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 私の年代に生まれた多くの人達は、ちょうど中学の頃、ブルースリーブームの洗礼をリアルタイムで受けているはずだ。よく、このブームを「空手ブーム」とか「カンフーブーム」とか、ちょっと詳しい人なら「クンフー(巧夫)ブーム」とか呼ぶ人もいるだろうが、少なくとも、この当時、ブルースリーをきっかけにしたブームは、「ブルースリーブーム」であって、これが深化して、「ブルースリーが使う格闘技は、空手ではなくクンフーの技だ」というオタッキーな情報を基に、いつしか「カンフーブーム」と呼ばれるようにもなったと私は思っている。

 この映画と遭遇したのは、確か、1973年の12月ごろだったと記憶している。映画名は「燃えよドラゴン」であり、よく、テレビでこの映画のCMが流れていて、興味を持ったので観にいったのであった。但し、正直に言うと、上半身が裸のアンチャンが、黒タイツをはいてヌンチャクを振り回しているシーンと、おそらくお色気シーンも少しCMで流れていて、中学の思春期の時期なので、まさか空手の映画というよりは、今の時代であれば、「R指定のちょっとHな映画」だと思って観にいったのが正直な動機だ。このCMのナレーターは、記憶に間違いがなければ、ドクタースランプの則巻せんべい博士の声をやっていた内海賢二氏のはずである。近年、DVDで「燃えよドラゴン」がリリースされているが、特典映像に予告編が収録されていたので、期待したが、アメリカで上映された予告編であり、日本版ではなかったのが残念だ(日本版ならば、あの「せんべいさん」の声で、迫力ある画面が楽しめたはずだ)。

 さて、そういうことで色っぽい映画だと思っていったところ、全く、「いい意味」で期待はずれの、超ド級の空手アクション映画で、内容はあまりにも有名なので記述しないが、それまでの映画には全くない、生身の人間の超人的な肉体、空手アクションの連続で圧倒されて見終わったのであった。よく、高倉健のヤクザ映画を観た人は、映画館を出るとき、健サンになりきって肩で風を切って出口からでていくなどと表現されるが、ブルースリー映画を観終わると、同様に、なにか敵にかこまれている中をすりぬけていくかのような身軽さで、スリ足しながらササーッと歩っていきたくなるような衝動にかられたものだ。

 そんなことで感動の余韻さめやらぬ感じで、翌日の月曜には学校に行くわけだが、「オメ、燃えよドラゴン、観だが?(仙台弁なので、濁音化する)オラ、昨日、観だど!」と級友に自慢するのだが、そこで、なんともショックな話を聞いてしまうのであった。それは、ブルースリーは、もう死んでおり、この世の人ではないというものだった。にわかには信じ難い話であるが、何人かの友達が口を揃えていうので、信じざるを得なかった。「なんで、死んだのや?(仙台弁では、疑問文の語尾に「や」を付けることがある)」「わがんね」といった、いまであれば、すぐにネットで調べれば即座に判明するような事でも、クラス中のナゾとなり、話は盛り上がったのだ(そういう意味では、こんなネタでクラスが盛り上がるのだから、ネットなんかなかった方が、楽しかったのかもしれないが)。

 いまでも、ブルースリーの死の真相は判ったのかどうかは私には情報不足でなんともいえないが、当時は、愛人のベティティンペイのマンションのベッドで腹上死したというのが定説であったが、その後、さまざまな検証映画等で、腹上死は否定されたはずだ(但し、ベティティンペイの部屋で死んだことは確か)。ブルースリーはアメリカ在住時にリンダ夫人と結婚しているが、やはり、浮気相手として同じ中国系のベティティンペイという香港女優を愛人にしたのだろうか?この女優、確かに美人で色っぽいが、後に、あの「ミスターブー(Mr.BOO)」に出演し、マイケルホイとコミカルなベッドシーンを演じていたが、これだけ観ると、「なんでブルースリーはこの女優を愛人にしたのかなぁ??」と思いたくなるようなキャラクターだったことを覚えている。

