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お願い:最後までお読みください。(画像は直接本文とは関係ありません) 1999年11月、 東名高速道路で飲酒運転のトラックに追突され、 猛火に包まれて天国に旅だった 二人の女児の命と引き換えに、 二つの法律が改正された・・・ そして、あれほど毎年必ず一万人前後も発生していた交通事故死者数が、 2001年頃から年300〜600人のペースで減り始め、 2005年には約6,800人となっている。 いろいろ議論はあるだろうが、 僕はこのことのドライバーに対する様々な心理的抑止効果が大きかったのではないかと思う。 天国に旅立った二人の女児が、今も多くの人の命を救っているといっていい。 それにしても政治家や官僚は、毎年一万人も犠牲者を出したまま、 いったい今まで何をやっていたのか? こんなに小さな命が犠牲にならなければ、遺族が弔い合戦をしなければ、 法律は改正できないものなのか? 今も、年間3万人の自殺者が、 政治家、官僚に見殺しにされ続けている。 (それを選挙等で問えない僕達の責任も同じくらい重いが) 【被害者ご夫妻の手記の後半には、以下のとおり記されているので紹介します】 「おかしい」と感じたことを率直に訴え、多くの人とともに声を挙げていけば、国の行政府も立法府も動いてくれる。 ……それは、私たちに生きていくための希望を与え、そして、この国はとどのつまり自分たちがつくっているのだという、市民としての責任にも気づかせてくれました。 かけがないのない宝物を失ってしまった私たちでしたが、この2年で得られたものもまた、大切な宝物です。 【被害者夫妻の手記】 (ぜひ読まれることをお薦めします。人生観変わるかもしれません) http://www.ask.or.jp/ddd_inoue.html 【最後に僕から一言】 以前、NHKに被害者ご夫妻が出ておられ、お母さんは、 「娘の遺体の写真を見せてもらいました。真っ黒に焼け焦げていましたがとても愛しい気持ちになりました」 といった主旨のことを述べられていたように記憶している。 母の愛とはここまで強いものなのか、 そして、法律まで変えてしまうものなのかと感動したことを覚えている。 【参考】 東名高速飲酒運転事故 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 東名高速飲酒運転事故とは、1999年11月に発生した、飲酒運転のトラックが普通乗用車に衝突して幼い姉妹が亡くなった事故である。 経緯 1999年11月28日午後3時半ごろ、東京都世田谷区の東名高速道路東京インターチェンジ付近で、千葉市の会社員の普通乗用車(夫人運転)が首都高速用賀料金所通過の為減速していたところ、高知から東京に向かう飲酒運転の大型トラック(11トン)が追突。 乗用車は炎上し、3歳と1歳の女児2人が焼死、会社員も全身に大火傷を負い、皮膚移植を余儀なくされた。 トラックの運転手は高知から大阪へのフェリー内や東名高速のサービスエリアなどでウイスキー1瓶(750ミリリットル入り)と酎ハイを飲み、事故当時は真っすぐ立てないほど酔っていた。 呼気中のアルコール濃度は1リットルあたり0.63ミリグラムだったと言う。 裁判と判決 刑事:運転手は業務上過失致死傷罪などに問われ、検察側の求刑(懲役5年)に対し、2000年6月8日、懲役4年が言い渡された。 その後この判決を不服として、検察が異例の控訴に踏み切ったが2001年1月12日、東京高裁は控訴を棄却してトラック運転手に対する懲役4年という実刑が確定した。 民事:元運転手と勤務先だった高知通運(高知市)などに計約3億5600万円の損害賠償を求めた民事裁判では、東京地裁が命日ごとの「分割賠償」を含めた約2億5000万円の支払いを命じた。 一人当たりの死亡慰謝料は交通事故としては過去最高額の3400万円を算定した。 両裁判とも、運転手の行為を「走る凶器による危険極まりない運転。 未必の故意による傷害行為といえる」と厳しく非難。 「身動きもできないままわが身を焼かれ死んだ幼児の無念さ、目の前で娘が焼け死ぬのを見るほかなかった両親の痛恨の思いは想像を絶する」と述べた。 社会的影響 2000年6月、神奈川県座間市で飲酒及び無免許、更に無車検の暴走車によって大学に入学したばかりの一人息子を奪われた造形作家が悪質ドライバーに対する量刑が余りにも軽すぎること、今の日本の法律に命の重みが反映されていないことに憤りを覚え、法改正を求める署名運動を始めた。 被害者たちもこの運動の趣旨に心から賛同し、全国各地で街頭署名を重ね、2001年10月に法務大臣へ最後の署名簿を提出した時には合計で37万4,339名の署名が集まった。 世論に後押しされ、2001年6月には道路交通法改正法案が、11月には刑法改正法案が229対0の全会一致で国会を通過し、最高刑を懲役15年とする危険運転致死傷罪が刑法に新設された。 |

