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◇ 厚労省内でも感染確認直後から、「ものものしい検疫をいつまでも続けるより、早く病院など国内の体制整備に力を向けたい」という声が聞かれるようになっていた。同省健康局長の上田博三(60)は「5月の連休明けにも検疫体制を縮小することも考えた」と振り返る。 しかし、まだ連休中だった5月9日。成田空港の機内検疫で感染者が見つかった。カナダへの短期留学から帰った大阪府寝屋川市の高校の生徒たちだった。 上田は「検疫で見つかることが分かった途端、『もっとやれ』という声がいろいろなところから届き始めた。風向きが急に変わった」と話す。 検疫の強化は、国内で感染者が確認された後も継続されていくことになる。 ◇ 羽田空港検疫所で働く医師、木村もりよ(45)は、厚労省のとってきた政策を正面から批判する。インフル対策で歯にきぬ着せぬ発言をし続け、国会に参考人として呼ばれたこともある現役の厚労省職員だ。 「そもそもインフルエンザの感染を封じ込めるなんて無理な話で、検疫を強化しても仕方ない。季節性インフルでも何千人と死ぬことがあるのだから、腹をくくり、重症化しやすい人への対策に力を入れるべき」。木村はそう主張する。 そして「公衆衛生や医療現場を分かっていない役人が、誤ったメッセージを国民に伝えるからパニックになった。この騒動は『官製パニック』。国民は踊らされた」と一刀両断にする。 世界的にみて、今回のインフルで、これほど検疫強化に努めた地域はない。厚労省の立ち上げた検討会では、その評価も含めた検証が始まるが、昨年の日本社会が官僚も国民も含め、新しいウイルスへの恐怖感で満ちていたといえる。 検疫業務に参加した女性スタッフ(42)が話す。「『大げさだ』と怒られたこともあるが、検疫を受けた人や、多くの国民から『安心した』『頑張って』という声を随分かけてもらったことも事実。少しでも安心な気分になってもらえたなら意味があった、と思う」(敬称略) ◇ 新型インフル、中国製ギョーザを契機とした冷凍食品問題など、日本人の健康や安全に影響が出るような事象が相次いでいる。マスクをしたり、購入をやめたりと、敏感に反応する日本人。その反応に“キブン”的なものはないのか。健康や食の安全をめぐるキブンを考える。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 過去の報道等 第9部 水俣病と報道 行政や政治だけでなく、私たちマスコミにも「未解決の半世紀」に責任があるのではないか 水俣病と報道<1>誤報 打ち消す努力足りず 本紙第一報は「伝染性」 水俣病の公式確認を最初に報じた1956(昭和31)年5月8日付の西日本新聞朝刊の記事。現在から見れば、「伝染性の奇病」は明らかな誤りだった 1956年5月1日。新日本窒素肥料(チッソ)水俣工場付属病院の細川一(はじめ)院長と、医師を乗せた紺のダットサンが水俣保健所に滑り込んだ。 「車中、細川院長は無言でした。玄関で、保健所の伊藤蓮雄所長が到着を待っていました」。当時、付属病院の運転手だった水俣市の坂本良行さん(77)は証言する。細川院長は伊藤所長に、市内の漁村で相次いでいる奇病の発生を報告した。後に、この日が「水俣病の公式確認日」とされる。 一週間後の5月8日。西日本新聞社会面に水俣病公式確認を初めて伝える特ダネ記事が載った。 「水俣市に3年前から小児マヒに似た伝染性の奇病が発生、すでに数名の死亡者や、発狂者を出していることがわかり、水俣保健所からの連絡で、7日熊本県衛生部から技師が急行した(一部省略)」「手足がしびれ、不眠になり食欲がなく、言語が不明瞭(ふめいりよう)で、視力は遠いものは見えるが近いものは見えないという変わった症状」…。 