒屋は、これまで酒販売はないと思っていたスーパーマーケット。宿の兄ちゃんが「歩いて500メートルのところにあるKEELLS SUPERは酒を売っている」と断言したから間違いないのだ。

意気揚々とスーパーに入る僕。一番奥に目指す酒販売コーナーがあった。ここもがっちり別の部屋になっていてやはり柵で囲ってある。で、近くの従業員に「酒はここで払うのか?」と尋ねた。すると帰ってきた答えに絶句してしまった。

「きょうは独立記念の国民休日なので、酒類販売はしません」…。

そして店員が指さした先には、「Liquor will not be sold on Thursday 4 th February 2016 due to it being the National Independence Day」の張り紙。これで完全にダメを押された。

ガ〜〜〜〜ン!である。こちとら、独立記念日を杯を掲げて共に祝おうと思っていたのに…。いや、それは全くのこじつけで、単に飲みたかっただけなのだが…。ここまで来てビールが買えないとは…。しかも「不幸」というのは重なるもので、タイから持ってきたウイスキーを前夜のゴールで飲み干してしまっていた。なんとも間の悪い…(泣)

何という不覚…。今夜はスリランカ中、どこに行ってもビールは買えないのだ。スリランカにはこの他にも毎月の満月の日は「フルムーン・ポヤ・デー」と呼ばれ、酒類販売が禁止される。酒を断って寺参りをする休日となっているらしい…。

いや、確かに同じ仏教国タイでも酒類販売は毎日時間規制があり、また毎月ではないものの満月の日の仏教系休日や国政選挙前日と当日は同様に酒類販売は禁止される。だが、タイの場合、個人の小売店などはこっそり売ってくれるという「抜け道」もあるから、これまで困ることはなかった。

しかしながら、ここは日常的に酒の販売場所が限られているスリランカ。そこにフラーっときたただの旅行者にはもうどうすることもできなかった。というか、そんな敬虔な仏教国、さらにその国の重要な独立記念日にかこつけて「祝杯だ!祝杯だ!」と浮かれていた不謹慎極まりないアンポン外国人の僕にバチが当たった、ということなのだろう。

ま、いずれにせよビール好きの上に不信心者の僕にとって、スリランカとは居心地の悪い場所であることがはっきりしてしまったのだ。スリランカ最後の夜はアルコールなしの悶々とした夜となり、「あぁ〜、この宿の周辺の金持ちの家の冷蔵庫には、ビールくらい冷えてんだろ〜によぉ〜…」と悪態をついて寝たのでした。

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宿を出て海へ向かう。灯台の先には青いインド洋が広がる。ここは浅いリーフだが、なかなかいい感じの波が入っている。ただ風はオンショアだけど。久しぶりの海はやはり気持ちい。太陽を浴びながらぶらぶら歩いて、食事がてらに街に出た。そこから、再び花崗岩でできた砦の城壁の上を歩きながらついには城壁を一周してしまった。

外周の城壁は17世紀に先に来ていたポルトガルからここを奪ったオランダが築いたらしい。オランダ語でステル(星)、ゾン(太陽)、マアン(月)という3つの稜堡で街を囲んでいるらしいが、こりゃ〜まるで「進撃の巨人」だな。あっちは「ウォール・マリア」、「ウォール・ローゼ」、「ウォール・シーナ」という三重の城壁だったが…。

一方で城塞内の旧市街には、取り立てて僕の興味を引くようなものはなかった。キレイキレイなレストラン。当然、メニューはバカ高い。宝石店やアイスクリームショップ。ギャラリーまであるが、別にここでなくてもよさそうなものばかり。それにどこもかしこも欧州人に媚びた店構えでつまらない。

この旧市街までもが「世界遺産」というのは本当だろうか?と思ってしまう。改築や新築は厳しく制限されると聞いたことがあるが、とてもそんな風には思えないのだけど…。そして、ここも例に漏れず中国人の団体がとてもうるさいのだった。

2月4日。宿近くの路上の食堂で朝食。オムレツセット450ルピー(≒380円)という城壁内にしては良心的な値段だった。その後、宿を出てバスターミナルへ歩いて向かう。コロンボへ戻る手段を昨夜の内に列車から高速バスに計画変更したのだ。

案内所で高速バス乗り場を聞いて向かう途中、別のコロンボ行きのエアコンバスに捕まった。「コロンボに行くならこのバスだ」と言い、さらに「高速バスは、今日は独立記念の祝日だから○○(←どこぞの地名。聞き取れなかった)までしか行かない」とかなり眉唾的な話が続く。

