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茶の湯日記
一日は短い…。

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日本の茶の湯全史・第三巻 近代 概説:近代の茶の湯 六「これからの茶の湯」熊倉功夫(2013年7月1日)P19

 経済における「四〇年体制」論の結論は、政治における「五五年体制」の崩壊が示すように、バブル崩壊とともに終結したとしている。
 日本の精神構造を論じた議論の中に「中空構造」という概念が示されたことがある。日本では権威、権力の中央の部分がしばしば空の存在で実体があいまいである、という。天皇制にしても天皇自身が親裁することは中世以来ほとんどないわけで、存在としては空であるが、権力をめぐって対立する勢力も、空の存在によって決定的な対立が避けられ、外部に向かって強固な組織となる。会社における会長職も同様で、むしろ自ら裁断を下さないことで組織の活力を保つことが出来るという。ある意味で家元制度もあくまで精神的象徴で中空的存在であるともいえよう。しかし「中空構造」の論者が指摘しているのは、一九九〇年以降、中空構造は破綻し強力なリーダーシップと個性が求められるという予測である。
 二〇一三年の現時点で、果たして「四〇年体制」も「中空構造」も破綻しているのか判断はむずかしい。もしこのふたつの日本のあり方が破綻しているとしたら、家元制も遠からず破綻することになろう。今後の予測は本講座の目的ではないが、当面のところ家元制は破綻することなく、茶の湯の輝きは将来、決して失われないであろう。しかし確実に変化は急速に進んでいる。
 その第一は情報化の流れである。戦後、テレビの普及の中で映像による新しい茶の湯教授法が活字メディアに加わった。今、さらにインターネットによる茶の湯世界への侵食が進んでいる。個々の直接な人間関係は希薄となり、全体の調和を求めるより経済的効率が優先する。社会を構成する要素は個別化し、物も人も古今東西、老若男女の差別が消えてフラットな存在となるだろう。そうした人間観、物質観と正反対にある茶の湯は、どこまで情報化に耐えられるか。
 第二は日本人の生活様式の変化である。住宅は急速に西欧化し、畳の部屋も、まして床の間など持たない住宅が大半となっている。炭が使えない場所が増え、自宅で茶事ができる茶人は稀有な存在となっている。こうした変化にいかに対応するか。一八世紀の茶の湯人口の増加に対して七事式が考案されたように、茶の湯の衰退に直面して立礼式が考案されたような大胆な工夫が、この生活様式の変化に応じていずれ求められる日が来るであろう。その新しい工夫のヒントは茶の湯六〇〇年の歴史の中に必ずや隠されているであろう。今こそ、茶の湯の歴史が学び直される時代がきているのである。





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