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私たちが人生と呼ぶサークルで生きるには、
さまざまな道がある 賢い人間は答えを探り出そうと、夜どおしローソクを燃やす 宝石とは、ただの光る石ころにすぎないのか 英雄の血とは、浮浪者が飲むひとすすりの ワインより高潔なものなのか はるか遠い世界から、きみに話したじゃないか きみは世間の北風から、秘密の場所に隠してくれたじゃないか 私たちは、旅路の友だったのか 走ることを教えてくれたのはきみだったろう 私たちは海に隔てられてしまったんだろうか 白日の中できみに 嘘をついたことがあったろうか 私はきみが大草原の中の預言者だった夢を見た 私は自分が風の中で山になり きみがひざまずいて私に花でふれた夢を見た そしてこれと共に目覚めたのだ、この手の中の花と共に 愛とは一人の人間にあらゆる可能性を見出すこと たとえば母、父、あるいはその子どもに あなたのその善良な幻影が この世の冷たさの中で 私の支えになるだろう さあこの手を取って、孤独の中の自分を見つめなさい 夢見るには果てしない夜空をも照らし 私たちの心の暗闇をも照らし 私たちを魂の故郷に導いてくれる炎と風になる 心は翼なのだから ____________________________________________ ジョン・デンバーの「心は翼」という曲です。 どん底の状態やうつ状態に陥ったとき、 いつもぼくの心を支え続けてくれた詩のひとつ。 苦しさを重ね続けること、それが人生なのかもしれないと、 真夜中の静けさが、語りかけている、そんな6月です。 ひたすら孤独な夜は、孤独を友にして・・・ ひたすら苦しい明け方は、苦悩を師と仰ぎ・・・ そうやって生きているようで死んでいる自分・・・ 絶望のふちから這い上がる可能性を、 はやく見い出したい、生きる希望というか・・・ あせればあせるほど、見えなくなるものだけれど・・・
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僕にもう少し詩の読解力があればと後悔しておりますが、それでも心は翼だと言う一行が好きです。無限大の可能性を秘めているものですから、その可能性を大きくはばたかせられる人生を送りたいです。
2007/6/13(水) 午前 1:08 [ さとぱい ]
じょんさんの痛みは共有してあげることはできないけど、ジョンデンバーの歌うように、明日への一歩を記そう。明日へ向けて翼を広げよう。風を待って、泥沼の中で刻を待とう。やがて天地人を知って、飛び立つ日が必ずあると信じよう。僕は、たとえまずい小説ばかり書いていると自覚しながらも、不治と診断されても、もう、決して負けないって決めたよ。妻の為に一生を捧げようと決めたよ。だから、じょんさんも、一緒に頑張ろう!
2007/6/13(水) 午後 6:04 [ 竜 ]
木村さん★人それぞれ、それぞれの解釈があるはずです。それでいいんだと思います。
2007/6/17(日) 午前 3:12
asuさん★お久しぶりのコメント、大変うれしく思います。ぼくはぼくに対して、どうして良いのかわからなくなりました。これでもかというほどの低空飛行を続けています。それでも何とか、ここに生きている足あとを示せるようになったのは、上昇への一歩だと自分に対して免罪符を与えています。こんな情けない自分に安堵している「ぼく」と認めたくない「私」が今宵も葛藤を続けています。あぁ、今夜も人生を浪費し続けている自分が許せない。
2007/6/17(日) 午前 3:16
じょんさん、おはよう。「私」と言う字は、「自分勝手」とか「秘密に」「ひそかに」という意味があるよ。「僕」は「しもべ」「御者」(御者には力の強い腹心の部下を用いた)という意味がある。僕はね、いつまでも、誰にでもかしづく「僕」でありたいと思う。「自分」も好きじゃない。「みずからをわかる」と書いて自分だけど、わかるわけないんだから。僕は僕でいいと思ってる。僕の師匠も自らを「僕」と呼んで笑う人だった。いいんだよ、「僕」で。いつまでも。上段からなたを振り下ろす人よりも、ふりおとされる人でありたいと思う。宮沢賢治は知っているかな?「雨にも負けず」の作者。よかったら読んでみて。カントリーが待ってるから。
2007/6/17(日) 午前 7:36 [ 竜 ]
asuさん★おはようございます。なんか最近、「ぼく」ということに違和感があって、そろそろ「私」とか「自分」って言いたくなるぼくがいました。
だけどasuさんの言葉を聴いて、ぼくはぼくでいいんだと、ちょっとホッとしました。もう一度ブログも再開して、2ちゃんねらーではなく、もっと身近な人と会話してみようと思う。。
宮沢賢治さんの作品はまだ読んだことがないです。
機会があればぜひ読んでみようと思います。
2007/6/17(日) 午前 9:08