T君は「高速バスを探そう」と言っていたのだが、バスの兄ちゃんの「所要時間は2時間半から3時間」「すぐ出発する」という言葉にまたも僕が“陥落”してしまった。「すぐ出るのならこれで行こう」。旅行の「移動手段」については、僕は意外に面倒くさがりの心配性なのだ。「行ける」となれば初期計画をほっぱらかして飛びついてしまう傾向がある。

前回のコロンボからゴールへの「早朝1等車」の僕の主張は却下されたが、今回はT君に折れてもらい、2人は早速そのバスに乗り込んだ。座席は右2列、左一列でゆったりしている。もちろんエアコンも効いている。問題はないが、高速バスではなく一般道を通ることになるから本当に3時間以内で着くのかどうか。その辺が「勝負」の分かれ道か(何の勝負かは知らんが...)。

だが、その一般道を通ってくれたことが、僕にとっては良かった。料金1人250ルピー(≒210円)を払うと、ほどなくして出発。きのう南下した鉄道に沿った国道「A2」をきょうは北上する。鉄道より海側を走るので海がよく見えるのだ。それに鉄道や高速道路と違って街の中を走るので、街の生活の様子がよく分かった。

そして鉄道で来る時に通り掛かったヒッカドゥワに近づいた。街の雰囲気が一気にリゾートっぽくなる。海にはサーフィンをする姿も。だが、ここは「ド初心者」ばかりか…。別の場所では胸〜腹サイズのグーフィーが割れていた。ちょっとタルめだが、いやいや十分。俺様サイズだ。あぁ〜、海が僕を呼んでる〜〜〜。

その波を見つつ同時に周辺の店にも注意を払う。すると、あった!サーフショップ。ボードも売っているようだ。レンタルがあるのかは確かめようもないが、ショップ数件を確認。これでポイントの情報やバックアップも大丈夫だ。

あとは宿の問題。リゾート地はなんでも高い。特に宿泊費はバカにならない。だが、ヒッカドゥワのバスターミナル周辺から離れれば、いくらも安宿はありそうだ。その証拠に「ROOM」の看板が至る所に出ていた。1泊1000円も出せば選択肢はかなりありそうな気配。そこにレンタルバイクか自転車でもあればそらもぉ〜完璧だ。1カ月くらい滞在してもいい。

もっとも食事は、あの「まずかぁ〜ない」スリランカ料理ばかりになってしまうのだろうから、それはそれでめちゃくちゃ飽きてしまいそう。だが、11〜4月のプーケットの波のなさを考えれば、カレー味のロティばかり喰らいながらでも、その期間中に来てみる価値はありそうだ。

インド洋でのサーフィンを夢想する変態おやじ。いろんなことをぼんやりと考えていたらいつのまにか2時間があっという間に過ぎていた。もうすぐコロンボに着く。その時、バスは準備中の巨大な式典会場の横を通り過ぎた。このバスに乗る時に車掌の兄ちゃんに言われて初めて知ったが、きょうはスリランカの独立記念日。その式典のようだ。1948年2月4日にイギリスからの独立を果たしたのだ。

バスは、その兄ちゃんの言葉通り3時間でコロンボ駅に到着した。ここからはまたも列車だ。次の目的地はここから北のリゾート地ネゴンボに近いクラナ。そこはコロンボ空港まですぐの場所。そう、もうこの旅は終わりに近づいていた。あすの深夜にはバンコクへ戻る飛行機に乗らなければならないのだ。

クラナまでの切符は35ルピー(≒30円)。昼食代わりに買ったやっぱりカレー味のロティにかぶりつきながらゼロ番線ホームで待つ。入って来た今度の列車は日本の通勤電車のように車両の両サイドに対面式のベンチシートがあるタイプで、まさに近郊線と言う感じ。当然、乗っている人も旅行者というよりは家族連れや仕事帰りと言ったスリランカの一般人がほとんどだった。

それでも果物やお菓子を売る車内販売はやって来る。ついでにビスケットの大きな丸い空き缶をタンバリンがわりに勝手に何かの歌を歌って乗客から金をもらおうとする「変なおじさん」もやって来た。いや、しかし、これがとても聴けるような歌ではなかったので、金を出す人はほとんどいなかったが…。

列車は空港の横を通り抜けてクラナに着いた。なんとも裏寂しい小さな駅。そこから徒歩で今回のスリランカで最後となる宿へ向かった。「最後の夜」となれば、そらぁ〜呑まなきゃならん。

しかも、きょうはスリランカの独立記念日だ。68年前のきょうは、ポルトガル、オランダ、イギリスの白人毛唐どもが長年築いてきたあの「ステル、ゾン、マアン」の稜堡で守られたゴールの要塞の地が、ついにスリランカ人の手に戻ってきた、その日なのだ。白人による搾取や蹂躙からの解放の記念日なのだ。

