
あとがき
「スリランカに行く予定なんやわ」―。そうT君から聞かされたのは昨年(西暦2015年)の10月。日本に一時帰国した僕が関西を旅行中、二十数年ぶりに再会した時のこと。それを聞いて僕の食指が動いた。スリランカには興味があったし、タイにいるのだから遠くない国に思えていて、「いつかは行ってみたい」と考えていたからだ。だから速攻で「便乗」をお願いした。年が明けて1月29日、僕はほとんど準備のないまま待ち合わせのバンコクの空港へ行くと、そこにはスーパーマンが待っていた。
それはもちろんT君のこと。彼は何でもできるスーパーマンだった。まず、強力な殺虫剤を持っていた。アースの「おすだけノーマットスプレータイプ」。スリランカは熱帯の国。当然、蚊はタイ同様にいる。僕も体に塗るタイプの虫除けは持参したが、T君のは半端なかった。部屋に1、2回スプレーするだけで部屋中の蚊がボトボトと落ち、しかも半日は効果が持続するという優れもの。お陰で僕は一度も自分の虫除けを塗ることがなかった。
次に、コーヒーカップの水を沸かす簡易の湯沸し器。昔は僕もこの手のものを持っていたが、最近はトンと使っていない。だが、ほぼ毎年、世界中を旅していて、今年はついにアフリカにまで足を延ばすという彼は「旅の達人」なのだ(そして今日2016年2月26日現在、彼はアメリカのラスベガスにいる=笑)。湯沸し器の便利さと必要性を身をもって知っていた。そしてこのお陰で僕もスリランカ滞在中は毎日、セイロン紅茶を楽しませてもらった。朝の一杯は格別だった。
そして、これが一番のスーパー道具なのだが、それがスマホである。僕は今回、このスマホの威力を嫌と言うほど思い知らされた。T君はコロンボ空港に着いてすぐにシムカードを買った。これで現地の通信会社経由のネットアクセスが可能になった。さらに滞在先の宿はどこも例外なく無料Wifiがあって、パスワードを入れるだけで使い放題になる。現地にいながら現地に関する詳細な情報収集が、言葉の問題や時間に関係なくできるのだ。
それにGPS機能があるから、自分たちの正確な位置や移動速度をリアルタイムでつかめる。宿までの道で迷うことはないし、バスや列車、トゥクトゥクに乗っている時に駅の表示や街の看板が読めなくても「ここがどこの街か」が分かるし、「あとどれくらいで目的地に着くのか」も計算できた。だから、その後の計画も立てやすかった。まったく驚くべき道具だった。
20歳の時にアメリカを半年間“浮遊”してから、なんとなくあちこち旅するようになった。その時にT君と出会ったわけだが、当時はみんな必ず「地球の歩き方」を片手にしていた。それはまだ中身に信ぴょう性のカケラもないお粗末なガイドブックだったが、頼るものはそれしかなかった。
書かれている場所の情報はよく「嘘」だったし、地図も違った。自分がどこにいるのかもその地図を近くの人に示しながら尋ねる。夜行バスや夜のレンタカー走行の時は、道路標識だけが頼りだ。バスの時刻も現地のターミナルまで行って紙のタイムテーブルを手に入れなければわからない。宿も行ったとこ勝負で、空き部屋を探し歩いて宿の人と値段交渉をする。
そんな旅はアメリカだけじゃなくタイやインド、ベトナム、ネパールなど文字や言葉がさっぱりわからないアジアでも同じだった。タクシーの運ちゃんに宿を紹介してもらい、食堂で読めないメニューを指差す。バスや列車の時間なんてさっぱりわからない。下手すりゃ値段だってよくわからない。だから結果、ぼられたり、得体の知れないものを食わされたり、非効率な動きで時間をものすごくロスしたこともあった。
それがどうだ。スマホさえあれば「何が」「どこに」あって、それが「いくら」で、「いつ」「どの道順で」行けばいいのか…、ぜ〜〜〜んぶ分かるのだ。つまり知識や経験がなく、まして現場で尋ね歩くことなんかしなくたって、スマホの操作と検索方法さえ覚えてしまえば、迷うことなく、予定通りに、予算内で、目的に合った、失敗しない、安全な旅が、お気軽にできちゃうわけだ。ついでに翻訳だってしてくれるし、日本まで無料電話だってできる。いやいや万歩計の機能さえ付いている。無敵だ。
