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あんまり浄土真宗は詳しくないのですが、親鸞さんがこんなことを書いてます。
「たとひ法然聖人にすかさせまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。」
「たとえ法然上人に騙されて、念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔しないであろう」
親鸞さんの堅い決意表明で有名な言葉なんですが、あるぼんさんと話をしてたら・・・
「ほら、これって結局は疑いの心を持ってたってことやろぉ」と。
まぁ確かに「疑いの心」を持ったのは事実なんでしょうね。でも同じ宗教家が揚げ足取り
みたいな事を言っていいのかなぁとも思いました。
カトリックで有名な曾野綾子が書いてたんですが。。。(毎度毎度原典は思い出せず)
信仰を持つことは、日々疑いの気持ちと対峙すること云々。。。
ようは信仰を持つと決めたその日から、「ほんとにこの信仰は正しいの?」って疑い
ながら、それと向き合って行くこと。救われてあぁぁ嬉しいなんて簡単なものじゃなくて、
「ほんまに神様なんて居るんかい?」ってな感情と向き合うこと。無神論者とかはそんな
こと考えませんよね。「アホか」だけで終わる疑問に真面目に向き合う、「ある意味」
無駄でアホなエネルギーを使うことなんだそうな。(さて、こんな文章だったかは???ですが)
こんなことを言ったら怒られそうですが、信仰者で「何も疑いを持たない」ってタイプの人は
よほど人間が単純か、または現実と向き合う観察能力が欠けている人かと思います。
祈ったってお金は降ってこないし、人は死ぬし、どっかで戦争してるし、、、
観音様で有名なお経の一節にも「念念勿疑」なんてのがありまして、「決して疑っちゃ
ならんよ〜」って感じ。ということは、人は疑うもんじゃって前提なんでしょうね。
疑いの気持ちが大爆発するとキリストを裏切ったユダみたいに、お師匠さんをお上に
売ったりするのかな。ユダの裏切りの顛末は本に依って異なるので本当の所はわかり
ませんが、できれば許してもらって天国に行けたと思いたいです。
お釈迦さんも信者さんのご馳走のお肉に当たって死んじゃったそうですが、別に
その信者さんは毒を盛ろうとしたわけでなく「お肉が痛んでた」だけだそうで。
こんな話を知ってる人も少ないと思いますが、とゆーことは誰もその信者さんを
「裏切り者」だの「不信仰者」だのと罵ってないからでしょうな。。。
で、話を戻しますが、色んなことを考えたり勉強したりすると「どーして?」って
考えるのが普通なんだと思います。あまり懐疑的になるのも困りものですが、
人間である以上「考えることを止める」ってことはできないし。。。
本当に思考停止しちゃったら、それこそマインドコントロールだし。。。
「汝疑うべからず」ってのは、「疑うな」じゃなくて、「どうしてそう思うのか、
ちゃんと話してみましょう」だと思ってます。
というか、だと思いたいです。
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07may06
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