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私の年代に生まれた多くの人達は、ちょうど中学の頃、ブルースリーブームの洗礼をリアルタイムで受けているはずだ。よく、このブームを「空手ブーム」とか「カンフーブーム」とか、ちょっと詳しい人なら「クンフー(巧夫)ブーム」とか呼ぶ人もいるだろうが、少なくとも、この当時、ブルースリーをきっかけにしたブームは、「ブルースリーブーム」であって、これが深化して、「ブルースリーが使う格闘技は、空手ではなくクンフーの技だ」というオタッキーな情報を基に、いつしか「カンフーブーム」と呼ばれるようにもなったと私は思っている。
この映画と遭遇したのは、確か、1973年の12月ごろだったと記憶している。映画名は「燃えよドラゴン」であり、よく、テレビでこの映画のCMが流れていて、興味を持ったので観にいったのであった。但し、正直に言うと、上半身が裸のアンチャンが、黒タイツをはいてヌンチャクを振り回しているシーンと、おそらくお色気シーンも少しCMで流れていて、中学の思春期の時期なので、まさか空手の映画というよりは、今の時代であれば、「R指定のちょっとHな映画」だと思って観にいったのが正直な動機だ。このCMのナレーターは、記憶に間違いがなければ、ドクタースランプの則巻せんべい博士の声をやっていた内海賢二氏のはずである。近年、DVDで「燃えよドラゴン」がリリースされているが、特典映像に予告編が収録されていたので、期待したが、アメリカで上映された予告編であり、日本版ではなかったのが残念だ(日本版ならば、あの「せんべいさん」の声で、迫力ある画面が楽しめたはずだ)。
さて、そういうことで色っぽい映画だと思っていったところ、全く、「いい意味」で期待はずれの、超ド級の空手アクション映画で、内容はあまりにも有名なので記述しないが、それまでの映画には全くない、生身の人間の超人的な肉体、空手アクションの連続で圧倒されて見終わったのであった。よく、高倉健のヤクザ映画を観た人は、映画館を出るとき、健サンになりきって肩で風を切って出口からでていくなどと表現されるが、ブルースリー映画を観終わると、同様に、なにか敵にかこまれている中をすりぬけていくかのような身軽さで、スリ足しながらササーッと歩っていきたくなるような衝動にかられたものだ。
そんなことで感動の余韻さめやらぬ感じで、翌日の月曜には学校に行くわけだが、「オメ、燃えよドラゴン、観だが?(仙台弁なので、濁音化する)オラ、昨日、観だど!」と級友に自慢するのだが、そこで、なんともショックな話を聞いてしまうのであった。それは、ブルースリーは、もう死んでおり、この世の人ではないというものだった。にわかには信じ難い話であるが、何人かの友達が口を揃えていうので、信じざるを得なかった。「なんで、死んだのや?(仙台弁では、疑問文の語尾に「や」を付けることがある)」「わがんね」といった、いまであれば、すぐにネットで調べれば即座に判明するような事でも、クラス中のナゾとなり、話は盛り上がったのだ(そういう意味では、こんなネタでクラスが盛り上がるのだから、ネットなんかなかった方が、楽しかったのかもしれないが)。
いまでも、ブルースリーの死の真相は判ったのかどうかは私には情報不足でなんともいえないが、当時は、愛人のベティティンペイのマンションのベッドで腹上死したというのが定説であったが、その後、さまざまな検証映画等で、腹上死は否定されたはずだ(但し、ベティティンペイの部屋で死んだことは確か)。ブルースリーはアメリカ在住時にリンダ夫人と結婚しているが、やはり、浮気相手として同じ中国系のベティティンペイという香港女優を愛人にしたのだろうか?この女優、確かに美人で色っぽいが、後に、あの「ミスターブー(Mr.BOO)」に出演し、マイケルホイとコミカルなベッドシーンを演じていたが、これだけ観ると、「なんでブルースリーはこの女優を愛人にしたのかなぁ??」と思いたくなるようなキャラクターだったことを覚えている。
さて、そういうことで、日本では、ブルースリーが死亡してから約半年後にブームが到来したわけだが、そのブームは尋常ではなかったと記憶している。まず、いまで言う「ムック本」の洪水のような出版であった。そして、翌春に第2弾として「ドラゴン危機一発」が上映された。この映画は、リーの主演作品としては、本当は第1作で、その後、「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」の3作が大ヒットし、ハリウッドに認められてワーナーブラザーズが「燃えよドラゴン」をリリースしたという流れだが、日本では、「燃えよドラゴン」でリーが評価されて、彼が主演した過去の作品が第1作から次々と上映されたという、日本にとっては、ちょっと情けないリリースの仕方であった。こうなった理由は、当時購入したムック本には、元々、香港の映画会社(ゴールデンハーベスト社)が、第1作の「ドラゴン危機一発」の売り込みに日本に営業に来たが、当時の映画会社はハナから香港映画をバカにしていて、全然とりあうつもりもなく、見過ごしていたが、「燃えよドラゴン」のヒットで、あわてて、「東宝東和」が「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」を、また東映が「ドラゴンへの道」の配給権をゴールデンハーベスト社から購入したという話を読んだことがある。
また、近年、キングレコードからリリースされた「片腕ドラゴン(ジミー・ウォング主演)」のDVDのオーディオコメンタリー音声では、正に、当時の「東宝東和」の営業マンが裏話をいかんなくオープンにしてくれていて、上記のエピソードをもっと詳しく裏話として紹介してくれている。これによれば、「燃えよドラゴン」が日本でヒットした1973年12月、東和は、その夏に売り込みにきていた「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」の2本を思い出し、社長命令で「すぐに、買い付けて来い!」との厳命の下、香港に買い付けに言ったが、足元を見られ、びっくりするような値段を提示され、かつ、ブルースリーとは別に、ジミー・ウォングの「片腕ドラゴン」も抱き合わせで売りつけられたとの貴重なエピソードに触れることができた!結果的には、「燃えよドラゴン」1本のみで当時の空手映画ファンは欲求不満状態であったために、「片腕ドラゴン」も大ヒットし、「東宝東和」としては、ブルースリー映画をプレミア価格で買わされたものの、十分にいい商売ができたとのこと。但し、この際に、ブルースリーの主演3作目の「ドラゴンへの道」の買い付け予約もしていたにもかかわらず、東映が札束攻勢を香港ゴールデンハーベスト社に行い、ちゃっかり東映に配給権を売り渡してしまったという事件が勃発。このため、「東宝東和」の社長が大激怒し、ゴールデンハーベスト社をとっちめに行き、その際に、未完の「死亡遊戯」を完成させた暁には、東和に配給権を譲渡する約束と引き換えに、矛をおさめたなんて、生々しい話も聞けるゾ!(そういうことで、当時の雑誌には、実は、最初のうちは、ブルースリーの主演3作目の「The way of the dragon(英題名)」は東宝東和配給予定だったころの日本公開版題名は「ドラゴン電光石火」であったのだが、東映が配給権を横取りしてから、「ドラゴンへの道」に公開題名が変わったとの解説あり)
ブルースリーについては、まだまだ、当時の記憶で、書き記したいことがあるので、次回(その2)をご期待あれ。
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