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昔歴史の授業で習ったと思いますが。。。 家康とか、お侍さんの「将軍様」の肩書は、征夷大将軍の略なんですよね・・・ 何となく聞き流してしまい、理由を先生に質問しなかったのですが・・・ なんで江戸の真ん中に住むお侍が、遠い北海道に住むアイヌ人討伐のリーダーなのか、子供心に非常に不思議でした。 アイヌ人と書くと語弊がありますが、蝦夷は、朝廷から敵扱いされていた日本の東方・北方に住む人々の蔑称で、将軍様の本来の役割は、外国人から朝廷を守るってのが役割だったと言うか・・・ まぁ、家康に限らず、刀を持ってドンパチやる人達、要するにお侍さんで一番偉い人には、朝廷は征夷大将軍って肩書きを与えていたと・・・ でも、なんで蝦夷退治なのよ??? 今回、この本を読んでだいぶスッキリしました。 第一章:日本人は軍人を差別する 第二章:穢れと言霊 第三章:平和憲法教が国を滅ぼす 第四章:戦後平和教育の幻想と錯覚 第五章:日本人の目を曇らせる「常世」の思想 http://blogs.yahoo.co.jp/consulting012/60405776.html http://blogs.yahoo.co.jp/consulting012/60416858.html 不動産のエキスパートで面白い記事を多々書かれる長倉さんが本書を紹介しており、長年疑問に思ってたことの解明につながるかと思い、早速図書館で借りてみました。 どの民族にも、それぞれ異なった正義・善悪・清濁・審美の感覚があり・・・ どうしてそうなの?って理性的な説明は難しいのですが、その感覚がその民族の行動規範やモラルに影響を与えるのは当たり前の話で。。。 で、私は日本人の行動規範では清・穢(けがれ)が、西洋の神・悪魔に近い対立概念ではないかと感じてました。 それが神道から発生しているのか?または日本人の清・穢をベースにした道徳観・世界観の集大成が神道ではないか? それをもっと歴史的視点から解明し、日本人の軍隊嫌いの理由を解説した面白い本です。 著者は、まずは身近な茶碗で、説明不可能な日本人の清潔好き(穢れ嫌い)を解き明かしてます。 なぜカレー皿やフォークやナイフは清潔ならば何でも構わないのに、こと飯茶碗に関しては、誰の茶碗、誰のお箸が問題になるのか? 例えどんなにきれいに洗ってあっても、同じ家族内であっても、父親の茶碗やお箸で食事を取るのは、普通は嫌がります。お父さんが汚いとかではなく、使用済みの物は本能的に「穢れている」と感じるから・・・ 「これは私が10年使っている茶碗です。ぜひこれでご飯を召し上がってください」などと来客に言ったら、まず頭が可笑しいと思われるでしょうし、二度とこの家に遊びに行こうと思わないでしょう。 何を持って「汚い」とするかが微妙です。例え完璧に洗浄消毒してあっても、使用済みというだけで「汚い」と感じる感覚。 例えば、神社なども何年か経ったら遷宮(せんぐう)という、宮の場所を変えて立て直し、神官の衣装まで新調する神事を行います。 遷宮そのものの由来ははっきりしないそうなのですが、世界に多数ある宗教の中で、たびたび拝殿をまっさらに立て直す習慣は非常に珍しいと思います。 たぶんこれも日本人の清・穢の観念が元にあると思います。毎日掃除はしてるし、汚れても無いが立て直す。建材に石などを使わず、清々しさを感じさせる、でも早々に腐ちる白木を用いる。 私はこの日本人の清に対する執着はとても良い物と思ってます。 日本人の皆皆が清潔とは言えませんが、なるべく身綺麗に保ち、行動も清くあろうとする道徳観は、生真面目で健全で良いなと。 ただし、これを逆にすると、根拠の無い、無責任な「穢」への嫌悪感にもつながります。 茶碗ぐらいは構いませんが、汚れ仕事を忌み嫌う、不思議な国民性にも至ると。 で、将軍様に戻りますが、征夷大将軍は令外官で律令に定めの無い、何だかジョーカーみたいな役割の役職です。 本書では平安時代から日本人は軍備を嫌い、軍人・武人を軽蔑していたこと。都を守る検非違使も、平和を守る重要な役職ではなく、汚れ仕事を代々担う令外官職であったことを指摘しています。 そんな中で、野蛮な武士に朝廷での役割は渡せないから、令外の職でも一番責任重大そうな征夷大将軍になったってワケなんでしょうね。 もっとイジワルに言えば、東で刀を振り回す蛮人には、北の蝦夷退治で十分みたいな発想もあるのでしょう。 ここでスッカリ欠如してるのが、誰かが掃除しないと必ず汚れるし、汚れを排除する役割は大事なのに、そういう職に付く人達まで見下すこと。 秩序や平和を守るための警察や軍隊は重要な仕事なのに、平安の世では見下されていた。実際、平安時代では軍隊制度が廃止され、貴族は軍服を着ることは無かった。警備役の検非違使も、下層カーストである非人の統率のようなことを行っていたと・・・ 汚れ仕事を押し付けられるカーストの習慣は、日本以外にも他の国に多く見られます。フランスやその他の国でも、例えば死刑執行人のような仕事は特定の一族に押し付けられ、その家族・子孫まで軽蔑されていた事実があります。 汚れ仕事は誰もやりたくないですが、さらに日本人の場合、これが言霊信仰にまで発展しています。汚いことは避けたいし、目にも口にもしたくない。言葉にしたとたん、穢れ・悪運(もしくは良き物)が実際に発生するとの思い込み。 それの極論が平和憲法教でしょう。 九条と唱えると皆が平和を愛するように、、、なるわけ無いでしょうに・・・ 血生臭い騒ぎは誰でも嫌ですが、軍隊や警察を無くせば、恒久平和が訪れるワケでないのは明白の事実です。 ただし、著者は同等に神風信仰者も、日本の「穢」嫌いと言霊信仰に縛られた迷信主義だと記してます。 わたしも何となく同じことを感じてたんですよ、ヒステリーに平和を叫ぶ人達、ともかく靖国参拝を叫ぶ人達、どっちも理性的な根拠が何処にもなく。。。 九条を唱えたら、靖国参拝をしたら、安寧秩序の世が実現するなんてワケ無く、、、 誰もが嫌がる汚れ仕事や、時間と手間を浪費する作業の上で、経済や文化、平和で健康な生活が成り立ってる事実を忘れてはいけないワケで。 自衛隊や軍隊を嫌ったところで軍備が不要な世界は実現しないし、お金を嫌ったところでお金が不要な世界も実現しない。 ただし、日本人の軍隊嫌いが、いわゆる戦後の日教組の偏った教育の産物ではなく、平安の世から脈々と続いてる宗教にも似た感覚だというのは新しい視点でした。 偏向教育は拍車をかけたけど、その無責任・無頓着な清の執着と穢の嫌悪(平和は好きだけど血みどろ軍隊嫌い)、昔から日本人に有ったものであったと。 言葉を変えて言えば「厭離穢土欣求浄土」にも近い感覚かと思います。 「厭離穢土欣求浄土」は本来は来世の美しい世界と救いを仏に願う言葉ですが、穢れを嫌い浄化された物を希求する感覚は、戦争や軍備は悪であるとみなす感覚と同等の物があると思います。 ここでもう一つ面白いのが、ブログ朋友のnaomoe3さんの視点です。 ヨーロッパの貴族は、いざ非常事態となると王様を筆頭に戦地に向かい、死地で戦いを行う。いわゆるノブレス・オブリージュを大事にしています。 米国でも、大統領選挙では候補者が軍役に服したか、重要な過去の戦争で軍人として参加したかは非常に重視されます。 でも日本では・・・ 不思議なのは軍国主義盛んな時代でも、軍人でも地位が高いほど、現場での殺戮騒ぎは下士官任せ、または特別な訓練も受けず学徒動員された下位の学生さんが特攻隊で多数死んでます。 もちろん立派な軍人さんも多数いましたし、お国のために頑張った方々を愚弄するつもりは無いのですが・・・ 泥仕事・汚れ仕事を嫌う傾向は、軍人にさえもあり、それが大戦で様々な過ちを犯させたという視点は検討に値すると思います。 もっと調査が必要ですが、本書を読んでなおのこと可能性の高さを感じました。 「売(う)り家(いえ)と唐様(からよう)で書く三代目」 これは初代が苦労して財産を貯めても、三代目では商売もろくにせず遊芸にふけって、仕舞いには家を売り払う羽目になるが、書く字は唐様と、教養ばかりの姿勢を皮肉った言葉です。 穢れを掃除することを厭い、努力もせず浄世を求める姿勢は、平和ボケ日本人と非常に似てますよね・・・ でも、アタシは唐様の文字も書けないので、もっと程度が低いんですが・・・(>_<) 06apr10
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