太宰が住んだ大宮 情報ブログ

太宰治が大宮に住んだ二週間を濃ゆ〜く調査しています。
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生誕110年の今年、映画『人間失格』公開を来月に控え、秋にもツアーを実施します。
今回も目玉の品、『人間失格』執筆の座卓を公開します。
お友達をお誘いの上ご参加下さい。

日 時 : 令和元年 10月 19日(土)  12:00−17:00
集 合 : JR大宮駅コンコース
解 散 : 大宮北公民館(宇治病院近く)
参加費 : 2,500円

参加希望の方は、専用アドレスへメール下さい。詳細をお伝えします。
メールアドレス : omiya_dazai@yahoo.co.jp

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太宰治生誕110年、実に10ぶりに探索ツアーを企画開始したのは年初、様々横やりや雑念が混じり合いながらも、何とか実行できた。前回は限定15名、これだって十分大変だったのに、今回は総勢30名、魔がさしたとしか思えない。いや、儲けは考えていない。1人5,000円という高額は、主婦には無理、との苦情も正直あったが、なんやかんや準備で実は赤字であった。もう一度言う。儲けは考えていない。何を於いても、太宰が大宮に暮らした2週間を、もっともっと多くの人に知ってもらいたい一心でこのイベントは実現した。やってみるもので、当日1名欠席にしても、当日までに30名集まった。奇跡!

前回に続き参加下さった太宰治のご親戚である津島克正さん、山崎富栄を詳細に記した小説『恋の蛍』で新田次郎賞を受賞された松本侑子さん、塩尻市より古田晁記念館館長さん、さいたま文学館の学芸員さん、さいたま国際観光協会の方々、そしてその他、青森、富山を初め、各所から集まって下さった筋金入りの太宰ファンのみなさん、おそらく普段では考えられない顔ぶれと話ができる貴重な機会になったと思う。

目玉は、太宰が死の前日に飛び込んできた宇治病院旧宅にて、『人間失格』を執筆した座卓をお見せするというもの。お手を触れずに、なんて野暮な事は言わない、太宰が煙草で付けた焼け焦げのあとに触れて、彼の息遣いを感じてもらう。感動してもらえたなら嬉しい。

お昼は津軽料理も含んだお弁当、名付けて「大宮太宰弁当」を用意、数年前に日テレのズムサタに出てしまった藤縄信子さんの映像を紹介、そして、女優 千葉綾乃さんによる『人間失格』の一節を朗読。最後に皆さんから自己紹介と感想をひとりひとり。

まぁ何かを感じてくれた事を再認識でき、まずは成功、と言いたい。次は小栗旬主演の映画『人間失格』公開の9月13日に合わせて実施を模索している。新聞、そしてYahooニュースになって知ってしまった、隠れた太宰ファンも次は堂々と参加頂きたい。

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かなりご無沙汰な投稿になります。こんな動きもないブログ、それもこんなSNS全盛期に今さらブログなんて、見て下さる方がおられるのであろうか。僅かなのぞみを胸に。。。太宰治生誕110年記念、太宰が住んだこの時期に初めて、探索ツアーを挙行致します。
日程は、4月29日(月) 9時に大宮駅コンコース集合、そこからおよそ3時間掛けて太宰ゆかりの場所を訪ねます。お昼は太宰が好きだった津軽料理のお弁当(軽食ですが)、そして『人間失格』の、大宮で書かれた箇所を女優さんに朗読をしてもらおうという企て。
今回も、太宰が死の前日に駆け込んできた宇治病院旧宅を特別に公開、そこで、太宰が『人間失格』執筆に実際に使っていた座卓を見て頂きます。軌跡のコラボが10年ぶりに実現しました。この日を逃すともう見れないかも。ぜひご参加をお待ちしております。

日程 : 2019年 4月 29日 月曜日 9:00-15:00
集合 : 大宮駅コンコース
解散 : 現地解散
参加費 : 5,000円 昼食(軽食)、朗読会参加を含みます
※ お申込みは、専用メールアドレス omiya_dazai@yahoo.co.jp へ、お名前、住所(市町村まで)、性別年齢(任意)、メールアドレスを記入の上お送り下さい。折り返し詳細をお知らせ致します。

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名古屋で太宰、唸るように呟いてみても、名古屋と太宰、接点などまったく無い。無い!
そんな中、ひとり悶々と、名古屋へ持ってきた膨大な大宮太宰研究資料を眺め、読み進め、でも名古屋に接点は無い!