「伝染病」「奇病」として、水俣病報道が始まった。 公式確認前日。坂本さんは付属病院に入院していた水俣病患者を、「避(ひ)病院」と呼ばれた市の伝染病隔離病棟に搬送した。 避病院を出るとき、噴霧器で「髪から滴がしたたり落ちるほどたっぷり」と消毒液をかけられた。その日、患者と家族を乗せて、付属病院と避病院を3、4回往復した。そのたびに、車中も消毒された。「独特の刺激臭が何日も消えなかった。50年たっても、あの臭(にお)いは忘れない」 報道の始まりは静かだったが、差別の方は一気に過熱した。「手渡しでなくかごに入れて釣り銭を渡した」「鼻をつまんで家の前を通り過ぎた」 白い防護服姿の市職員らが患者発生宅を消毒に回ったことで、伝染病への差別観が口コミで広まったようだ。本紙の「伝染性の奇病」報道が直接、差別を招いたわけではなさそうだが、だからといって責任を免れるものではない。 「西日本新聞の責任は、伝染病という報道をしたことではなく、その打ち消し記事を大きく掲載しなかったことではないか」。患者支援活動を続ける水俣病センター相思社の弘津敏男理事(55)は指摘する。 公式確認から半年後。熊本大の研究班は「チッソからの排水が関係した中毒症」という可能性を示唆した。西日本新聞は、研究班の会合結果を「中毒性のものであり伝染の恐れはいくぶん薄らいだ」(56年11月7日、熊本版)「(原因が)伝染病のものかいまのところ不明との発言があった」(同月26日、同版)と報道。歯切れが悪い。57年1月、厚生省(当時)の対策会議後の「水俣の奇病は“毒物説” 厚生省対策会議で有力」の記事は、「原因が細菌やビールス(ウイルス)ではないということはほぼ確実だ」と末尾に書くにとどまった。 「第一報の印象が強いほど、そのミスリードを打ち消すには、それ以上に大きく報じる努力が必要ではないか」。弘津理事の見方は、今日にも通じる新聞の課題である。 本紙を含め、水俣病を「奇病」と表現する新聞記事は、少なくとも58年夏ごろまで続いた。 ■水俣病と報道<4>過熱 使命感だけだったか―連載 「有明海に『第三水俣病』」?。1973年5月22日、全国紙の一面に衝撃的な見出しが躍った。 中略 「あの騒動は何だったのか」。渋田記者は時折考える。社会に警鐘を鳴らす使命感?。だがそれ以上に当時の記者たちを包んでいたのは「書けるものはどんどん書けという異様な興奮状態だった」という。「抜かれ記事は否定するか、新しいネタで抜き返す。結局、私の記事は火消しを望む側に書かされたわけだ」 「研究者と報道。両者に罪がある」。原田教授は、マスコミだけに責任を負わせる言い方はしなかった。しかし次の言葉は、ストレートな批判以上に突き刺さった。 「気の毒だったのは患者さん。肩身の狭い思いをさせ、振り回した。そして、本当にいたはずの被害者を闇に葬ることになってしまった」 =2006/10/15付 西日本新聞朝刊= 恐ろしい“あの時は仕方なかった”という言葉 水俣の悲劇が役立っていないという二重の被害。真摯な反省がないところに深い教訓など生まれようがない。そういう行政の姿は、その後の薬害エイズ、肝炎問題など多い。そういう構造は、誰が本当の水俣病事件の反省をしたのか問われなければならないと思う。それは、企業も同じだと思う。チッソ性善説。チッソだけでなく私たちの社会、行政、マスコミの根っこにあると思う。その、共通の言葉が“あの時は仕方なかった”にあると思う。高度成長期に言われていたのに“日本は、政治は三流だが、経済は一流”とずっと言われてきた。どうも政治も三流だが経済も三流だったのではないかという気が今はする。 行政にしろ企業にしろいろいろなところで、水俣病の教訓は生かされていない気がする。