|
クニとは、いくら長い「歴史」といっても、文字を作り、使ってからの話になる。
中国の「殷」に憧れ、いつか「夏」のはなしを、自分で語れたら、いいなあ、と思う。 ギリシャも大好き、朝鮮もあこがれ、ロシアもアメリカも、ワーイ、ぜーんぶ好き。 わが「クニ」は、まず、どこから始まったか、誰も知らない。 学者の言うことも、根拠がない。 以前、飛鳥に行って、そこはかとない、奥ゆかしさに、バスのこない停車場でボーと佇んだ。 少しなんらか学ぼうとすると、 わが国の言葉は借り物、知識は輸入で、思想は、欧州と東洋の、まさに混雑した、カレーグラタンだった。 「民主」という概念はわが古家に200年前、ドアを蹴破り、いきなり入って来た隣のあんちゃんだ、と思う 。 まして、クニの「統一」というのは、2000年来、概念自体まだ地方でも都市でも、はっきりしない。 私は定住がむずかしく、日本のあちこちで暮らしてみたが、その現地の人たちはかなりの確率で、自分の土地が「クニ」の中心だと思っているらしい。 クニ、自由とか民主、などという考えは、親の残した畠にやっと根付いた「にんにく」みたいなもの。こういうふうにうそぶくのは私だけなのだろうか。 生意気な私を震わすほど、繊細で、おおらかで、優しく、哀しいほどウツクシイ、小さな、笑えるこの国。なに主義でもなにクニ人でもいい。 せめて自分の脳の中で統一したいな。 |

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ





