談合は本当に悪なのか

談合の功罪を考えてみませんか(下から読み上がってください)

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◎「建設崩壊で衰退する地方を加速させるマスコミの偏見報道」
大沼郡金山町で、2/7日未明に起きた土砂句崩れで
民家が全壊や半壊し、現在12世帯が避難を余儀なくされているが
そうした崩落の現場で、地元建設業者が昼夜を問わず、又危険を顧みないで
復旧作業に当たっているが、実は今こうした地方を支えている建設業者が
長らく続く建設不況の煽りを受けて、業界崩壊の危機にさらされており
いざ有事の際の出動だけではなく、除雪作業を始めとした日常的な修繕維持活動にも
大きな支障や障害をもたらすことになるとなるのではと、住民間においても
大きな不安がささやかれている。
福島県三島町では、公共工事に依存していた業者が7社あったが、すでに5社が廃業して、
現存するのは僅か2社に過ぎない。
内1社も実は倒産して再生途上だ。
地方にあっては、公共工事だけが唯一無二の基幹産業であって
国土保全だけでなく、地方経済の根幹をも支えており、
建設業者の衰退は、そのまま地方経済と雇用の衰退に直結している。
 建設投資は全国的に見ても92年のピークから4割減となり、地方公共事業は98年の最盛期から
急激に落ちこんで半減し、地方によっては1/3にも満たないという惨憺たる状況だ。
 問題は、そうした公共投資の急激な落ち込みで衰退する地方経済を
何らカバーする安全弁も施策も無いままに放置して、この急激な削減の施策のみ続けている県と国の姿勢だ。
 そうした建設業界と地方経済の惨憺たる状況の中にあって、
あろう事か
福島県は今年度から全面的に、条件付きとはいえ一般競争を全国に先駆けて断行することを決定した。
地方経済の破綻は、今後更に加速度的に進行し、住民は塗炭の苦しみを味わうこととなるに違いない
 前知事の談合汚職事件に絡み、県民から湧き上がった県庁不信を払拭する為の驚天動地の改革であるが
この一般競争入札が必然的に内包する、致命的な迄の弊害と欠陥については、
何故か県庁サイドからもマスコミサイドからも、全くといって良いほど上がっては来ない
「談合の弊害」だけを一方的に書き連ねる、偏見報道を繰り返すばかりなのである