ある日、名古屋一番の繁華街、栄に近い久屋大通公園を訪れた。名古屋で大きなイベントと言えば、間違いなくここ。だから私は、思い立つとママチャリを走らせ、この場所に来る。
たくさんののぼり、何かを焼いているモウモウとした煙、おっ!何か祭りだな!
「ふるさと県人会まつり」に遭遇。名古屋に事務所を持つ各都道府県の県人会の面々が、そのふるさとの味や観光案内をひっさげて終結!な、グルメな私が食いつくお祭りだった。

沖縄のオリオン生ビールと愛媛のじゃこ天、鹿児島の芋焼酎と山形の玉こんにゃく、秋田の銘酒と大分中津のから揚げなんていう、単なる旅行ではありえない取り合わせでの味が楽しめるとあって、何度もその組み合わせを変えて楽しんだ。
ステージでは、各方面の郷土芸能。狭い舞台に徳島の阿波踊りの踊り手が舞う。沖縄のエイサーの太鼓が響く。も〜たまらん!

青森県のブースを見つけた。ブースを仕切っているおじさま、ねぶたのハネトの格好をして、声を掛けてきた。
「青森へは行った事はあるかい?」
ほら来た。酒も入っているので、私の太宰話が始まる。
埼玉で太宰の研究をしていたこと、名作『人間失格』が実は埼玉県の大宮で脱稿という話は太宰ファンでもあまり知らないだろうということ、その時に太宰の世話をした人が今も都内で健在だということ等々、普段のうっぷんを断ち切るような私の爆弾トークに、合いの手も入れられずただただ聞いていたおじさま(東海地区青森県人会の会長さんだった!)が、
「あんた、一杯飲んでけ」
そう言って、ブースに出ていた地ビールである奥入瀬ビールを一杯ご馳走して下さった。
「今度何かの機会で今日の事を話してくれ」
そう言って、青森県人会のパンフレットを渡してくれ、県人会の方を紹介頂いた。
「明日は知事が来るからサ、また来ればいいサ」
青森県知事、そんな凄い方と、この名古屋で対面できる機会などめったにないな、というわけで、次の日も会場へ。

まず会長さんにご挨拶。そこに三村知事登場、りんご柄のアロハシャツ、下には“青森ほたて”と書かれたTシャツ姿。明るい、とにかく明るい人だ。会長さんは、私を知事に紹介して下さった。「太宰研究家」ですと言葉を添えて。
私は知事に、太宰を知るキーマンで、どんな研究家も知らない人が都内にご健在なのを知っています、とお話した。知事は目を丸くして食いついて下さった。あまりの人ごみで多くは語れなかったのだが、知事と太宰話で繋がった。
あとで津島克正さんからお聞きしたが、東大文学部卒業、学生時代は小説家も目指した方、そして新潮社に就職という、知事の肩書きとしては異例中の異例、さらに彼、太宰ファンだという。さすが青森の知事になる人は違うなぁ。

この2日間のイベントの最後を締め括るのは、青森県PR。青森県のゆるキャラ、決め手くんといくべぇがスタンバイし、県人会の皆さんもねぶた祭りのハネトの格好で準備万端。私も椅子席の前列で、その時を待つ。
三村青森県知事とミスりんご、決め手くんといくべぇが登場。三村知事は、スコップと栓抜きを持って、津軽三味線を模して掻き鳴らす!なんて明るい知事なんだ。埼玉の上田知事とは全然違う。
青森の踊り、三味線と続き、最後はねぶた囃子。県人会の人たちが、会場にいる若者を強引にステージに引きずり出し、踊りに加わせる。イベントの最後を飾るには最高のフィナーレとなった。

イベント終了後、ねぶた囃子の余韻にしばし呆然としていた私、我に返り、会場をあとにする。
名古屋に太宰との接点など無い!と言った私だったが、県人会という青森県の窓口が名古屋にあるじゃないか!
ひと筋の光、見つけたり!
ここから、名古屋太宰化計画は始まろうとしている。

※ 三村青森県知事、東海地区青森県人会会長との奇跡の3ショット!

