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いれものがない両手でうける『尾崎放哉』
今、規律に捕われない、自由な俳句や短歌が、静かなブームのようである。
当たり前だ、ここ十日ほど連句をやったが、5、7、5のなかに、季語や、状況、恋、無常、礼儀、釈教、そこに月、花の定座まであって、それらを押し込まなければならない。前の人に合わせながら、別の世界に発展しなければならない。
江戸の遊びだから、裃をつけて、ぐるり囲んで、詠い出すのだから、はじめはふざけたり、礼儀を失しては、断じてならない。しかも風流に、しもは、尿糞便から、天は宇宙まで、その規律を楽しみながら、ほんの、一、二分で付けて行くのだ。
次第に廃れて行ったのも分かる気がする。
そうした世の流れのなかで、この尾崎放哉は、種田山頭火、荻原井泉水とともに、規律なしの、自由律俳句という世界を確立した。
*咳をしても一人
(層雲)
*一日物云わず蝶の影さす
*足のうら洗へば白くなる
*こんなよい月を一人で見て寝る
*漬物桶に塩ふれと母は生んだか
*わが顔ぶらさげてあやまりに行く
*墓のうらに廻る
*春の山の後ろから煙りが出だした(辞世)
1885年鳥取生まれ。
東大法学部を出ながら、酒で、しごと、家庭、名誉、財産を失う。
放浪しながら俳句を書き続けるが、晩年、荻原井泉水の紹介で小豆島に落ち着き、自由律俳句の作品を次々発表。
大正14年前後の作品に秀句が集中。
享年42才
『いれものがない両手でうける』 は、汚れた托鉢姿の彼の即興と思われる。
この自由律俳句の世界が、今、コマーシャルや、キャッチコピーに、変形されてつかわれている。コピーライターは目を皿のようにして、100年前の日本の夜明けを漁りだした。私もコピーライターの卵の時、彼の作品が意識下にあったかもしれない。
その時、作ったコピーはこれだ。<美はあなたの口を模倣する>
おじゃんになった、口紅のポスター用である。とほ。
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自由律の句が自然と調和します・・随神の道も自然即神妙です。山頭火の生き方に共鳴しています。
2006/12/25(月) 午後 10:08
はじめまして
小生の曾祖母が尾崎放哉の最期を看取りました。
もしよければ小生のブログ、のぞいてみてください。
2011/9/29(木) 午前 11:36