河内舟人.矢野誠一の作品

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河内舟人の年賀状

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                1961年             1960年
                1962年11月大阪       1962年
                1964年              1963年

私のじゃない, 日本画

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[河内 舟人(しゅうじん)]
日本画家 安田ゆき彦  に師事したとされる.
院展に作品お出し,  主催者でもある 横山大観から 硯お貰って喜んでいたらしい.
良寛さんと子供の絵や 鯉の絵お よく描いたらしい.
 戦前の買い上げは,  大阪の弁護士の 白川朋吉だったり,   田舎のお金もちの家に投りゅうして, 絵お描いて
稼いでいたようだ.
ちなみに,  戦前 院展などに作品お出す時, お金も出して このような作品の絵葉書お作ってくれていたようだ.
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[ 河内(門脇) 滋子 ]
矢野誠一 の弟子にして, 最初の 日本女性彫刻家  これらの写真は, 大正10年の頃か
日本画家の 河内舟人と 結婚し, 夫と  院展に日本画と 当時あった彫刻の部門に作品お提出していたらしい.        3人の娘オもうけて,  [自分の方が 子育て, 家事に勤め 主婦業になって行った]らしい.
[上村松園のような生き方は出来なかった]ようだ.
    長女 河内舟子(しゅうこ)は,  日本画家で,   女子美じゅつ学校の同きゅう生に,  平山郁夫の妻がいる
[急がしい平山郁夫オ絵の面で支え,  画筆の才は郁夫 以上?]とも言われるらしい.
 
**文芸春秋によると,  平山郁夫自身, [私の絵が, 外国でオークションの取引で売買されたことは無い]と 認めて
いる.   日本の 美じゅつ年鑑によると,  結構 高い絵の値段が付けられていたりする.
   でも, 日本の絵の取引は,  政治家がらみで,  画家が文化勲章オ (一部お金オ出して) 貰い, 政府公認の
取引値が付いたりするという.   見てて面白くない絵オ 各県の文化会館などが 数億の値段( 我々の税金だが )で買わされ,  その絵描きの絵の一律の値段が付けられると言う.   (政治屋は,絵の投機で儲ける?)
同じ絵描きの絵でも,  魂の籠もる良い絵もあれば,  面白く無い絵もある.     本当は, 絵の一枚一枚により価値は
違うはずだ.     精神病院の入院患者の絵に, ハッとする絵もあれば,  大家の先生のザッとした描き捨ての絵も
ある.
  絵は,  石版の 原画の複製の100枚のリトグラフなどによらねば,  世界に1枚だけの物で,  その絵が不要な人にとっては,お金オ積まれても欲しくないし,  必要な人には一枚なので億の金でも出して惜しくない.
  絵は値が有るとも言えるし,  絵は値が無いとも言えるようだ.
英雄や偉人のグッズや書が [鑑定団]で 高く値が付く世界だ.    でも,  大半は,  絵や書の 投機取引だ.
   以前,  昔, 細川りゅう一郎のしょう介で,  鳩山さんが 門脇の美じゅつ館( 2006/8/8の絵描きの死以後,潰れ
果てているが )お訪ねた時, 1階の[ 男女和合 ]や[ 皇居の四季 ]などオ見て, 2階の浮世絵コレクションも見て,  畳に正座して[ 結構なものお見せて戴きました ]と話したようだ. *(ブリジストン美じゅつ館は一族の所有)
  ところが,  ある代議士は, 肩いからせて絵お見てて[ これ幾らするのか?]と聞き,  絵描きが[  数億円 ]と答える
と, 急にアタフタし始めて 見苦しかったようだ.
   絵は 人間の営み, 創作物だが,  遺族は絵が売れず,散逸するのオ恐れて,  大半が 行政の作る専門の美じゅつ館に寄贈して 保管してもらうようだ.  (小磯良平,猪熊玄一郎, 東山魁囲, 平山郁夫,,,)
 
*私なぞは,  心こめて描いた女性の絵は,  やはり 本人に所有してほしい.
    映画 タイタニックの 女性ローズに思いお込めて描いた絵は,  本人か,  時代お超えた所で保管して欲しい.
 油ぎった 腐った人間に 所有して欲しくない.   絵が,  絵にまつわる人の想いが,  汚される気がする.
     絵お描く人間,   音楽,   小説,   は,  本来, 渡したい人間, 存在,  が有り,    時代お超えて 永遠に生き続けたいのだろう.    どこかの世界の 美じゅつ館 か, 書庫 の片隅に置かれることオ 願う.
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[ 石仏,  小作品 ]  真ん中の写真   利吉か百太郎(ひゃくたろう)のどちらかの作品  手堀り
右端は,  門脇 利吉
      現観音寺市 萩原町で 石屋と水車精粉お 昔 営んでいた.
            利吉の弟から,  医者の門脇が出ている   門脇惣吉,  産婦人科.   癌の手じゅつもしたらしい.
左端は,  利吉の息子の百太郎とその妻ミネ( 門脇滋子, 俊一,  ら8人姉弟,  2人は幼く亡くなり,  の親たち)
      現観音寺市 八幡町の興しょう寺前 のち 総持院前で  戦前 石屋お営む職人
       ミネは2度目の結婚
 
** 百太郎は,  戦前の小作制度の残る社会で 働く時は働く 働かない時は働かず,  飯の食えない居候たちが
たむろする職人だったようだ.  墓石も 戦前は お金持ちしか造れなかったようだ.
   ある時,  顔役のような?百太郎は, 田舎の有明の砂地の作物のことで, クワの根やタバコの葉の栽培の導入について,  東京の長女の滋子夫妻お通じ, 帝国の農林省に口利きなどしてたらしい.
   そのことの地元農家の諍いと絡み,  地元の鋳掛け屋の町会議員出馬希望お[ すでに出ている114銀行の地元の元支店長でよいではないか,,,]と支持お断わったことで恨みオ買い,  ある納屋の放火犯の冤罪にはめられた
ようだ.
   戦前の観音寺町の警察に連行され, 意お受けた刑事の木刀か竹刀か?の拷問オ受け( 戦前は 刑事手続きに拷問は容認されていた.  戦後の憲法は31-39じょうで厳禁 ) 命お縮め, 釈放され,  中(ちゅう)ぶになり 早死にしたようだ.   8男が きゅう制中学生で,  警察に面会に行ってて,  彼の海軍兵学校の受験も, 合格したが
巡査の聞き合わせで 結局 ダメになったようだ.

同, 5ノ4

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[白川朋吉氏お称える石碑 : 門脇俊一のレリーフ]       (観音寺市役所前入り口,  消防前)
   戦前, 戦後  大阪で弁護士として活躍し, 観音寺市のため貢献した白川朋吉氏お称えるレリーフ(すかし彫り)
 これも彫刻だ.

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