三島の面影を探して

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私が昨年より、名古屋へ転勤となった事業は色々訳あり、この11月で消滅となった。埼玉へ帰れる理由も無く、結局は片道切符になってしまったようだ。大宮とも次第に遠くなってしまった感があり、このまま「太宰が住んだ大宮」も先に進めないのかと思うと辛い。

名古屋の事業所は、静岡県も範疇となっている。お世話になった取引先に、この消滅する事業の引継ぎご説明と御礼をするために、静岡市、沼津市を訪れた。午前中に静岡市、そこから鈍行列車に乗って沼津市。途中の車窓からは、富士山が大きく姿を現した。

以前、富士市から甲府市へ、JR身延線でぐるりと富士山の麓を回った事があった。どうみても、富士山は甲府側のほうが美男子である。静岡側からの富士山はドン臭い、っていうか田舎者に見える。太宰も、美智子夫人と逢った甲府市側と、下曽我に行った静岡側と、両方の富士山を見ている。どちらの方が素敵に感じたろうか。甲府側の富士山については、富嶽百景にあるように絶賛しているが、静岡側からのそれはまったくない。彼もそう思ったに違いない。

沼津市で用件を済まし、まだ3時少し前、帰りの新幹線に乗り換えるにはと調べると、三島駅だという。三島?なにか覚えがあるぞ!
そうだ、太宰が帝大時代にひと夏を過ごした街、ララ洋菓子店の女店員に思いを寄せた街、のちに『満額』のモデルとなるお医者様が住んだ街、そうだ、三島だ。
太宰の住んだ街を、青森、三鷹、鎌倉、水上、下曽我、そして大宮と巡った私が唯一、行ってなかった街、三島。もうこんな遠地出張などないかもしれない最後の旅が三島とは、いやはや太宰さんもニクい演出じゃないか。

名古屋行きの最終新幹線こだまに乗るにはまだまだ時間がある。とはいえ、太宰の見た景色を巡るには明るいうちが限る。思わず足の運びが早くなる。

三島駅、開業当時のままの駅舎はどこかモダンな佇まいを見せていたが、改修工事が進んでいるのか、囲い塀が周囲を覆っていた。
駅前には、いきなり森。太宰が住んだ街は、楽寿園と呼ばれる大きな公園の向こう側のようだ。時間が無い。一気に突っ切るか。ところが、この森を抜けるには入園料が要るらしい。わずか300円だが、通過のために払うにはもったいないな。迂回しよう...

そうなると、方向音痴な私には、大冒険が始まる。なにしろ今回の旅には、東京紅團に載っていた地図しか持ち合わせていないのだから。遊園地の猿電車のような伊豆箱根鉄道の電車が、わずかな家々の隙間を縫うように走る。ちょっと“鉄”な私には、なんともこの風景は楽しい。と言ってる場合じゃない。時間が無いんだ、今日は。

この電車と並行するように走る1本の道路をようやく見つけた。この先に太宰の住んだ街がある。遠くに、青い大きな家が見えた。「松根印刷所」と大きな文字。昭和9年、佐吉の家に居候していた頃に、寝泊りしていた所だそうだ。「私は男はきらいじゃ」『老ハイデルベルヒ』で、佐吉の妹、さいちゃんとの楽しい会話が聞こえて来そうだ。そしてその先、現在は和菓子屋になっている、この辺りが坂部武郎酒店だった。この間を、毎日太宰は歩いていたのだ。気持ちはいっぺんに昭和初期に戻る。

後ろ髪引かれる思いで次に向かったのは、ララ洋菓子店。太宰はここのママさんが好きでよく訪れていたという。そのママ、千代子さんは当時23歳、一番危険な頃の太宰がよく手を出さずに済んだものだ。奇跡!(もしや?)
その千代子さんも平成21年に96歳で亡くなられた。またひとつ、生き証人が姿を消した。
1階が洋菓子店、そして2階が喫茶店になっていた。木の壁の店内ははやりその昔のままなのか。ショートケーキと珈琲を注文。千代子さんの娘さんと思われる女性と若干歓談。その方はひとりで1階も見ていたので、あまり多くは話せなかった。