◎談合を選ぶか、競争を選ぶか
  談合が適当か、より弊害の多きい競争が適当か、談合問題は、これまでも賛否両論の激論が戦わせれ
 きた。
  冷静になって考えると談合を排除して得られるプラスはごく僅かで、逆に競争で失う弊害はあまり
 にも激甚で、どちらを選ぶべきかは明確で疑問の余地すらもない。
  競争入札で浮かすことの出来る税金などは、ダンピングを別にすれば、すでに述べた様に些細なも
 のでしかない。
  その些細でしかない税金に拘泥することにより失うだろう犠牲と代償はとてつもなく大きいものと
 なる。従来通りの指名競争入札方式でも、最低限の競争性と公正性は保たれており、それで品質や雇
 用や安全や地域の振興や秩序が保たれるなら、その為の保険料と考えるならば、それはずいぶんと安
 いものではないか。
  惻隠の情で、それなりの談合は認めて、競争による荒廃した社会を回避した選択の方が、より大き
 なプラスとなると筆者思うが、そのどちらかを選ぶのは、それは法律や倫理上の問題ではなく、政策
 的に大局的に政治が判断すべき問題なのである。
  競争入札は公共工事にとっては十分ではないどころか、問題の方が極めて深刻に大きい。
 もちろん現在の談合がこのままの形で良いわけでもない、世の中が不況ともなれば、談合の話し合い
 も不調となり、叩き合いになることはその通りだろう。
  又談合は第三者が介入する余地も大きく、そこから構造的な汚職を引き起こす弱さをも内蔵して
 いる。
  談合が目的とするところの「共存共栄」は改革よりも「現状維持」と後ろ向きの姿勢なので、その
 意味からは技術的進歩や改革は、停滞をするのかもしれない。
  しかし、何の制度であれ。万能の制度などはあるはずもないし、昔から生き残っている制度やより
 ベターと思われる制度を改革して、工夫を積み重ねて行くしか方法はないのではないだろうか。
  むろんその際には「惻隠の情」や「武士道精神」を思い浮かべて、血も涙も人情もある日本人だけ
 が創ることの出来る制度を創らなければ、驀進中の暴走列車を止めることは決して出来ないに相違
 ない。
  公共工事に「一般競争入札」が最善であり、又馴染むべきものであるなら、なぜ江戸の時代から談
 合という商慣習が消えることなく受け継がれてきたというのだろう。
 「競争入札」はどうあがいても最善とはなり得ないどころか、その制度自体の致命的なまでの弊害の
 大きさで、競争の真の有効性が見いだせなかったところに、談合からの転換が実現できなかったとい
 うことであろう。
  僅か3ヶ月間程度の審議を経て実施される福島県の「一般競争入札制度」が
 古来から続いた談合制度を駆逐して、その制度自体が内包する大きな弱点や弊害を克服して、
 日本の公共工事入札制度の歴史に燦然と輝く壮大な施策となるのか、
  それとも古来から危惧されて、恐れられてきた競争入札の冷酷非常な宿命に埋没する世紀の愚策と
 なるのか、その判定が下るのはそう遠い先の話ではない。
  そのいずれにせよ、それぞれの地方にあって、地域の雇用を守り、安全を守り、国土建設に命を燃
 やす地域の優良な業者が、少なくともそうした天変地異ともいえる巨大改革の犠牲になって死に絶え
 て行くことのない様な施策だけは、必ず守っていただかなければならないし、
  マスコミも又、行政が今行おうとしている「歴史的実験を」逐一公平な立場で報道し、その政策の
 是非の判断を、国民が曇りない眼で見続けることができるようにしていただきたい。
  今回の入札制度の大改革を実質的に演出したマスコミの、それがせめてもの責務なのではないだろ
 うか。

◎渇望される真のエリート 
 マスコミは、自らが生み出した競争入札社会がもたらす、滅亡に向けてのシナリオのその一端でさえ
 報道し世に問うことなどはなさそうだし、今後もその姿勢に期待はできそうにない。
  一般競争入札が、そうした甚大な弊害をもたらす事となるにもかかわらず、行政や知識人やマスコ
 ミはなぜそれを阻止しようとはしないのだろう。
  競争入札はマスコミ自らが生み出した結果でもあり、それはうなずけるとしても、知識人や行政ま
 でなぜそのよう暴走を止めようとはしないのだろう。
  それは藤原氏にいわせれば、「日本に真のエリートがいなくなったせいだ」
 というものかもしれない。
 氏の「国家の品格」によれば、真のエリートには二つの条件がある。

 第一に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身に
 つけていること。そうした教養を背景に、庶民とは比較にならない様な圧倒的な大局観や総合判断力
 を持っていること。
 第二に、いざとなれば、国家国民のために喜んで命を捨てる気概があること。
 この真のエリートが、今日本からいなくなってしまいましたと氏は嘆いている。
 
 財務省官僚を筆頭に、霞ヶ関には東大を優秀な成績で出た人がいっぱいいるが、パンを盗んだ人を見
 て、警察に突き出す事しか思いつかない官僚に、弱者の痛みがわかる行政など期待する方がもはや無
 理なことなのかも知れない。