「祝いだ!祝いだ!祝杯だ〜!」「冷えたビールを買うぞ〜!」と勝手に意気込んで歩く僕だった。

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2月3日。約1時間遅れの午前11時半にコロンボ駅を出た列車は走り続ける。完全に座席が埋まった車内の通路で立っているしかない僕とT君。だが、「僕らの前の白髪のおばあさんは4、5分で降りるのだ。もうすぐ座れる」と思えばこそ立っていてもそれほど辛くもない。

それにしばらくすると進行方向右側、すなわち西側に青い海が広がった。インド洋だ。この先はアラビア海に続く。その先の対岸はアフリカのソマリアか。1月27日にプーケットを出て以来、海は1週間のご無沙汰だった。どうやら今は満潮の時間帯か。潮が引けば波はもっと良くなりそうな雰囲気だ。「波乗りできそうだ」と、一人勝手にテンションが上がる。ずっと見ていても飽きない海。たまら〜ん!

一方、おばあさんどうしたんだ?20分が過ぎ、30分が過ぎ、いくつかの駅に止まってもさっぱり降りる気配はない。むしろ周囲の人との話が「満開」で爆笑している。「いつ降りるのだ?」と思うが聞くこともできず、たまにこちらに話しかけて来るからこちらは愛想笑いを返すのみ…だった。「4、5駅の間違いだったか?いや4、50分の間違いだったのか」。自分の聞き間違いを疑ってみるが、そこに明確な答えがあるわけでもないのだ。

ついに40分近くが過ぎた。が、おばあさんは武田信玄ばりに“山のごとし”である。それどころかすでに満員の車内に、どこぞの駅から7、8人のドイツ人旅行者が乗り込んできやがった。それも図体も態度もでかいのばかりだ。完全にアジア人を見下してやがる。その上、それぞれが驚くほど大きな旅行用スーツケースを車内通路にゴロゴロと持ち込んできやがったのだ。

ほとんど身動きが取れない車内。列車はやはりかなりの縦揺れをお見舞いしてくる。そこに無駄にスペースを取る「ドイツ機甲師団」。そして「この状態でも売るのか?」と、こちらを驚愕させるスリランカの車内販売が大量のリンゴを抱えて通る。そしてまた戻ってくる。申し訳ないが、ちょっとイラつく。

列車はそれでも容赦なく揺れる。こちらは体を支えようと座席の背を握ろうとするが、そこにはドイツ人どもの手がある。またイラつく。こんな荷物を持って集団で列車に乗るとはまったく迷惑千万!てめぇ〜らで車でもチャーターしやがれってんだ!と怒りがこみ上げるが、これも詮無いこと。諦めるしかない。

だが、やっぱり諦められないのが、おばあさんの「私は降りるから、あんたたち座れるよ」の言葉。一体全体いつ降りるのか?いや、こちらはどうしても座りたい、と言うわけではないのだ。「降りる」と言った、その言葉の真偽を確かめたいのだ。いや、ここまでくれば自分のヒヤリングの悪さが原因だ、とは分かっているのだ。それに別に2時間半立ったままでもこちらは一向に構わない。でも絶対「降りる」って言ったもん!!!

そんなことを思い始めていたら、乗車から1時間にならんとするところでおばあさん、ようやく降りる準備を始めた。「よっしゃぁ〜!」と心の中はガッツポーズ。だが、その次の駅でもやっぱり降りない。どうゆ〜こと?嫌がらせか?さっぱり訳が分からない。

そうこうしてたら、そのおばあさんより先に別の女性と男性が降りて行った。えっ?何?まぁ、結果、2人分の席が空いて僕とT君は座ることができたのだが…。当のおばあさんはまだ座って話しかけてくる。なぜだ…? で、結果的には、おばあさんはそこからさらに数駅先までしゃべり続けて、満足したように降りて行った。

いやぁ〜、思わせぶりなおばあさんだった。いや、決して悪い人ではないのだろうが…。やっぱり聞き間違えたのだろうなぁ…。反省はしてみるが、しかし、何をどう聞き間違えたのか、今もって分からない。「スリランカの4、5分」には注意が必要なのだ。

そのうちにある駅に着いたところで、あの図体も態度もでかい忌々しいドイツ軍団も降りて行った。奴ら、いったいどこに行くのか?と思って駅名を見た。看板には「HIKKADUWA」―。なにぃ〜!?ヒッカドゥワだぁ〜!?