次、『満願』の舞台であると言われる今井産婦人科病院があったとされる場所は、現在は駐車場になっていた。そのすぐ前には、昔ながらのタバコ屋、そして元看板娘(?)のおばあちゃんが店の番をしていた。このおばあちゃんであれば、その昔の事をいろいろ知っているかもと、しばらく張り込んでみた。おばあちゃんは、誰かとずっと電話中で、いつまで待っても切ろうとはしない。どれだけその前で待ったろうか、かなり粘ったのだが、いっこうに状況は変わらず。ついには薄暗くなってしまい、私はその突撃取材を諦めた。

街の間には、きれいな水が流れる小川の清流が私の心を和ましてくれた。理由は要らない。居心地のいい街であることは間違いない。
さあ、暗くなってきた。どこかでいっぱいやって、名古屋に帰るか。

※ ララ洋菓子店で頂いたケーキと珈琲。落ち着いた時間がゆっくり流れた。

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10月20日、21日は、名古屋で一番大きな祭り、名古屋まつり。
街のそこここでイベントが行われ、いくつもの歴史ある山車や、織田信長、豊富秀吉、徳川家康の郷土三英傑のパレードが通りを埋め尽くす。私はそのイベントを自転車で巡った。
山車のからくり人形に歓声を浴びせ、愛知各地より終結した戦国武将隊の演舞に酔いしれ、久屋大通公園では、名古屋ローカルアイドルの笑顔に満たされ、テレビ塔の足元では、フリーマーケット巡り。さすが名古屋でのフリマは田舎町とは違い、アンティックや、おしゃれな小物や、アートな作品と、私にはちょっと食いつきにくい(苦笑)

そのフリーマーケットの奥のほう、古本の販売をしている一角があった。それとなく次々と見て回った。そのひとつで、おもわず足が止まった。太宰研究の第一人者、長篠康一郎の「太宰治文学アルバム」「同 女性編」の2冊。手に取って中を見ると、私も見たことのない写真がたくさん掲載されていた。値段を見ると、新刊で2000円の本が1500円となっている。高いと見るか、安いと見るか、微妙。。。

そこで三鷹ボランティアガイドの重鎮の大先輩にメールで報告。すると、すでに絶版の貴重な品だという。ぜひ買いたいとの報で、再びその売り子の所に戻り、買い求めた。2冊いっぺんに買うからと交渉し、2冊で2600円までディスカウント。売り子さんは先ほどから熱心に本の中身を熟読する姿を覚えており、「熱意に負けました」と。

明日大先輩に送る前に、その本を開いてみた。帝大の学生証、荻窪から水道橋までの通学定期券の写真から始まり、太宰の作品とそのゆかりの地の写真が掲載されている。それも極めてその当時の景色に近い。登場人物の写真がなんでこんなに手に入ったのか不思議だ。

女性篇の方を開いてみた。
三鷹の馴染みの小料理屋「千草」の女将、田辺あつみ、小山初代、青森時代に芸者遊びに興じた頃の芸子、石原美智子、太田静子、山崎富栄、通常出回っているものとは明らかに違う写真。
長篠康一郎という人物、太宰研究では群を抜いていたと伝説ではあるが、その意味を始めて痛烈に感じた写真集だ。彼のような調査は、置かれた状況からも経済的な理由からも私には無理ではあるが、せめてこの心意気を見習いたいものだと思った。

この貴重本、できるだけ多くの人で共有できたらいいですねぇ、大先輩!

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朝のCBCラジオ(我が家にはテレビがない)で、名古屋古本会館で、大古本市が開催されています、とアナウンス。読書の秋だし、久し振りに古本探しでも行くか、って事で、自宅からママチャリで30分ほど、名古屋古本会館へ行ってみた。
通りには「大古本まつり」ののぼりが角々に立っていて、初めての私にも問題なく誘導頂いた。倉庫のような広々とした室内に、所狭しと本が並び積み上がる。3冊100円のエリアと、1冊100円のアリア、小説から経済書、漫画コミック、懐かしいアイドルの写真集、美術本、ありとあらゆる本が一緒クタに集まっている。家の近くの名古屋の古本屋もそうなのだが、普通の本の間に、大正時代から戦前の茶色に光った本が挟まっている。この日も、なんだこりゃ!と笑いたくなるレア本がたくさん置かれていた。

