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▽過失の要件事実(構成要件) しかし,定型性で刑法の拡張適用を厳密に限定しようとする団藤教授や「自動車事故と業務上過失責任」*3「過失犯における注意義務」*4という名著を表した大塚仁教授によれば,現代の通説判例である「新過失論」*5では (1) 一般的客観的かつ具体的な予見可能性 (2) 同予見義務(「許された危険」も「信頼の原則」も,「緊急行為」も,その他の「社会的相当性」もない) (3) 一般的客観的かつ具体的な回避可能性 (4) 同回避義務(前同) の4条件を満たさなければ過失犯という犯罪は不成立である。 たとえば,医療行為は,原則として「許された危険」として,ERなら更に「緊急行為」として,「当該TPOの下で平均的に一般的に求められる通常の(TPO下での平均標準説)」医療設備と医療スタッフと医療技術に基づいた医行為なら,予見義務や回避義務が阻却されて過失犯は不成立となる。ここが民事の過失と異なる。*6 *7 ▽過失の立証 しかも,この4要件を証拠に基づいて捜査訴追側つまり検察官が公判期日で合理的疑念の余地なく立証しなければならない。交通事故なら理解し易い。(a) 車の性能が旧運輸省の厳し過ぎると貿易摩擦で批判された保安基準で定型化されており,(b) 各種研究で運転手の認知能力が人間工学上きわめて安定的に数値で客観化されている上に,(C) 運転手の守る義務や運転操作が道路交通法で細かく規定されているからだ。 (1) 予見可能性は,危険の視認可能性という人間工学や前照燈の照射距離等で客観的に認定される。 (2) 予見義務は道路交通法と優先通行権に基づく信頼の原則の各種判例で定型的認定が容易である。 (3) 回避可能性は,制動距離計算とコーナーリング特性の計算でブレーキを踏んでハンドルを切ったら事故が回避できたかという判定が比較的容易になされる。 (4) 回避義務は予見義務とほぼ同じである。 だが,不定形の医療行為は,そうはいかないが,これも判例の積み重ねで次第に明らかにされてきた。大野病院事件で明らかになったとおり,裁判官の「回避可能であったと検察官が主張するなら,まず,当該症例で被害者が救命できた臨床例を1つでも立証せよ。」ということになる。この法理でいえば,「当該医療事故が予見可能であったというなら,事前の各種検査(たとえば血液検査やMRI読影)で当該症状の発生を予見して手術に及んだ臨床例をせめて手術計画書で示せ。」ということになるだろう。 *1:ただし,体型はブタさんではないことを明言する。為念w *2:その先生が過失に不勉強かどうかは知らないが,新過失論と旧過失論の区別をまともにできないベテラン弁護士の書き散らしを読んで驚愕した記憶がある *3:日本評論社,1964年 *4:日本刑法学会編「刑法講座第3巻」所蔵,有斐閣 *6:民事医療判例は,医療判例に限らないが,刑法の過失の要件を解釈する法的根拠足り得ない *7:団藤教授は「(一般人)標準説」を「もし通常人に要求される客観的な注意義務をもってしても結果の予見および回避が不可能なような場合であったとすれば,はじめから,構成要件該当性が否定されることになる。」と看破している(団藤「刑法綱要総論改訂版」310頁)。
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医療における予見可能とは一般論によるもので十分であり
当該症例に対するものではないのでは・・・??
この理論でいえば合併症はすべて責任なしとなりますが。
従って大野病院の場合は予見は可能であったが回避義務がなかったと
されたように記憶していますが・・・
2010/2/11(木) 午後 7:35 [ koredeiino345 ]
先生、確かに、予見が可能でも、回避できない問題があります。 道交法のようなものがあり、それにしたがっていたなら、回避かのうであるが、突発的におこりえる、ものには、回避できない、となります。 それを可能というならば、多くの可能にした、例を示せとなります。 この辺が、民事では、あやふやとなります、藤山判事のような、論を持つ人もいますから。
奈良の例の身柄拘束の事件は、大野と同等に扱われる記事があり、困惑しています。
2010/2/11(木) 午後 11:22 [ おみぞ ]