その結果として、政府解決策[資料として『法学セミナー』を示す]が中途半端な解決であった。ここでもきちんと整理されていない。だから、問題として教訓としてきちんと残らない気がする。 中略 言葉の持つ恐ろしさ、活字の持つ重みをひしひしと感じる時間でした。 “あの時は仕方なかった”この言葉の持つ重み。普段何も考えずに使っているのではないだろうか。水俣病事件は、チッソ、国だけが起こした問題ではなく、個人一人一人の問題であることがはっきりしたような気がした。 東ソー株式会社 第2節 今後の問題点 環境三四郎Research Center 第一回報告書 水俣病問題 −保存版− 4−2)第3水俣病事件 十年後の水俣病の実態、現状を明らかにしようとして発足した熊大二次研究班は、1971年8月21 日から、御所浦島、水俣市の住民の一斉検診を行った。そして、対照として天草郡有明町の住民に同じ方法による住民検診が行われた。同じスタッフで、同じ方法と基準でピックアップしたところ、対照地区であったはずの有明地区において、10人(1.1%)が水俣病およびその疑いありとなった。 研究会内部の報告会では、有明の汚染は過去のもので緊急性は低いと考えられることから、公表はせず慎重に継続調査をすすめる方針とされた。しかし、1973年5月22日、『朝日新聞』が一面トップで「有明海に第三水俣病」「天草・有明町で八人の患者」などと派手にスクープしたため、全国に水銀パニックが拡がった。熊本県の魚介類は関西で一時取引き停止をくい、魚価は下がり、売れなくなった。
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とても勉強になる記事でした。
厚生労働省もマスコミも体質はあまり変わっていないようですね。
それらは絶対に変わらないものとして別に監視したり修正したりする体制を作るべきなのか、体質を変えるための何かがあるのか、他国の例など知りたいと思います。
2010/4/5(月) 午後 8:51 [ bloom@花咲く小径 ]
bloom@花咲く小径 さん
水俣の悲劇は、インフルや他の薬害と違い、リスクベンネフイットの問題でなく、規制すべきでした。 1956年11月に、熊本大が出した、中毒疑いの会見で、食品衛生法から、魚介類の販売停止に県が踏み切っていれば、4年間は、暴露を止められました。 現感染研も、現地報告で中毒の疑い見解をだしています、当時の感染研の権力なら、中毒を疑いを通せたともいますが、そこまで強く関与しませんでした。 伝染病という事が多くの心の被害者を出してしまいました。
リスクの少ないモノには、大きな抑制を強いますが、リスクの大ききモノには、抑制は働きません、利害関係が大きく関与してしまいます。 一番弱いモノにそのしわ寄せが行くのは、なんともやり切れません。
メチル水銀暴露には、科学者も長く口をツグンでしまいました。 多くの暗黙の圧力があったといって下りましたし。水俣の科学は定年になるまで、研究ができませんでしたし。 医者もでありました。 いまだに当地では、もやい結びが、解けていませんし。
2010/4/5(月) 午後 10:09 [ おみぞ ]
ちょうど粂先生のブログで水俣病の認定をまだ受けていない患者さんのことが書いてありました。私は問題がまだ続いていることは知りませんでした。
http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-2189.html
水俣病の研究に対する圧力はどのような形だったのでしょうか?
私は基礎系なので、今まで圧力を感じたことが無いのですが、今も同じような問題は残っているのですか?
