談合は本当に悪なのか

談合の功罪を考えてみませんか(下から読み上がってください)

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 競争で余裕のなくなった現場は、製品を仕上げるのに汲々として、労働者の労働条件や作業環境は過酷劣悪となり、又安全への教育や安全設備への配慮などは全く顧みられなくなって、労災も急増するに違いない。
 むろんそれは現場内だけではなく、現場周辺の一般住民への安全対策や、環境対策等も真っ先に削減されるところとなるに違いない。
  競争の激化で、倒産や廃業する業者が続出し。地方は失業者で溢れ。むろん税収も縮小し、社会生活の安全や治安も大きく荒廃して、過疎と高齢化も相まって小集落はもち ろん、相当程度の地域そのものが消滅してしまう程の衝撃をもたらすに相違ない。

◎武士道精神の荒廃がもたらした現代の非道  
  藤原正彦氏がベストセラー「国家の品格」の中でこう書いている
 
  ここに一週間何も食べていない男がいる。この男が街に出てパン屋さんの前にきた時、
  思わずパンを奪って逃げてしまう。
 そうした光景を目にしたとき、人間が起こす行動は次の二つに区別されるという。
「日本は法治国家である。法治国家に於いては、法律を遵守されなければならない。
   他人の物を黙って盗るのは、窃盗罪に値する。したがって法律に則り処分されなければいけ
  ない。その為に警察に付きだそう」
   別の人は同じ光景を見てこう思う
「ああ可哀想。確かにこの男は人の物を盗んだ。しかしこの男は、今このパンを食べないと死ん
  でしまったかも知れない。
   人間の命は一片の法律よりも重い場合もある。だから今は、見て見ぬふりをして通りすぎよう」
 
   どちらも論理は通っています。最初の人は「日本は法治国家である」が出発点で
 結論は「警察に突き出す」
  もう一方の人は出発点は「ああ可哀想」で、結論は「見て見ぬふりで通りすぎる」。
 両方とも論理はきちんと通っているが、出発点が異なった故に、結論が異なってしまったとい
   うことです。

  氏によれば、頭が良く論理的思考能力がばっちりでなのにもかかわらず、情緒力が欠けている
   タイプは「警察に突き出す」思考を導き出し、
 武士道を重んじ、情緒 力豊かな人は後者の結論を導き出すという。
  競争がより危険な弊害をもたらす事となるにもかかわらず、
 「法に則り、断固談 合を絶滅すべし」と声高に叫んでいるマスコミや知識人が多くなってきた
    背景には、日本人が本来持っていた、豊かな情操をないがしろにし、経済性、効率性を優先し
    てきた教育や思想が、物事を論理的にしか思考できない人達を育成して結果でもあろう。
 「警察に突き出す」思想者が多数を占める社会にあっては、
    「惻隠の情を根底とす る談合」が許されなくなってきたのも、当然の事なのかも知れない。

※競争入札の巨大な弊害
 談合を廃止して、競争一辺倒の入札となった場合、どんな問題が露呈されるのかを考え てみよう
◎シナリオ第一   建設業界と地域が破綻する
  競争の激化の結果、建設企業の破綻が飛躍的に発生し、地域には大量の失業者が発生 することとなろう。結果その失業者への保険の給付という形で、そのツケは結局は納税 者に跳ね返ってくる形となる。
  公共工事に支えられていた地方の経済は当然に壊滅的に破綻し、地域の生活圏の治安 さえもが世紀末的に、悪化することになるのかもしれない。
  そもそも競争社会を突き詰めれば、周りは全て敵同士になるので、油断も隙もならな い荒廃した殺伐とした社会にならざるを得ない。
 大が小を駆逐し、強者が弱者を粉砕し、弱肉強食の恐怖の世界におののく事になる。
 
 そうした恐怖の弊害を防ぐためには、現代社会で競争を入札を有効な制度と認知させた いと思うなら、単に入札価格だけでなく、品質や価格や安全や雇用までその効果が現れ ていることを立証させることが必要だろう。そんな有効な手だてがあるのなら、競争も 大いに結構だろう。しかし果たしてそんな有効な手段があるのだろうか。
  国土交通省は競争入札断行にあたり、ダンピングによる品質の確保に備えて、品確法 を立ち上げ、品質の管理を徹底することを明言した。
  その結果品質の保全は、ある程度は確保できるのかも知れないが、受注者のコストは その分又確実に上昇し、倒産に追い込まれる業者は更に増加するところとなるに相違な い。そうした事への対策や、安全や雇用の確保をどうするのか、そこまでの対応は、品 確法をもってしても何ら解決策は示されていない。

「一般競争入札を実施したことにより、我が市は税金をこれだけ節約いたしました」
 とその成果を強調する役所や首長がおり、マスコミも又それを殊更に強調して書き立てている。
   社説や解説員のコラムなどでも、「談合が無くなれば、貴重な税金が浪費されないで済む」
 と相も変わらず近視眼的な論調を披露している。
 しかしそれは決して正しい評価ではない。
 なぜなら公共工事は入札価格のみの競争ではないし、又競争自体を目的としている訳でもない。
  公共発注機関が幾ら安く工事を発注することが出来ても、振り返った後には請負業者 の屍が累々
 と折り重なり、失業者が充満し、劣悪な品質建設物が瓦礫となっていては、競争の成果等はそのかけ
 らも糞もないのだが、その危険性や弊害については、マスコミも行政も知識人も、全く発言すること
 も、報道することもない。
  むろん、そうした弊害が時たま偶然程度で起こる程度というのなら、それも無視しても良いだろう
 しかし事はそうではない。
  競争をすれば、重大な弊害は、複合的に必然的に引き起こされる事であり、これを考慮しないで
  談合を廃止したり、競争入札を実施することは、自らの頭上に向けて、闇雲 にミサイルを発射す
  るような暴挙に等しい。
   公共工事に真の価格競争は「水」と「油」であり、幾ら思考錯誤しても到底「なじむ」わけが
  ないのだ。「一般競争入札」を断行しても失敗することは火を見るよりも明らかでまさに
  「ゆとり教育」の再現となろう。
   そうなった場合、しかし責任の所在も又「ゆとり教育」と同様で、結局は誰も責任などは取るこ
  とが無く、建設業界はもちろん、地域経済や国土安全の荒廃、欠陥工事への莫大な改修等、競争入
  札の強烈なしっぺ返しに、多くの県民が塗炭(とたん)の苦しみ を味わう事になるに相違ない。

◎自立出来ない地方にも責任はあるのか
 公共工事に依存した地方経済というと、
 「依存させているから地方経済はいつまでたっても自立出来ないので、こうした時代と なっては公共工事の大幅削減をして自己責任による、自立を促すべきだ」
 という意見も多く聞かれるが、確かにそれはその通りかもしれない
  しかし、公共工事以外に民間産業が全く無いといって過言ではない地方が存在するこ とも事実で、そんな地方はむろんお年寄りだけで、就職先がないために若者もほとんど 存在さえしない。
  そんなところで一体何で自立せよというのだろうか。そこの道筋まで全て地方が自己 責任で考え、それが出来ない地方は「夕張市」になっても仕方がないというのだろうか
  その自立への道筋を示すことができないい地方に、国も又何ら指示する事もなく、た だ一方的に 公共事業を削減するだけの現状で、地方は滅亡と悲劇への階段を日々確実 に上っているのが悲しい現状だ。

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