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[京都市の大徳寺塔頭.総見院の織田信長像の顔の部分]
1583年, 天正11年, 信長1周忌にあたり、仏師 康清が 、生前の姿形を生き写した木像を創ったもの
と言われる。
信長の気難しさがよく現われているようだ。
1534年 生まれ
1548年 14才 斎藤道三の娘と政略結婚
1551年 17才 父親, 流行病で死に、家督相続
1553年 19才 養育係、諌死。 義父の斎藤道三と美濃の寺で初会見。
1554年 20才 藤吉郎、家来になる。
1557年 23才 弟を謀反として殺害。
1559年 25才 上洛、足利義輝に謁見、尾張の守護職要求す。 ほぼ、尾張統一。
人生50年の ほぼ半ば。 現代80年人生なら、40才近くか、、。
1560年 26才 桶狭間の戦い。 3000対5万。 戦国の一雄としてデビュ−。
1561年 27才 美濃攻略、本格化する。 隣国 攻略。
1562年 28才 家康と同盟外交 始める。
1564年 30才 上杉謙信との外交 始める。
1565年 31才 武田信玄との縁戚外交 始める。
1567年 33才 美濃平定。井ノ口を岐阜と改め、本拠を移す。 妹を 近江の浅井に嫁がせ縁戚外交 1568年 34才 足利義昭を擁して上洛。彼を15代将軍に就け、天下人の実力者としてスタ−トする。
副将軍は辞退する。
1569年 35才 義昭のため二条御所、 天皇家のための御所、の造営整備を行う。
宣教師ルイス.フロイスと初対面。 キリスト教の布教を許可する。
天皇家や既存宗教は、外国宗教を嫌がっただろう。
1570年 36才 朝倉攻め。 同盟の浅井家が裏切る。 京から岐阜への帰途、テロ狙撃受ける。
姉川の合戦。 朝倉、浅井連合軍を破る。
1571年 37才 長島一向一揆を攻めるが、大敗す。
朝倉、浅井に加担した比叡山焼き討ち。
1572年 38才 義昭の行状を非難する。
武田信玄に、三方ヶ原で 織田、徳川連合軍 敗れる。
1573年 39才 武田信玄、病死する。
足利義昭の謀反、細川幽斎の密告で発覚し、反乱を起こした義昭を京から追放。
これにより、足利室町幕府は滅亡す。
朝倉、浅井両家を滅ぼす。
[ この年から、 天が正しい天正という元号に成る。 信長の意向か、、。 ]
1574年 40才 東大寺の香木、蘭じゃ待を贈られる。 天下人としての待遇を受け始める。
三重県の伊勢の一向宗徒2万人を焼き殺す。
1575年 41才 長篠の合戦。 武田勝頼軍を撃破す。
正親町天皇からの官位を、辞退する。
織田家を、嫡子の信忠に譲り、尾張と美濃を与える。
1576年 42才 安土城の築城を開始し、本拠を岐阜から移す。 [ 天正4年 ]
大坂本願寺に補給する毛利水軍に、織田水軍が第1回木津川の戦いで大敗す。
1577年 43才 雑賀、根来の一向一揆鎮圧のため出陣する。
安土城下で楽市楽座を実施する。
上杉謙信に、 加賀、手取川の合戦で惨敗する。
松永久秀、反抗して平蜘蛛の釜とともに爆死する。
秀吉を中国地方に派遣し、毛利攻略を開始する。
右大臣に就任する。 翌年辞任する。
1578年 44才 安土で、元旦に 主な家臣を招き、茶をふるまう。 家臣の妻子への安土城下への
移転命令。 安土で 相撲興行始める。
上杉謙信、死ぬ。
播磨の三木城主、別所長治、毛利に寝返る。 荒木村重、謀反す。
第2回木津川の合戦、鉄甲船で毛利水軍を撃破。本願寺、孤立する。
1579年 45才 安土城天主閣、完成する。 [ 天正7年 ]
オルガンティ−ノに、安土城下での教会堂建設を許可する。
1580年 46才 旧臣の佐久間信盛親子、林秀貞、安藤守就、を相次いで追放。
滝川一益と明智光秀に、大和、奈良県の検地を命じる。
1581年 47才 バリニャ−ノが黒人を伴い、謁見。
京で、大馬備えを開催。 天皇への圧力か、、。
盂蘭盆会で、安土城天主に提灯をつるさせて、ライトアップする。
職人に、「日本一」の称号を与える制度を作る。
二男、信雄、伊賀を平定する。
近江で鷹狩りの後、教会堂を訪問。
1582年 48才 朝廷の暦を尾張の方式に変えようとする。 [ 天正10年 ]
追放した旧臣の佐久間信栄を、信忠の家臣にする。
武田攻めのため、信忠を総大将にして甲斐に派遣。天目山の合戦で、武田家滅亡。
甲斐、信濃の関所を撤廃。 甲府の恵林寺を焼く。
朝廷、 信長に 関白、太政大臣、征夷大将軍、のどれかに任官することを求めるが、
受けず。
家康と穴山梅雪を、安土に招待する。 光秀に、秀吉救援のため、中国出陣命令。
本能寺で茶会。 光秀の謀反で、自害。
*軍事要塞、本能寺の火薬で自塵し、遺体も残らなかったという説もある。
1583年 6月に、信長一周忌の法要が営まれる。 [ 天正11年 ]
1600年 関ヶ原の合戦。
1615年 大坂夏の陣。 徳川幕府、始まる。
[ 写真は、至文堂、 「日本の美術」506号、江戸時代の彫刻 より]
1868年 明治維新。 徳川幕府、滅亡。 王政復古か、自由民権か。 [ 明治元年 ]
1945年 日本帝国、敗戦、滅亡。 人民の国に。 でも、意識は帝国主義か、、。 [ 昭和20年 ]
2010年 今年、現在、只今。 [ 平成22年 ]
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帝国の敗戦というのは認めるが「人民」の国家と言うのははまさしく希望的、見果てぬ夢だ。
明治維新で新貴族を作り出すような軽薄千万、文化の意味も伝統の本質理解できない無知な人たちの子孫がこの国を引きずりまわしてきた。
間違っているか、明らかに思慮のない明治維新の元勲であり、仕組みでした。
2010/8/22(日) 午後 5:04 [ ぜん ]
おーい、げんきだせよ、ぉーい。
2018/6/19(火) 午後 9:41 [ ぜ ]