◎餓死寸前の業界に行政はパンを与ず、取り締まりを強化する

 建設投資は全国的に見ても92年のピークから4割減となり、地方公共事業は98年の最盛期から
 急激に落ちこんで半減してしまっている。
  特に地方は、土木工事の民間建設工事はゼロに近く、公共工事の落ち込みが、そのまま企業の完成
 工事高に反映されている。 入札制度を審議している識者は、そうした建設業界の悲惨な実態をどれ
 ほど把握して審議して居るのだろう。
  「競争入札で落札価格はあと10%は下がります」
 新聞は相も変わらずの偏見報道で、すでに絞りに絞った切った体内の一体何処を絞れというのだろう。
 贅肉や脂肪などはとうに枯渇して、今は辛うじて命を繋いでいる最低限の水しか体内には残っていな
 い。それを更に絞りだそうというのが、今時の劣悪非道の入札改革だ。
  絞り切って枯渇し、死に絶えて業者の屍が、これからは累々と続くに相違ない。
  地方の中小建設業界はまさに、食べ物が無く飢餓状態だ。絶対的に少ない為に、より多くの食べ物
 を得ようと腐敗したパンやにまで手を伸ばし、空腹に耐えかねて僅かに失敬する者もいる。
 なぜそうなってしまったのか、どうすればその者達を救えるのか、そこの議論も対策も考えないまま
 に、法違反する者は容赦しない。
 パンを与えず徹底的に取り締まれという発想しかなぜか出てこない恐ろしい社会。
  そうした重大な危機を、危機としてとらえ、向き合っていく感性も、能力すらも失ってしまったマ
 スコミを筆頭とする現代日本の社会。
  そうした惨憺たる状況の中で、地方に優良な業者は一体何社生き残る事が出来るのだろう。
 一社も生き残れない地域も発生するだろうし、生き残ったとしても疲弊して体力の落ちた業者ばかり
 では、災害の発生時の対応はもちろん出来ないし、冬期間の除雪作業も困難になるに違いない。
 そうなれば、雇用から来る地方経済の崩壊だけでは無く。災害や日常生活の維持管理でさえ地方はも
 はや機能しなくなるのだ。
  行政は「脆弱な国土、災害に弱い国土を守り、地域の雇用を根幹から支えている建設業は無くては
 ならない存在だ」と叫びながら、その実滅亡への引き金に手をかけているこの救いようのない矛盾と
 現実。
  政府と自治体は、競争入札で現実のものとなる建設業界と地方の破綻に対して、どう対処し、
 どう救うのかその対策も道筋すらも全く示せないで、暴走機関車の見切り発車という暴挙を今自らの
 手でスイッチをオンにしたのだ。

第四のシナリオ 技術の崩壊と地域の崩壊

  競争の激化で、企業は、新しい技術や、研究について資金を回す余裕はあるはずもなく、資源の
 無い日本が、唯一拠り所とし、又世界に君臨してきた技術力は見る影も無く 衰退するに相違ない。
  現在でさえ、公共工事は半減し、地方によっては1/3となっている。工事量だけではなく、
 設計労務単価は賃金のデフレスパイラルで歯止めが効かない状態で、
  建設労働 者の中には年間所得が、生活保護の世帯をも下回る、いわゆるワーキングプアと呼ば
 れる、惨憺たる賃金水準となっている者もいる。
  建設企業の役員と労働者の賃金は30%以上もカットされ、むろんボーナス等は数年も前から一銭
 も支給されてはいない。
  テレビで報道される公務員のボーナスの支給金額の方が、自身の年収さえをも上回っていると、
 もはや憤りの湧く気力さえも無いと自嘲している。
  市場単価を基に組まれている設計単価は非常に厳しく、設計単価を上回る価格を提示しても調達
 来ない部材さえもある。
  そんな悲惨な実態に、廃業を宣言する建設業者が後を絶たない。福島県三島町では、公共工事に
 依存していた業者が7社あったが、5社が廃業して、現存するのは僅か2社 に過ぎない。内1社も実
 は倒産して再生途上だ。
  建設業者と地方経済は、競争入札の制度改革を前にして、長らく続いた建設不況ですでにもう餓死
 寸前の極地にある。救済を求めたその手の先に、今度は競争の煮え湯を飲めという。救済ではなく、
 着ていた衣服迄も取り上げよういう実に冷酷無比な仕打ちだ。
  経済と法のみが唯一絶対の現代社会には、「中庸の道」等は、その存在のかけらさえももう残って
 はいないのだろう。

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