その中で見つけたもの。
まずは、文学評論雑誌『國文學』「特集 太宰治の問いかけるもの その軌跡を追って」(昭和51年刊)。
太宰周辺の有名どころが投稿。
「太宰治試論」--太宰治の問いかけるもの(吉本隆明)
「魚服記」手稿(寺山修司)
「作家太宰治の誕生  出生から 処女作まで」 (渡部芳紀)
「リベルタン宣言」--戦後の倫理(東郷克美) などなど

それから、『太宰治 その人と』(長尾 良)

ともに、あまり見た事の無い太宰本。こんなのがすぐに目に飛び込んで来る。
太宰が「ほらほら、こっちこっち!」って呼んでいるような気がする。

その他にも、全国の吟醸酒を紹介するフルカラーの本の中に、今ではなくなってしまった我が街の銘酒『金紋朝日』や『渦巻正宗』が載っていて、懐かしくてつい買ってしまった。100円だしね。

この古本市、月に何回か、定期的に実施されているそうである。またレア本を探しに来ようかな。

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名古屋の単身赴任、独り暮らしだと、人恋しくもなってくる時がある。仕事の仲間じゃ癒されないものを求めて、夜の街へ出向く事もある。私の場合、もっぱら焼鳥屋が多いのだが、その時の心の具合でお店を選んでいる。
一人で、もの想いにふける時は、知ってる常連もなく、店員も声を掛けてこないあの店へ。
優しいご主人と、静かに話がしたい時は、あの店へ。
楽しい常連さんとワイワイやって、何もかも忘れたい時はあの店へ。
名古屋に住み一年足らずだが、そういった店を順繰りと巡っている。

ある日自転車で近所を走っていて、
「おや?こんな所にも焼鳥屋があったのか」
この店、家からもっとも近いのに、ちょっと路地裏のため、気がつかなかった。

で、先日も焼鳥屋を目指したくなった夜、ふとあの店を思い出した。昼間はシャッターが閉まっているので、店の雰囲気などは知り得なかったが、夜、ぼんやりと灯かり。入口の引き戸の格子が、人マスだけ中が見えるようになっていたが、カウンタやご主人までを見回す事もできず、それにあんまり長く店の入口でそういうのを覗うのもどうかと思い、一時はその店をあとにした。でも、何か胸騒ぎが残って、50メートルほど通り過ぎてから引き返し、意を決してその店に乗り込む事にした。

カウンタが5席、小上がりが2席というこじんまりとした店内。カウンタには、中年の男女が3人。そのひとり。。。あれ? 私がたまに通っていた、お酒が飲めるたこ焼き屋さんでよく見かけた未亡人であった。向こうも私の事に気がついた様子。お互い、不思議な再会に首を傾げながら、一声掛け、その女性の左となりに座った。
「ここ、よく来るんですか?」(私)
「最近は私、こっちにしてるの」(未亡人さん)

ご主人はかなり年配の方。左半身が不自由のようで、右手1本で炭を整えるのも苦労している。常連さんとの話し方に「!」もしや。
話の中に、青森の事が出てきた。
「ご主人、青森生まれですか?」(私)
「そうだよ〜」(ご主人)
「青森、どこですか?」(私)
「藤崎だよ」(ご主人)
「あぁ〜ふんじゃきね」(私)
“ふんじゃき”にご主人は目を丸くされ、
「おっ!あんた、青森かぁ?(津軽訛りで)」(ご主人)
「いやいや、青森には好きで何度も行ってますから」(私)
伊奈かっぺいのライブカセットで、藤崎の事、地元じゃふんじゃきって言うんだって聞いたもので、グッドタイミングだった。これでいっぺんに、ご主人の私に対する態度が和らいだ。

もうひとりの中年女性が、
「どうして青森に行こうと思ったの?」(女性)
私はすかさず、
「太宰治ですかね」(私)
「太宰治、あまり読んだこと無いわ。どいういうのでしたっけ」(女性)
「有名なのは『走れメロス』、あとは『人間失格』とか、『斜陽』とか」(私)
女性は、太宰作品にはまったく触れた事がなさそう。反応なし。

私は埼玉から単身赴任で来ている事を絡め、太宰が大宮で『人間失格』を書き上げた事、またその事実を地元でも殆ど知られていない事を力説してしまった。常連さんたちは、太宰については食い付いてくれなかったが、ご主人だけが嬉しそうにうなずきながら聴いてくれた。

