全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

ネットのある生活も気がつけば10年以上。
でも、なんの勉強もしない私は・・・ちっともスキルUPなんてしていない。
なんとなく、ネットサーフィンして、簡単に投稿が出来る掲示板やBBSに投稿したり、IDさえ用意すれば
参加できるオークションを楽しんだり。
でも、本当の意味では何のスキルUPもしないまま。
ブログだって、こんなところでTEXTを打っているだけ・・・・・。
 
ブログって本来は読者を期待して書くことが多いんでしょうね。
もともと、おいらは面倒くさがりのイイ加減人間。
でも、55年以上生きてきちゃったし、子供もお陰さまで立派?に育った。
そして、ついに今年は初孫まで生まれた。
 
考えが・・・・アッチコッチに吹っ飛んで・・・・政治を考えてるかと思ったら、いきなりアイドルを思ったり。
経済を考えていたら、いつの間にか仕事を考えたり・・・・。
 
ブログも何をどう書くか、全く定まらないけど。雑記帳のように・・・MEMOのように
はじめようかと思います。
その時々で意見が変わることもあると思うけど。それが俺なんだよ。ってことで
普天間問題を全国的な問題として考えること、それを提起したことは
鳩山内閣の功と考えても良いのではないでしょうか?
しかし、この問題、日米安保が絡んだ大きな問題であり、戦後最も大きな
負担を負ってきた沖縄の方々にとっては深刻な問題である。
別な観点から考えてみよう、先の大戦で日本は明確に敗戦国である。
その敗戦国を植民地とせず、また完全な米統治下におかなかったことは
人類の歴史で画期的と言えることではないか。
 
民主党に政権交代して8ヶ月、期待とは裏腹な結果になっている。
しかし、本当にそうなのだろうか・・・・
鳩山総理は小沢幹事長との無理心中を選択した。鳩山氏に対して
批判の声が大きいが本当にそうだろうか。
戦後の長い期間のほとんど、この国の行く末を担ってきた自民党も
その長い時間を使いこのクダラナイ体制を作ってきたのではないか。
 
政治・この国の行く末を考える立場ではないが、せめてここで吐き出そう。
本当に能無し政治家どもには考えもつかないこと。
今、この国で起こっている多くの難題のいくつかへのアイディア。
最大の問題はやはり、経済問題だろう。国が把握している以上に
深刻な状態になっていることは間違いない。
先ず、最大のアイディアとして。国内生産性の向上。只々利益を優先
して人件費や税が安いという理由だけで、企業が国外に生産拠点を
移設した結果、国内に生産拠点がなくなり、公害対策にはなったかも
しれないが、労働者の就業のチャンスをなくしてしまった。また労働環境
の悪化を招いたことも間違い事実である。
さらに、国内の拠点規模を縮小させた企業は、当然のことながら税も
国内に支払わない形になり、国益を害する行為となっている。
これらの事実から、問われるべきは「国」ではなく「企業」、それも
一握りの経営陣の倫理観であることは間違いない。
しかし、現時点でそれら企業家・経済界の倫理観を急激に改善することは
容易なことではない。
そこで、税の抜本的改革。もし、日本国籍の企業が海外に拠点をもつ
場合、一般の輸出同様に事業所そのものの輸出と捉え、利益の全てに
関税をかける。国内の事業税は現状よりも高く設定するなど。
ただし、国外転出を実質的に禁止する代わりに、転出した場合に
得られる企業の利益を国が補填する。などの方策によって、国内生産性
は飛躍的に改善されるはずである。
 
次に普天間問題。鳩山氏が目指した理想には間違いはなかった。
米軍駐留の問題を沖縄だけに当然のように押し付けているようなことは
間違いだと言う考え方。これは正しいと思われる。では、米軍駐留を
どう考えるのか?日米安保の問題。根深い問題だ。
しかし、鳩山氏は本当に沖縄や徳之島に対して、裏切り行為をしたの
だろうか?社民党がいう「政権がどう変わろうと、米軍移転先について
辺野古と言う文言がある内は何も変わらない」と。では、どうしたかった
のか?グアムへと言っているが、それは地元の声としても確かに、沖縄
よりは容認の声があるようだが、米軍は認めていない。
外交は相手があること。勝手な言い分は通用しない。この普天間問題の
源は誰が作ったのだろうか?鳩山氏が総理就任して後退させたのか?
そうではないはずだ。鳩山氏・民主党が問題提起しなければ、逆に
スンナリと語られることもないまま、辺野古に移転していたはずだ。
これは、あの八ツ場ダムの時と同じような構図なのだ。
自民党が作り出した、庶民切捨ての政策を正そうとして、一旦諦めていた
庶民感情を逆撫でしたカッコウになったのではないか。
 
ここで、米軍の駐留そのものを考えるべきではないだろうか?
この件は次のブログで。

酒を飲めない。アルコールがダメ。そんな人は大人と認めない。
そう言う人って世の中には結構いたりする、でも本当に飲めない人間にとっては悪魔。
私は血統書付き、生まれついての下戸です。親父は多少は飲んでたような気もしますが、
強くはなかったし、晩酌ももちろんしてなかった、あくまでも付き合いだけ。
親戚一同が集まると、極端な酒好きと酒嫌いがいたような気がします。
親族のほとんどが下戸で、中に極端な酒好きがほんの少しだけいて、身体を壊してた。
伯父さんで国会議員をやってた方がいて、この人が完全な下戸だった。
有名な話(地元新聞に載った)だけど、かなり長期間、議員を努めていて、最後の選挙の時
当選祝いに後援会長を殴ってしまって、引退したんだけど、その理由が「祝い酒」だった。
後援会長も、これが最後の祝勝会と思い、酒を飲めないことは知っていたが・・・・
「最後くらい飲んでくれ!」1度ならず2度3度。これを聞いた伯父、堪忍袋の緒が切れた
「お前、俺の後援会長のくせに、飲めないこと知ってるだろう!」って手が出ちゃった。
そんな、血筋なんで本当に血統書付きの下戸と言って良いでしょう。
兄貴も結婚式の三々九度でもどしちゃったくらい、奈良漬でも酔っちゃうからね。