そう、ここはスリランカ有数のビーチリゾートで、何といっても周辺には「サーフポイントもある」と唯一僕がスリランカについて予習してきた場所だった。つまり個人的にはスリランカ最重要地点と言っていい。気づけば他の白人旅行者も続々と降りていく。やはり人気スポットらしい。

本当ならば僕も降りてみたいところだが、今回の僕の目的は「スリランカの下見」である。スリランカの交通機関や料理、物価、治安状況などの基本情報を収集して、次回の「本番のサーフトリップ」につなげるのが「俺様ミッション」なのだ。そのためにT君ツアーに便乗させてもらったのだ。ということで、降りたい気持ちを抑えつつ港町ゴールを目指した。

ゴール到着までの間、隣席になったスリランカ人の男子大学生サンダジーワ君(23歳)とちょこちょこ話しながら行くことに。彼曰く、僕とT君はとても50を超えたおっさんには見えないとのことだった。ただ、僕の短パンにサンダル履きの服装は「旅行者じゃなく田舎の人みたいだ」と言って笑っていた。まぁ、それで正解なのだが…(汗)

それでも、先ほどのなかなか降りないおばあさんにしても、僕を「田舎もん」と切り捨てるサンダジーワ君にしても、やはりスリランカ人は性格が温厚で、なんだかとっつきやすい。北インドの「巻き上げてやる」「ふんだくってやろう」というせせこましさやがめつさがないから、安心して話もできるし、疑いながら距離感を測る必要もない。そういう意味ではこの国は豊かなのか…?。

ということで、スリランカの所得水準を見てみると、平均月収は1万5千円〜2万円。公務員の平均もほぼ同程度というから、みんなそれでやりくりしているということだ。一方で食費は、ここまで旅行して「安いなぁ〜」と感じることはなかった。

もちろん旅行者価格を差し引かねばならないが、それなりに食べると400〜200ルピー(340〜170円)はかかる。平均月収が12万円ほどになったタイの方が同じようなものでも1食150〜50バーツ(500〜180円)ほどで済むから、スリランカは割高に感じるのだ。まぁロティとロールスを1個ずつと紅茶だけなら100ルピー(≒85円)では収まるのだけど。

ちなみに水は1.5リットルペットボトルで70ルピー(≒60円)。缶ビールは500ミリリットルが200〜300ルピー(170〜260円)。そして失業率は日本とあまり変わらず4%前後とのこと。

だから総合的には決して「経済的に豊か」とは言えない国なのだが、国民性はとても豊かに感じるのはどういうことだろう。本当にギスギスしていない。いやむしろ日本人の方がよほどギスギスしているように感じてしまい、恥ずかしくなってしまう…。

ゴール駅には3時ごろに到着した。列車はここからまだ先に進むのだが、ほとんどの乗客はここで降りた。駅を出るとさっそくトゥクトゥクの客引きがお出まし。だが、ゴールの城塞の中の宿を伝えると、「きょうは城塞は閉まってるから、歩いてはいけない。トゥクトゥクに乗れ」などと訳の分からないことを言う。こんな輩は北インドばりに信用できない。とっとと歩くことにした。

ここでゴールについての受け売り情報。ゴールはスリランカ南部の主要都市で人口は約10万人。古くからインド洋交易の主要港で、15世紀にはあの明の鄭和も寄港した。その後はポルトガル、オランダ、イギリスと続く欧州列強の植民地政策の拠点となり、海側に要塞が作られる。その要塞の城壁は今も残っていて、その要塞とその内側の旧市街も含めてあの胡散臭い「世界遺産」となっている、とのことだ(と、今知った…)。

宿はその世界遺産地区にあって、大きな石の門をくぐって入るのだが、そこには物乞いのやせ細ったおばあさんがしゃがみ込んでいた。道行く人に向かって、自分の口に手を当てるしぐさをしながら「食べ物を買いたいから金をくれ」のポーズをしている。「UNESCOのお偉いさんはこの人も『世界遺産』に指定しているのか?」と、そんな皮肉を言いたくなる。

その横を通り抜けて宿へ進む。宿の主人は宝石店も営んでいるようで、かなりの金持ちのようだ。その証拠に2012年製の輸入の中古日本車を買ったばかりということだった。スリランカでは輸入車は中古でも200%(最近はさらに引き上げられた、との話もある)の関税がかかるらしい。つまり元値が100万円でも販売価格は300万円以上になるということだから、裕福でなきゃとても買えない。そして中古車はもちろんのこと、かなり高級な新しい日本車もこのスリランカにはたくさん走っている。

貧しいのか、裕福なのか…。気を許せるのか、許せないのか…。おおらかなのか、せせこましいのか…。何が世界基準で、何がその国独特なのか…。そして、スリランカ人の「4、5分」は何を意味するのか...。そんなことがすっかり分からなくなりながらゴールの町に到着した。

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