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私は、本を数冊しか所有していない。
お金が無いのと、引越しで苦い経験があるからだ。
本音は、ショーペンハウエルの進言 「本はどうしても必要な時以外は、読むべきではない」 という読書論のひそみにならっているだけ、つまり、読むのが面倒なのだ。
ところがである。
7歳で失明した塙保己一には、6万冊の蔵書があったという。
しかも、もちろん、読めないので、朗読してもらって、すべて暗記したと。
これは、博覧強記なんてものじゃない。
国学者塙保己一(はなわほきいち)(1746〜1821)は40余年かけて、江戸初期以前の文献1270点を神祇部・和歌部など25部に分類し、666冊の版本として刊行した。これがわが国の基礎資料集編纂の『群書類従』である。
しかも、あんまさんをやりながら、こつこつ勉強したと言うから驚きだ。
この本は、だれでも、恩恵にあずかっている。江戸以前は、資料や本は、寺や特権階級の人にしか、所有できない、貴重な物だったので、散逸したり、火事で焼失したものがとても多かった。
彼は、全国に手紙を送り、貴重な書類を一同に集め、印刷して、これからの若者の知識を高めてやろうじゃないか、と訴えたのだ。
全く、いい人だ。
そのお陰で、我々は、古文書でも十六夜日記でも竹取物語でも源氏物語でも、なんでも自由に読めるわけだ。
然し、不思議なのは、ただの民間人である塙が、何故そんな大業をなしえたのか。
国家はそれまで、何をしていたのか。
戦争ばかりで、文化事業なんていう分野は、存在しなかったのだろうか。
そんなはずはない。
怠けていただけだ。庶民に文化はいらない、とでも言ってるようだ。
一汁一菜で、清貧に甘んじ、「けっして怒らず」という誓いを立てて、この大事業に臨んだ、この静謐な男を、心から尊敬していたへレン・ケラーは、昭和初期、彼の現在の母体である温故会館を訪ねてきたという。
「私は母から、塙保己一を目標としなさい、と幼少時に言われ、守って来た」と言って泣いたという。
母というのは、こうあるべきだ。
私は緑内障にかかっているが、仮に失明しても、塙の大業にうなだれ、決して悲しまないだろう。
悲しむ、というレヴェルで彼に対峙するのは、失礼だ。
むしろ、むさぼるように、本を読み始めるかもしれない。
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