私はと言えば、そんなだから似たような者。でも若い頃は結構飲んでましたね。
ただ、一度として美味いと思ったことはないんですねぇ。これが。
でも数人で騒ぐことは嫌いじゃない。なんてったって、その為に東京時代は新宿区に住んでたくらい。
夜遊び大好き人間だから、お酒も否定する訳がない。・・・・でも美味くないんです。
そして30前のある時、決定的な事故が
忘れもしない、3月4日の金曜日深夜のことでした・・・・・。
私は大勢のアルバイトを使う、物流センターの現場責任者という立場にいました。
その日は給料日でした。桜も咲いたってこともあり、大学生のアルバイトを数人連れ、
その年卒業して、アルバイトも卒業していく連中の送別会も兼ねていました。
まず、居酒屋で・・・そして2次会はスナックで、大盛り上がりでした。
12時を回り、そろそろお開き。ここで、私も流石に帰りの準備。
飲み会に参加していない部下とバイト君に帰りの足を頼んであり、迎えに来てもらいました。
2台のクルマに分乗して、自宅前まで一人づつ送って行き、最後の一人を送った時でした。
就職も決まった主役のバイトM君。「オレ飲んでないから、会社にバイク置いてるんで・・・」
M君のお母さんも出てきて、「本当に大丈夫みたいなんで、すいませんご迷惑かけて・・・」
その場で片足片目で大丈夫ってアピールする彼をみて、会社まで送りました。
そして、最後は私を送ってもらい送迎役のバイト君にも「気をつけて!オヤスミ」・・・
私はかなり飲んでいたのでしょう。休みと言うこともあり10時過ぎまでグッスリ。
しかし、会社の上司からの電話で起こされて・・・・・言葉も出ませんでした。
「昨日は随分盛り上がったようだな、・・警察に出頭してくれ・・・M君・・死んだぞ」
そう、バイクを取りに戻った、あのM君がバイクで仮眠駐車中の大型トレーラーに追突。
後から来た車が、トレーラーの後に突き刺さったままのバイクを発見。
トレーラーの下から即死のM君が発見されたのでした。

告別式の席で、社長・部長と私がご両親に挨拶。お母さんは「私も頼んだのだから、あなたは
悪くないです。責任は感じないで下さい。」
しかし、会社として部長の一言。「本当に言葉もない。多くのアルバイトを使い。また、物流と
言う交通のプロでなければならない当社が・・・。この業界は男の世界であり、飲酒は多いこと
ご存知でしょうが、今後少なくとも、ここにいる3人は禁酒致します」

私以外の社長・部長は厳しかったと思います。本当は凄く酒好きだったのですから・・・
それから、10年が経ったある時、ある会合があり酒席が設けられました。
呼び出されたのは、丁度その時の3名。社長・部長そして私。メインクライアントからの宴席でした。
そこにサプライズゲストとして、登場したのは・・・・なんと、あのM君のお父さんでした。
「皆さんの姿実はずーっと見させて頂きました。本当に禁酒されていたとは・・・でも、
もう結構です。どうぞ飲んで下さい。あなた達には何の責任もないのですから」

それから、もう10年以上。社長・部長の二人は、本当に不思議なくらい元の酒好きに戻りました。
でも、私はそのまま・・・・アルコール起因性の群発性頭痛も発症して、本当に飲めない身体に
なってしまいました。

アルコールが本当にダメな人。それは圧倒的に少数派でしょう。でもいるんです。
本当に嫌な思い。寂しい思いをしてきました。
飲める人が本当に羨ましく思う、今日この頃です。

中学〜高校

最近話題に人気の北海道旭山動物園より、北へ60キロの田舎町で生まれて
特定郵便局の局長をしていた親父が、脳腫瘍で北大病院に入院、亡くなったのは
高校1年の5月のこと。
物心ついた頃には、いつも親父の後をついて山菜狩りや釣りに出掛けていた私は
典型的な「親父ッ子」だったから、亡くなった時には、メチャメチャ悲しかった。
妙に印象的だったのが、北大病院霊安室の前の満開の桜だった。

高校に入って、陸上部に在籍して400mハードルを練習、1年ながら地区大会を勝ち抜き
北海道大会出場が決まったのは、父親の告別式の1週間後だった。
中学時代は野球部の部長。5番でファースト。でも、中体連で陸上部のない田舎では
掛け持ちで100m走。冬にはスキー部も掛け持ち。札幌オリンピックの前だったため
オリンピック選考会まで目指して、毎日随分と練習したもんでした。
でも、『親父の死』で全部終わり・・・・・
高校1年の夏休み中に、編入試験を受けて、お袋の実家のある滝川高校へ転入。
何も考えない転校だった・・・・学力のレベルが・・・苦労しました。

そして、なんとか滝川高校を卒業。お袋も身体が弱かったために、親父の残してくれた
貯えを食い潰すしかない我が家を考えれば、大学進学は自力以外は有り得なかった。
でも、根がノンビリヤで楽天家の私は、安易に大学の2部(夜間)を選択。
高校の先輩のスカウト?で昼間は日本通運の関東支店に就職。
このあとの話しは・・・・・また後日。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事