>リスクの少ないモノには、大きな抑制を強いますが、リスクの大ききモノには、抑制は働きません
リスクの少ないものは、大抵は効果も薄いんじゃないでしょうか。
日本なら学級閉鎖や部活動の自粛など、相手が子供故にコントロールしやすいところが相当しますね。
2010/4/5(月) 午後 11:43 [ bloom@花咲く小径 ]
bloom@花咲く小径 さん
リスク(利害関係も)が少ないから、やりやすいとも言いますし、やれるともですね。効果はリスクに比例せてですから。効果があるものは、それだけ利害関係もあります。
メチル水銀大量暴露は、経済産業省も絡みで、国立大に、研究費等の問題で、あったようです、人事権もでしょう。私が80年代のころは、無かった事になっていました、90年代に入って、聞くことになりました。 宇井純さんや、物理学者は、直接の研究費とのかかわりが少なかったことが、あったようです。
それでも、宇井純さんは、万年助手ですし。
利害と直結している学部は、ですね。
今は、少し違う、金銭目的のリスクを煽る方がでてますが。
2010/4/6(火) 午前 2:05 [ おみぞ ]
下記などは、報道さんは、水俣は危険極まりない場所としておきたいのでしょうか?。疑いたくなります。 問題は生物濃縮であるのに。
水俣病の科学』の科学性について−−宮澤信雄様へのお答え
『水俣病の科学』(西村肇・岡本達明著,初版2001 年,増補版2006 年)に対し,2008 年2月に「水俣病事件研究者」の宮澤信雄様より寄せられた文書へのお答えを掲載いたします。(pdfファイルが4点です。)
解説(pdfファイル,90KB)
http://www.nippyo.co.jp/data/minamatabyo_kaisetsu.pdf
2010/4/6(火) 午前 2:07 [ おみぞ ]
水俣病・返信1(pdfファイル,237KB)
http://www.nippyo.co.jp/data/minamatabyo_henshin1.pdf
水俣病・返信2(pdfファイルル,201KB)
http://www.nippyo.co.jp/data/minamatabyo_henshin2.pdf
日本海洋学会報告(pdfファイルル,122KB)
http://www.nippyo.co.jp/data/minamatabyo_nihonkaiyougakkaihoukoku.pdf
いまだに、水俣湾は危険だと思っている方がいて、困っているいると、地元の方がおしゃられておりました。
2010/4/6(火) 午前 2:07 [ おみぞ ]
水俣のチッソは、7年間も放置していたダイオキシン汚染土壌や底質について、おおさかATCグリーンエコプラザ 水・土壌汚染研究部会が、水俣へ見学ツアーに行く直前に無害することを発表しましたね。
次は底に溜まっていたり、埋立地の土に含まれている水銀の無害化が必要ですね。
いつまでも土壌汚染を放っておくと企業の立場が悪くなるばかりですね。
時代は環境の世紀、国土のクリーンアップによるグリーンニューディールです。水俣における環境と経済の好循環が実現して欲しいと思います。また、エコツーリズムも大切ですね
2010/5/23(日) 午後 7:52 [ 小鳥が丘団地救済協議会 ]
水銀は、有機水銀と無機水銀の違いがありますが、鉱山よりの問題以外は、海水魚類でも有機水銀にへんかしますから、生物濃縮での摂取は避けられません。ダイオキシンについても、本当に厄介なのはコプラーナPCBでしょう、人は排せつ能力を持ちますので、持続的に、LD50近くを摂取し続けると、問題がでますが、ADIでしたらということですが、コプラーナPCBの場合、慢性毒性とされていますが、他のダイオキシン類にくらべ、排せつされる割合が少ないにでは、ないかと思っていますが。 魚をたべれば、この辺の摂取は仕方ないことです。ダイオキシン類にしろメチル水銀にしろ、ある程度は摂取してしまいますから。 ただ。チッソ、昭和電工は、排出量が膨大ですから、自然界から排出される量とは、違います、 この補償は、日本が経済成長をすることの過程での全国民の利益のリスクを得たのですから。税金で補償をしてもなんら問題はないはずです。
2010/5/23(日) 午後 8:57 [ おみぞ ]
私は、エコツーリズムは、持続させてい自然環境を商業的に持続させるためのシステムと思っています。難しいのは、人を入れすぎると、商業的価値を失うことです。 このサジ加減がエコツーリズムの問題ですが。
屋久島の様に、人を入れすぎると、雇用とではいいのですが、商品である自然が劣化するので、商品価値が下がる、ジレンマがあることです。 永遠のもんだいでしょう、顧客単価を上げて、アクセス制限と。
2010/5/23(日) 午後 8:57 [ おみぞ ]