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茶の湯日記
一日は短い…。

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日本の茶の湯全史・第三巻 近代 概説:近代の茶の湯 五「近代家元制度の意義」熊倉功夫(2013年7月1日)P15

 財閥形成を軸とする近代資本主義のダイナミックな発展とともに展開した近代数寄者の茶の湯は、昭和10年代に入ると戦時国家体制の中にそのにない手が取りこまれ、次第に活力を失っていった。それに拍車をかけたのは、数寄者の茶の湯をリードしてきた中心人物の相次ぐ死去であった。昭和八年に馬越化生(恭平)、村山玄庵(龍平)が没し、その前年には団狸山(琢磨)が凶弾に倒れている。一二年に高橋箒庵(義雄)、一三年に益田鈍脳、一四年に原三渓(富太郎)、一五年に根津青山(嘉一郎)、(中略)が没し、明治・大正・昭和と一世を風靡した近代数寄者の茶も、茶の湯の表舞台から少しずつ後方へ退きはじめていた。こうした近代数寄者の茶に最終的に痛打を与えたのは、税制の変化であった。
 近代数寄者の茶にかわって茶の湯の新しい主役は茶の湯の家元と、それに率いられる大衆的な茶道人たちであった。
 家元制度が近世に成立したことは第二巻で触れたところであるが、明治維新によって打撃を受け家元は経済的に厳しい状況に置かれ、その復興には相当の日時を要した。しかるに復興した家元は、決してその以前の家元とは同じではなかった。いわば近世家元制は明治維新とともに衰退し、新たに近代家元制が誕生したと考えられよう。その一番大きな違いは、近世家元制の経済的な基盤が大名や大寺院などの扶持にあったのに対し、近代家元制は特定のパトロネージを受けず、大量の茶人による大衆的支持によっている点である。
 家元制は、家元を成立させる条件、家元の権限、家元制の構造と機能などから考えなければならない。成立条件は近代化の中でより明確になったように、それが「型」の文化であることが要件である。しかし、舞台芸能や武芸など、技能優劣が比較的明確なジャンルもあれば、茶の湯のように比較的柔らかな「型」の文化もある。「型」についてここで深く論じることはできないが、そもそも「型」の文化には二面性があって、厳密性を求める側面と。「型」から入ることによって容易に本質に近づき易いという易行性の側面がある。易行性は大衆の支持を受けるために必要な側面で、近代の家元制が巨大化する要因の一つはそこにあったといえよう。
 明治末には活字メディアを茶の湯教育に取り入れ、学校教育の中に一定の地位を獲得することで、家元の茶は次第に進展しつつあったが、本格的に昭和期に入って、先のアカデミズムの応援と、日本文化回帰の思潮の中で、女性の作法、しつけとしての茶の湯が普及するとともに拡大していった。昭和一五年は利休三五〇年遠忌の年にあたり、京都大徳寺を中心に大々的な遠忌法要と茶会が開かれた。その記録によると法要と茶会、茶道具展観に訪れた三千家の門人は三日間で五〇〇〇人を越えたという。
 近代家元が前代未聞の巨大な組織となるのは一九六〇年代以降の高度経済成長期であるが、その萌芽はすでに昭和一〇年代中期にあった。その歩みは、実は近代国家の推移と同形であったように思える。
 家元に入門するとほとんどの弟子は一生、その流儀に属し、年功によって流儀内部の順位は高くなり、それなりの特典がある。また、弟子たちは切磋琢磨して組織のために奉仕し互いにコンセンサスを求めながらその充実をはかることになる。こうした組織の性格と機能は、いわゆる日本型経営といわれる年功序列性、終身雇用制、稟議制といった特徴と驚くほど似ており、まさに日本が驚異的な高度経済成長を遂げ得た原動力と共通する構造を近代家元制はもっていたのではないか。
 「四〇年体制論」という概念が示唆するように、いわゆる日本型経営方式や日本株式会社といわれた官民一体の経済運営の方式が、戦時体制を完成する一九四〇年、すなわち昭和一五年より始まり、一九九〇年代まで続いたことが経済学者より指摘されている。日本型経営方式の中には、近代以前に由来する部分も少なくないが、全体としては、近代日本が生んだ最も効率の良い、能力の有無にかかわらず全体が豊かになる右肩上がりの時代にふさわしい組織であった。まさに家元制度が近世的要素を深く残しながら、近代日本にふさわしい新しい組織となったのと同じであった。
 戦後の経済成長は、女性を家事から解放し経済的余裕をもたらした。その余暇の時間と余裕が趣味世界に向けられた時、茶の湯は生け花や洋裁と並んで、最も魅力的な女性の嗜みとなった。また、増加する弟子層を相手に自活できる茶の湯の先生が大量に生まれた。そのほとんどが女性であった。こうして茶の湯への女性参加が急速に進み、今や茶の湯人口のほとんどを女性が占めるという状態になっている。
 家元に入門した女性たちにとって、家元は精神的象徴であり、茶の湯は自ら見つけた生きがいである。誰から強制されるわけでもなく、自発的に茶の湯に生き、忠誠を尽くすことができた。ちょうど高度経済成長期サラリーマンが企業戦士と自認し、会社に忠誠を尽くした構造と、これも又よく似ている。その結果、日本企業が世界にはばたいたように茶の湯も国民文化として日本文化を代表し世界にその美と精神を輝かすことが出来たのである。





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