|
俣病患者が手帳に書き残した文字。魚の仲買をしていたこの患者は、1959年ころ、医師から「水俣病ではないか」といわれて入院したが、漁業組合の人たちは「この村から患者が出たら魚が売れなくなる」といって、無理矢理退院させてしまった。 水俣病が発見された頃、患者は「奇病」「伝染病」とののしられ、兄弟や親類さえ家に寄りつかないという目にあった。長い闘いの末に、水俣病患者はチッソから補償金を勝ち取ってきたが補償金は一方で、中傷やねたみを招き新たな苦痛の一因となった。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