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日本という国は異常なまでに交通事故死に無関心です。私たちの世界には「交通事故死は仕方が無い」という一種の暗黙の了解があるのではないでしょうか。交通事故があってもニュースでは10秒ほどの解説が流れるのみ。交通事故死をみる視線にいつも共通しているのは、「経済成長のためならやむを得ず」という市場原理主義者の妄想(戦後の高度成長期に築かれた価値)と国家の目的に逆らわないというお上思想(大日本帝国下に築かれた価値)だと思います。
2006/7/25(火) 午後 11:26
私は高校の頃から、クルマ社会を問い直す運動に参加しています。具体的にはクルマ社会から鉄道・自転車など環境に配慮した(地球環境、生活環境ともに)交通社会システムへの転換を進める活動です。環境問題、高齢社会、中心市街地の衰退に対応するためという側面もありますが、一番は交通事故という人殺しをなくすためです。クルマ社会は人間にとって百害あって一利なし! です。これによって自動車産業が大打撃を受けるのでは?という反論もお待ちしています。
2006/7/25(火) 午後 11:29
じょんさん、転載ありがとう!やはり自動車産業は日本の経済を牽引する貴重な存在、それに冷水をかけるようなことはできないのでしょうね。うがった見方をすれば事故が多いほど、買い替えや修理で経済が動き、病院も製薬業者も儲かる、そこまで織り込み済みのような気がしてなりません。ガン対策についても原因に手を付けない同様の構図が見えます。環境汚染もそうですがわかりやすい例として、合成着色料などいまだに放ったらかしですよね。
2006/7/26(水) 午前 7:54
>時代おくれさん、おはようございます。コメントどうもです。経済成長のための人的損失はさらなる経済成長を促す。皮肉な構図ですね。アフリカの内戦など、世界中の戦火も大方こういった構図の上に成り立っているのでしょう。経済はだれのためにあるのでしょうか。本来、人々に豊かさをもたらすものなのに・・・。
2006/7/26(水) 午前 8:10
やはり貨幣というものが便利な反面、人の心を欲の権化にしてしまったのでしょうかね。これがなければ、物々交換経済。みんなが基本は自給自足に近い持続可能型農業やってれば、経済を成長させる必要もないのでしょうね。
2006/7/26(水) 午後 8:29
>時代おくれさん、こんばんは。自動車というのは日本経済のシンボルだと思います。某T社の下請けの下請けはもはや把握できない数に上るそうですね。日本社会は戦後、自動車とともに経済成長し、世界に再び乗り出していったわけですよね、そしてあのアメリカの産業でさえ脅威を覚える存在にまで膨れ上がったわけです。一方でシンボル化した自動車たちは街中を我が物顔に占拠し、人を地下へ隅へと追いやりました。そして命の重さよりも自動車の権利を重視する社会になってしまいます。
2006/7/26(水) 午後 8:49
さらにはみんなこの異常さを「常識」として片付けてしまい、クルマ社会の影の部分は隠されてしまったんですね。こうやって見ていくと、形は違うかもしれませんが、中身は戦前の体制を引きずっていることがわかります。国策の犠牲になることはやむを得ずという風潮です。
2006/7/26(水) 午後 8:58
ドイツと比較してみるとさらに鮮明になるのですが、ドイツも80年代までは日本と同じ過剰なクルマ社会だったようです。しかし緑の党を中心としてクルマ社会の問い直しが始まり、今は路面電車や自転車を中心とする人間味あふれる街へと都市が生まれ変わりました。この違いはどこからくるのでしょうか。
2006/7/26(水) 午後 8:59