そこへもうひとり。この方も、たこ焼き屋でも会った常連さん。
「瓶ビールは自分で取ってきてね」
とは未亡人さん。
カウンタの4人の中に、私もすっかり加えて下さり、いろんな世間話で盛り上がる。
そこへご主人。
「俺はな、奇跡って言葉を信じてんだ」(ご主人)
不自由な自分の体に、まだまだと奮い立たせているようだ。
「そうだよ。体を治すのは自分なんだから。病は気だから」(常連みんな)
そうみんなで応援する。ご主人の笑顔が可愛い。

みんな順番に焼鳥を注文する。私は、皮、肝を2本ずつお願いした。たれが絶妙で、この周辺のお店でも1、2を争う、とても美味い焼鳥だった。なんで今まで来なかったんだろうと後悔しきり。
「あたし、月、水、金はここにいるから」(未亡人さん)
「えぇ〜週3日もですか?」(私)
「ここ、会社帰りに寄ると落ち着くのよねぇ」(未亡人さん)
それはわかるような気がする。またひとつ、名古屋での独り暮らしの宿り木ができた。それが青森がきっかけとは、太宰も憎い演出をするもんだ。

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名古屋生活の足はもっぱらママチャリ。市内を巡るには十分で、主だった観光地から、自分のもうひとつのライフワークである歴史探索、神社仏閣やら遺跡やら。だって桶狭間の戦いの地、桶狭間まで自転車で行けるとは、なんと素晴らしい土地だろうか。

ほとんどの場所を制覇して、回遊の範囲をもうちょっと広く持とうと、列車のお得な切符を探した。名鉄、近鉄、JRと、こちらも乗り放題切符が満載で、秋の京都も良いかな等とその計画を企画していて、ふと思った。太宰を大宮へ連れてきた張本人、古田晁の故郷、長野県塩尻市小野地区へはどうなんだろうと。

JR東日本では、首都圏を乗り放題できる「ホリデーパス(2300円)」なるものがあるが、JR東海では、名古屋発の同様の切符「青空フリーパス(2500円)」というのが販売されており、なぜか長野県南部地域も行ける事がわかった。中央線では「木曽平沢」まで。塩尻駅からほんの4つ手前の駅だ。
古田晁の生家のあとであり、現在は記念館となっている「古田晁記念館」の最寄駅である小野駅までは、この青空フリーパスに480円を買い足せば行ける、さらに埼玉からの経路を調べた時は、小野での在可能時間は3時間程度だが、名古屋からだと、有に7時間は滞在できる。それに、特急券を買い足して名古屋から塩尻へ、特急「ワイドビューしなの」に乗れば、ほんの2時間足らずで着く。名古屋から塩尻は、JR的には極めて近い事がわかった。初めての名古屋脱出の旅は、長野県塩尻市小野と決まった。

朝4時に起き、最寄の鶴舞駅で5時半過ぎの鈍行列車に乗込み、2回乗り換えて塩尻駅。そこからまた2回乗り換えて11時過ぎに小野駅へ到着。駅員も委託の小さな山里の駅である。山の空気は清々しく、思わず伸びをしたくなる。
今回の旅では、古田晁記念館の管理の方とできるだけ話したいと思っていたので、この時間からの来訪はご迷惑と思い、まずは腹ごしらえ。大正時代からある駅前の「タイガー食堂」へ。名物ソースカツ丼とラーメンのセットを注文。
壁には、昭和20年代に、裸の大将、山下清がこの店を訪れ、葉書が送られてきた事を記録した記事を掲載していた。食事のあと、店の若い衆に聞いてみた。
「ここには、古田さんも来たのですか?」(私)
「へ?古田さん?」(店員)
「古田晁さんです」(私)
「あぁ〜、オレ、そういうの勉強不足で」(店員)
。。。本当に勉強不足だよ。この店に入る路地に「古田記念館この先」って看板があるじゃないか!