スリランカの列車にはアナウンスがない。駅に着いても駅名の放送はない。だから僕は最初、必死に通り過ぎた駅を数え、駅名を読んだ。でもT君は気にしていない様子。それで尋ねた。「T君、『降りる駅』が分からなかったらどうしよう?」。T君はあっさりと、「それが分かる便利な道具があるやないか」と、GPSの画面を示した。まったく返す言葉がなかった。スマホのすごさを見せつけられたスリランカ。そしてそこにはそんな旅行者ばかりがいた。さて、どうしたものか…。そう思いながらバンコクへ戻った。
スマホとは縁遠いようなバンコクの赤バスに乗っていた。前にはさらにスマホとは結びつきそうもないかなり高齢のおじいさんがいた。だが、彼はおもむろにスマホを取り出し、フリック(指で画面をはじいて動かす=今知った)やピンチアウト(指を広げ画面を拡大する=これも今知った)をし始めた。参った。友人の家に行くと、5年前までパソコンとはまったく無縁だった年配の家族までがタブレットをいじっている。完敗である…。
だがまた一方でT君が言った。「なんでここまで来て、日本のこまごましたことに煩わされるんだ…」。スリランカにいるのに日本のサイトから新しいニュースが入るたびにスマホが鳴る。時々刻々の株式市況も知らせて来る。
さらに、彼は大学で教鞭をとるコンピューターの専門家ということもあるが、「もしかしたら仕事が入るかもしれない」などと言い出した。その「もしかしたら」のために小型のパソコン端末も持って来ていた。そして宿に着くなり部屋の中でWifiが一番受信できるスポットを求め、壁際であの名画「ミレーの晩鐘」のような姿になっていた。なんとも忙しいことだ。
今では世界中で多くの人がスマホを持つ。携帯の買い替え時期と合わせてスマホに切り替わっていったのだろうが、僕の場合、その機会を会社を辞めたことで逸してしまった。会社勤めのままなら絶対に必要だった(?)のだろうが、辞めて以降は緊急な連絡はなし。慌てて何か調べることもない。
だから携帯すら本当は必要ない(入管で電話番号を聞かれる時のために持っているようなもんだ)。なんせ、電話代は年間50バーツ(≒175円)に満たないのだ。まったく忙しくない。
そう、仕事をしていない僕は忙しくない。ほぼ約束もなければ予定もない。旅をするにしても時間はたっぷりある。焦ったり急いだりしなくていい。道に迷っても、たまにはボラれても、目的が変わっても、「しまった」と思っても、ちょっと危険でも、そんな旅を「ひぃ〜ひぃ〜」言いながらやればいいのだ。非効率なことで経験できることだってある。そんな経験と出発前に無理やり詰め込む知識のかけらでカバーするしかない。これまでずっとそうやって来たではないか。
それに、個人的にはスマホを持ってしまうと「頼らされる」という強制感というか、犬の首輪のような「束縛感」を感じてしまいそうで嫌なのだ。「持っていなければ旅ができなくなりそう」という恐怖感さえある。単に持つことにビビっているだけなのかもしれないが…。
いや、これはどちらが「正しい」とか「おかしい」とかいう話ではないと思う。スタイルの問題だ。それぞれが自分のスタイルで旅をすればいいのだ。
今回はT君のお陰で非常に貴重な経験をさせてもらった。大変、大変感謝しているし、今後も大いに参考にさせてもらいたい。そして何より、またT君と旅がしたいと思っている。もちろんその時はまた今回のように「物見遊山」を決め込むつもりなのでナビ役をよろしくお願いしたい。
そんなこんなで、いずれにしても僕にはまだスマホは必要ないということのようだ。だから、次の旅に向けて僕が準備すべき必需品は「アースの殺虫剤」と「簡易湯沸かし器」の2点である、ということが判明した次第だ。まぁ〜、僕はやっぱり「頑固なアナログおやじ」ってことだ。スマートにはなかなかなれそうにない。(終)
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