聞いたところによるとドイツは運転免許とるにも、凍結のスリップを体験させるなど、やはり下手をすると人殺しにつながるという認識が強いですね。僕が不思議なのは、この件のご遺族の行動の前にも、膨大な被害者の遺族がおられたはずですが、どうして泣き寝入りしていたのかということです(多少の運動はあったのかもしれませんが、この件のものとは比較にならないでしょう)。民事上の賠償だけで満足されていたとは思いたくないですね。
2006/7/27(木) 午前 4:26
やはり、直接でも政治(選挙)を通じてでも、声をあげていくことがドイツに近づくことになるのだと思います。(いいディベートになってますね^^)
2006/7/27(木) 午前 4:29
>時代おくれさん、こんにちは。そうですよね。ぼくも不思議です。なぜ交通事故死は軽く扱われるのでしょうか。ご遺族の方が泣き寝入りされる背景にもやはり世間が交通事故死に無関心ということがあるのではないでしょうか。また自動車による交通事故は加害者も被害者もすべて自己責任という形で決着がつけられ、道路管理者(警察?)や自動車の製造者にはなんら責任が問われません。
2006/7/27(木) 午前 10:56
>私たちは交通事故死を「仕方が無い」「多少の痛みは我慢すべきだ」という言葉を使い問題が何なのかを覆い隠してきたような気がします。子どもの頃、父が言った言葉を思い出しました。「人の死は重いが、だからといってクルマを無くすことはできない、仕方が無いんだよ」と。日本人の99%の人にとって、交通事故は「仕方の無い」ことなのでしょう。例えるなら、おみくじで「凶」を引いてしまうことなのでしょう。
2006/7/27(木) 午前 11:38
>けれども交通事故死を「仕方が無い」で済ますのではなく、国や企業の責任は問えないのでしょうか。ここまでの過剰なクルマ社会へと導いたのは紛れもなく国策です。内需を高めるためにも、国際的な競争力を持つ自動車産業を育成するためにも、自動車が売れる環境を整える必要があったのだと思います。そのために戦後60年間で何十万人もの人間が犠牲になり、おそらく世界中では何千万人もの人間がクルマに轢き殺されたことだと思います。
2006/7/27(木) 午前 11:51
自動車産業は、交通事故問題以外にも環境破壊に加担してますね。トヨタなどは環境問題を扱ったTV番組のスポンサーにも積極的ですが罪滅ぼしでしょうか、偽善でしょうか…。
2006/7/28(金) 午後 6:24
>すみません、長々と書いてしまって・・・。宇宙船地球号はぼくもたまに見ています。免罪符なのかもしれませんね。
2006/7/28(金) 午後 7:10
時代おくれさんと2人でしゃべってしまいましたが、他のみなさんはどう感じているんでしょう??反応がないですね〜。かなり反体制的なことを書いたので、つられる人がいると思ったのですが・・・。
2006/7/28(金) 午後 7:14
あっそうそう宇宙船地球号でしたね、なかなかいい番組だとは思っています。☆他のみなさんは転載記事なのでカキコを遠慮されているのではないでしょうか?あと僕は時にエキセントリックな記事を書くのでひく人も多いかも(笑)またいつかじょんさんの言葉で記事にされたらいいと思います。
2006/7/29(土) 午前 10:25
>時代おくれさん、宇宙船地球号の番組自体はぼくも好きです。民放では珍しい番組ですよね。クルマ社会の問題点はまた機会を見つけて記事に出来たらなぁと思います。
2006/7/29(土) 午前 10:36
最近、自動車が横断歩道を渡る人のために止まることをよく見かけます。僕は車を持っていないのでどんな事情でそうなったかはわかりません。こんな小さな田舎町でも、人々が優しくなれるなら、こんな嬉しいことはありません。自動車国家となり、はや50年以上。運転する側のモラルと、警察の定期循環。今更と思いながらも、時代が変わって行くのを目の辺りにするようで、好ましいと思います。
2006/7/30(日) 午前 6:49 [ 竜 ]
>たしかに田舎の町では結構クルマが止まってくれますよね。本来は必ず止まらなければならないんですけど・・・。でも都会では手を上げてもだれも止まってくれません。挙句の果てには手を上げているだけでドライバーから睨まれます。水を差すようで申し訳ないのですが、結局みんながルールを無視すれば、罪悪感を感じない国民性なのかもしれません。たしかにasuさんのおっしゃるようにモラルも根付いてきたのかもしれませんね。
2006/7/30(日) 午前 9:56