まぁ、いいか。先を急ごう。
曲がりくねった細い道を登り、センターラインのあるちょっと広い通りに出た。向こうから女子中学生が3人。
「こんにちは〜!」(中学生)
「あ、あ、こんちは。。。」(私)
ここでは会う人には挨拶をする事になっているんだね。でも旅人にも挨拶してくれるなんて、いい町だな。

通りに突き出た「古田晁記念館」の看板を見つけた。家の門の前に立て札。周辺を写真に収めていると、管理人さんが出て来た。ちょうどお昼ご飯の弁当の空箱を車に持って行く所だった。私は、庭園を見ながらその方が戻るのを待った。
「あ、見ていきます?」(管理人さん)
「拝見します!」(私)
展示室は離れの蔵、兼、客間にあるようだ。蔵の鍵は開け辛いようで、苦労をされていた。

それほど広くないスペースには、まず、古田晁の生い立ちを紹介し、九死に一生を得た、湯の花トンネル列車銃撃事件に遭遇した時に、となりにいた人が銃弾を受け即死した、その飛び血を浴びた血染めの原稿の現物。
そこから、筑摩書房の名参謀3人、臼井吉見、唐木順三、中村光夫を詳しく示し、そして、古田晁が交友があった作家たちから送られた書簡が飾られていた。
太宰の周辺の人々、井伏鱒二、上林暁、伊馬春部、田中英光、そして、草野心平、石川淳、川端康成、小林秀雄、島崎藤村、谷崎潤一郎、永井荷風、武者小路実篤、柳田國男、などなどの直筆書簡が並ぶ。すごい!すごい!

太宰治のコーナーがあった。太宰自身が書いた掛け軸の書が3点、その下には、太田静子の書簡、太田治子さんが中学生の頃に、古田が送金してくれた事へお礼の書簡に、静子が加筆。そして、太宰治の葬儀で読まれた弔文の生原稿。目を釘付けにするそれらの数々の品を前に、しばし呆然の私だった。

二階へ。ここは、となりの母屋から渡り廊下で行ける客間が三室。変に資料館っぽく飾らず、数々の作家たちがそうしたと同じく、このまま宿泊ができるような佇まい。畳に座り、何も音の無い部屋で、じっと耳を澄ます。照明が点らず、ぼんやりとした部屋の座卓の向こう側で、
「おい!ビール!」
そう叫ぶ古田さんの笑顔が見えるようで、鳥肌が立った。
部屋の隅には、古田さんが着ていた正装着が、そのまま掛けられていた。いけないと思いながら、その服に顔を埋め、古田さんの息遣いを感じ取った。

一階に戻ると、管理人さんが待っていてくれた。これらの書簡は、古田さんの親族の方が大切に保管していたものだとか。
念願の来訪である事、大宮の太宰を調べるうちに、古田さんのに興味を持った事などをお話した。実はこの日、厚さ3センチほどの大切な大宮太宰資料を携えて伺ったのだ。昔の地図や、古い記事や、大宮でのみ出回っている本のコピーや、藤縄さんのお手紙などをお見せしながら、久し振りに「太宰が住んだ大宮」を熱く語ってしまった。そして、3年前に実施した、大宮太宰ツアー第二弾に参加された皆さんにお配りした資料集を再版したものをお渡しした。“ツアーを実施した”という言葉に、微妙に反応して下さった。そう、塩尻でも古田さんのツアーを企画すれば良いのに。
「とっても興味持っているのが仲間におりますので、みんなで回し読みします」
そう言って資料を受け取って頂けた。こういうアプローチで、大宮太宰が再燃したら嬉しいけど。

塩尻市では毎年、市図書館主催で「本の寺子屋」というイベントを夏から秋に向けて行っている。古田晁の故郷という事から、彼の功績をたたえ、実施されているのだそうだ。
http://www.city.shiojiri.nagano.jp/tanoshimu/toshokan/honnoterakoya/honnnoterakoyaH24.html
ここで「古田晁記念館文学サロン」と称し、筑摩書房にゆかりの人に講演を依頼している。
今年は、元筑摩書房取締役の藤原成一氏が、
「古田さんから学ぶこと〜古田さんから受けたさまざまな「教え」について〜」
という題目で講演をする。
200名ほどの席がほぼ埋まるほどの人が、市民交流センターに集まるのだそうだ。日程は、11月10日(土)、こんなイベントに行ってみても面白いかな。

