omasico のさえずり

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ヴルガタ訳

 ローマ教会も周辺の教会と同じように、『聖書』と典礼のことばを自分たちのことばで行うようになりました。ラテン語の『聖書』と言えばヴルガタ訳が知られていますが、最初からローマの教会はヴルガタ訳を使っていたわけではありません。この、ヴルガタ訳は、392年に時の教皇ダマスス1世が統一された翻訳の聖書が必要を考え、友人の司祭、ヒエロニムスに翻訳を依頼したものです。当時、ラテン語を使う教会で用いられていた古ラテン語訳の『聖書』は、訳が統一されたおらず、特に、旧約聖書が、ヘブライ語からではなく、ギリシャ語からの重訳だったからです。ヒエロニムスは、旧約については、ヘブライ語から直接、翻訳しなおし、約35年の年月を経て、ヴルガタ訳は完成します。
 しかし、このヴルガタ訳も最初からすんなり受け入れられたわけではありません。それまでの古ラテン語訳になれていた人々にとっては抵抗があり、ローマ教会が、ヴルガタ訳を公認したのは、ヒエロニムスの帰天から、200年近くたった7世紀になってからでした。
 なお、この「ヴルガタ訳」の意味は、「一般の」「通俗の」といったものです。すなわち、キケロやセネカなどが使った修辞学的なラテン語ではなく、庶民が話していたことばだったのです。アウグスティヌスは若い頃、彼の場合はヴルガタ訳ではありませんでしたが、手に取った『聖書』が、彼の学んでいた修辞学的ラテン語から見ると、あまりにも稚拙だったので、馬鹿にして読むのをやめたことは、彼自身が書いています。この時代、印刷術はおろか、紙も大変高価なもので、誰もが本をもてたわけではありませんでしたから、『聖書』も読まれたものを聞いて理解できるものでなければならなかったのです。このことは、現代の翻訳にもあてはまるでしょう。現代は、さすがに誰もが『聖書』を手元において読むことができますが、それが、古語辞典をひかなければわからないのでは、「ヴルガタ訳」も含めた『聖書』の翻訳の趣旨から外れるような気がします。
 「ヴルガタ訳」は、最終的にトリエント公会議で、ラテン典礼の『聖書』とされますが、現在は、1979年に刊行され、87年に改訂版が出された、「新ヴルガタ訳」が用いられています。
 なお、余談ですが、グレゴリオ聖歌は、すべてが「新ヴルガタ訳」ではありません。復活の主日の入祭唱として有名な、"Resurrexi et adhuc tecum sum”は、出典が詩編138の18,5,6(マソラでは詩編139)となっていますが、「新ヴルガタ訳」と合いません。これは、おそらく、古ラテン語訳を元にしたものであり、旋律が付けられていることばは、ことばと旋律が深く結びついているため、簡単に旋律を変えることができないので、そのまま残ったものと思われます。このことも、これからの聖歌を考える上で、一つの示唆を与えてくれるものではないでしょうか。


【参考文献】
『岩波 キリスト教辞典』(岩波書店)
『新共同訳 聖書辞典』(キリスト新聞社)
『新カトリック大事典 第鬼』(研究社)
 

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結局、ルターはヒエロニムスと同じ発想だったわけですよね。 ことばと旋律の結びつき、いろいろな問題がありますね。伝統的なラテン語聖歌を歌うとき、そのメロディーのままで日本語に翻訳して歌うのはとても困難ですが、アメリカに来てから教会で十字架の道行きをした時、なんだかスタバトマーテルがずいぶん歌いやすいな、と思ったら英語でした。英語なら、ラテン語歌詞と同じ意味の言葉で、メロディーも変えずに置き換えることができるのですね。 削除

2005/10/4(火) 午前 9:47 [ veronica2005 ] 返信する

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