記憶の断片

表現に関する思考や感想について、記憶の断片を記録します。

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ざっくりしたイメージなのだが、
'03 『少し早いが、ほぼよろしい』 は、既にどくんごとしてのフォーマットが混迷のなかに陥っていた時期もしくは、フォーマットを取り去って役者の力量のみを平板に並べてみるという実験に挑んだ公演なのではないかと思う。
この演出で観るどくんごは、一人一人のパフォーマンスのキレも中途半端な感じがするし、全体の絡みも練れていない感じ。しかしながら、さらに考えてみると、この公演はロングランではなかったということがあると思う。さらに、テント劇場公演ではないので、演出のバリエーション不足というか句読点の不足感というか、平面な印象の公演だった。

'05 Dire Morons Spank Tour『ベビーフードの日々』では、突然もしもしガシャ〜ンという圧倒的な異物を受け入れて混迷はひと回りしたのではないかと思うくらい異な状態から始まり、最後は最高のパフォーマンスとして締めくくることができた芝居になったと思う。ここで初めてどくんごのフォーマットはきわめて強固な構造を持つことを自覚できたのではないかと思う。
この公演は、初回、中間何回か、千秋楽といいタイミングで観劇できたこともよかった。特に楽日の神がかった出来は、長く記憶に残るものになった。

The Naked Dog Tour 09『ただちに犬 Deluxe』は、現時点までの表現として考えると、どくんごフォーマットの最後の芝居の形ではなかったかと思う。どくんごの表現とはこのようなものなのだという表現は、およそこの芝居以降観ていないような気がする。ついでにいうと、Perfumeを採用した最初の公演ということになる。
みほしさんが、「踊ろうぜ」のしんた君のような立ち位置にうまく収まり、どくんごの役者陣もどくんごらしい芝居をみせてくれていたように思う。

The Naked Dog Tour 10『ただちに犬 Bitter』 は、どくんごの役者と客演陣との差が目立ってしまった公演ではなかったかと思う。
この公演が今年に続く毎年公演の実質的な始まりだったように思う。今思えば、これ以降の演出は相当苦労したのではないかと思う。それでも公演として成立させてしまうのが気合いの凄みを感じる。
なので、この公演以降はフォーマット探しの旅が始まったのだと思う。してみるとこの形態を試したのは間違いではなかったのではないかと思う。


The Naked Dog Tour 11『A Vital Sign -ただちに犬-』 は、通年公演の6演目中最低の出来だったように思う。どくんごらしさというのは、一見関係ないシーンの羅列を最終的には何か五臓六腑の奥に一体となって溜まって沁みていくような感動の構造を持っていると思うのだが、それがどうにも一体化してくれないもどかしさがあった。唯一の救いは、徹底的に浮きまくっている異物中の異物「空葉景朗」氏の怪演であったろう。このおかげで一体感など絶対に無理だということを意志を持って、表現していますよ、といっているように見えるので。

The Naked Dog Tour 12『太陽がいっぱい』 は、ただちに犬という一旦確立したかにみえたフォーマットの再構築が必要になったわけで、相当な生みの苦しみがあったのではないかと察せられる。それが、背景の映像(と言っても静止画だけど)という新たな世界に踏みだすきっかけともなったわけで、思い返すと幻想的な影像を多用した演出が、新たなチャレンジを感じさせてくれる。

The Naked Dog Tour 13『君の名は』 は、2回目にして、ただちに犬以外のフォーマットを確立したようにみえる出来の良さだったように思う。しかし、もう一つ言っておかなければならないのが、健太さんと五月さんの出来の良さ。これ無しでどくんごは語れないのだと実感する。


The Naked Dog Tour 2014『OUF!』 は、一回しか観ていないのであまり自信を持って批評できないが、一見、すごく面白かったと思う。だけど、どくんごの芝居に求めるものが少な過ぎて、不満というのとは違うんだけど、何か圧倒的なものの前に打ちのめされる爽快感のような感じが薄かったため、読後感に乏しいというかそんな感じが否めない。
極端なことを言うと、どくんごでなくても出来たんじゃない?ぐらいの感じ。ただし、このフォーマットありきの話になるけど。


で、来年の休みにはおおいに期待している。
どくんごフォーマットと、どくんごの役者が噛み合った時、どんな奇跡が起きるのか今からワクワクしている。

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