古田さんの家をあとにする。古田さんのお墓が歩いてすぐの所にあるとお聞きしたのだ。歩いてほんの数分、木立ちの中に彼のお墓を見つけた。「古田晁」「古田と志」と、ご夫婦の名が並んで刻まれたお墓。
お花が枯れていた。お花やお線香を持って来ればよかった。古田さんにゴメンナサイの気持も添えて手を合わせた。
ちょうどこの時間に走っていた町内循環バスで小野をあとにした。ここにようやく来れた事に、なぜかホッとした気持ちになった一日だった。

※ 客間には、様々な宿泊客と、古田さんの笑顔の影が見えるようだった。

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名古屋にも太宰ファンはいるはず、そう信じ、ネットで調べてみる。無い、全くと言って良いほど無い。桜桃忌の間近にし、私はどこに身を寄せたら良いものか、うろたえるばかりだった。

埼玉にいた頃は、没後60年の年に、三鷹に「フォスフォレッセンス」という古本カフェを見つけた。もちろんこの名は太宰治の作品から取ったものである。
( http://page.freett.com/phosphorescence/
女性のご主人が、太宰に寄り添いと京都から三鷹市に移り住みお店を開いたという、筋金入りの太宰ファンが集う店でもある。ここで私は、太宰が住んだ大宮の事実をお店のイベントで発表したこともあった。

であれば、フォスフォレッセンスと同じような、朗読のイベントを開催したり、ひとつの作品について論じ合ったりできる、そんなアクティブな古本カフェなるものがあるのではないかと、検索を続けた。

あった、1件。その名は「リチル」。名古屋大学の近くに構えるそのお店は、古本、少々の雑貨、そしてカフェといったスタイル。
( http://www.litir-books.com/ )
ホームページがやたらとお洒落なあたり、はっぱり女性を当て込んだ感じなのだろうか。その中のダイアリ、ご主人の日々の出来事、思いが綴られている。こだわり(ある意味偏屈?)な所、わたし的には好感が持てる。話せば分かる、かもしれない。

という事で、ある日、この店を訪れた。
お客は、おそらく名古屋大生ではと思われる若者たち。それから、それらよりも少し年上の、落ち着いた女性がひとりで。そして若いカップル。ご主人とも、馴染みな雰囲気で言葉を交わしている。

アイスコーヒーを注文し、本棚を眺めてみる。太宰治の弟子、小山清の文庫本が平置きされている。なぜだ?
「新潮日本文学アルバム」の太宰治の本が置いてあった。あるじゃないか、こういう店。脈がありそうだぞ。
席に戻り、コーヒーを片手に、これらの本を読み進める(中身は知っているのだけれども、一応)。
「新潮日本文学アルバム」を読み進めて、私は、はっと思った。有名な銀座のバールパンでの写真、そう、林忠彦のあの写真のページに、同じこの写真のポストカードが挟まれていたのである。
裏を見ると、ずいぶん昔の展示会の題目があった。元の持ち主が、そこで配られたか、あるいは購入したか。なんだか、太宰が「やぁ!」と無邪気に笑いながら顔を出したように見えて、私も思わず笑ってしまった。

ご主人と何か話ができないものかとその機会をうかがうも、常連さんたちとの楽しい会話に終始し、こちらへ目を向けてくれることはついになかった。
1時間ほど費やし、お勘定。
先ほどの小山清の文庫本と、新潮日本文学アルバムを手にカウンタへ出向いた。
「この本のここに、太宰のポストカードが挟まっていました。
私はこの本を持っているので、このポストカードだけ、本の額面の300円で売って下さい。
本は太宰が好きな人のために残して置きます。」
「そ、そうですか。」
ご主人は不思議そうな顔をしながらレジを打つ。
「ここではイベントなどはあるのですか?」
「えぇ。作品の読み合わせや、朗読会なども。あとは和菓子を作りながら日本酒を呑む会などもやってます。」
「桜桃忌に、名古屋の太宰ファンはどうしてるのかと思いましてね。」

ご主人ともう少し話を進めたかったが、何か忙しげな様子だったので、今日の所はここまで。また来てみようかな。
ここで、原きよさんや中村雅子さんの太宰作品の朗読会を開いてくれないものか。または、太宰が住んだ大宮ネタならば、私がコメンテーターに回ってもいいかな。そんな事を思いながら、家路に向かった。

※ お店で見つけた「新潮日本文学アルバム」

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