 さて、そういうことで、日本では、ブルースリーが死亡してから約半年後にブームが到来したわけだが、そのブームは尋常ではなかったと記憶している。まず、いまで言う「ムック本」の洪水のような出版であった。そして、翌春に第2弾として「ドラゴン危機一発」が上映された。この映画は、リーの主演作品としては、本当は第1作で、その後、「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」の3作が大ヒットし、ハリウッドに認められてワーナーブラザーズが「燃えよドラゴン」をリリースしたという流れだが、日本では、「燃えよドラゴン」でリーが評価されて、彼が主演した過去の作品が第1作から次々と上映されたという、日本にとっては、ちょっと情けないリリースの仕方であった。こうなった理由は、当時購入したムック本には、元々、香港の映画会社(ゴールデンハーベスト社)が、第1作の「ドラゴン危機一発」の売り込みに日本に営業に来たが、当時の映画会社はハナから香港映画をバカにしていて、全然とりあうつもりもなく、見過ごしていたが、「燃えよドラゴン」のヒットで、あわてて、「東宝東和」が「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」を、また東映が「ドラゴンへの道」の配給権をゴールデンハーベスト社から購入したという話を読んだことがある。

 また、近年、キングレコードからリリースされた「片腕ドラゴン(ジミー・ウォング主演)」のDVDのオーディオコメンタリー音声では、正に、当時の「東宝東和」の営業マンが裏話をいかんなくオープンにしてくれていて、上記のエピソードをもっと詳しく裏話として紹介してくれている。これによれば、「燃えよドラゴン」が日本でヒットした1973年12月、東和は、その夏に売り込みにきていた「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」の2本を思い出し、社長命令で「すぐに、買い付けて来い!」との厳命の下、香港に買い付けに言ったが、足元を見られ、びっくりするような値段を提示され、かつ、ブルースリーとは別に、ジミー・ウォングの「片腕ドラゴン」も抱き合わせで売りつけられたとの貴重なエピソードに触れることができた!結果的には、「燃えよドラゴン」1本のみで当時の空手映画ファンは欲求不満状態であったために、「片腕ドラゴン」も大ヒットし、「東宝東和」としては、ブルースリー映画をプレミア価格で買わされたものの、十分にいい商売ができたとのこと。但し、この際に、ブルースリーの主演3作目の「ドラゴンへの道」の買い付け予約もしていたにもかかわらず、東映が札束攻勢を香港ゴールデンハーベスト社に行い、ちゃっかり東映に配給権を売り渡してしまったという事件が勃発。このため、「東宝東和」の社長が大激怒し、ゴールデンハーベスト社をとっちめに行き、その際に、未完の「死亡遊戯」を完成させた暁には、東和に配給権を譲渡する約束と引き換えに、矛をおさめたなんて、生々しい話も聞けるゾ!(そういうことで、当時の雑誌には、実は、最初のうちは、ブルースリーの主演3作目の「The way of the dragon(英題名)」は東宝東和配給予定だったころの日本公開版題名は「ドラゴン電光石火」であったのだが、東映が配給権を横取りしてから、「ドラゴンへの道」に公開題名が変わったとの解説あり)

 ブルースリーについては、まだまだ、当時の記憶で、書き記したいことがあるので、次回(その2)をご期待あれ。

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 今回は、当時の子供達に絶大な人気だった「ウルトラQ」についての思い出を書こう。

 ウルトラQは1966年からTBS系で放送された元祖ウルトラシリーズだが、私は、1959年生まれなので、この時7歳だったはずだ。7歳といえば小学1年生であるが、7歳の記憶では、さまざまなことは、それほど鮮明ではなく、「ウルトラQ」についても、「大好きで、ガラモンとかカネゴンとか、よく見たもんだ」と思い込み的な記憶はあるが、厳密に、自分がそういった怪獣達をテレビで観ている自分の姿が記憶としてなかなか頭に蘇ってこないことも正直なところだ(当然、再放送ではなく、リアルタイムで)。

 そういう状況でも、ウルトラQに関して鮮明に思い出せる思い出がある。それは、マルサンの怪獣プラモデルのことである。私の家は、自分が小学1年生の3学期まで商店を営んでいた。商店といっても個人商店であるから、小さなものだったが、お菓子とか雑貨とかを主に売っていた。しかし、こういったものは売れても利益がそれほどあるものではなく、経済的には厳しかったようであるが、プラモデルの時代に入り、ウチでも店の一角にプラモデルを置いてみたようだ。当時の怪獣ブームが追い風になり、本業の雑貨を凌駕するように飛ぶように売れたと父から聞いたことがある。従って、店の一角を占めるマルサンのプラモデルが山積みされた光景は、いまでも鮮明に記憶に残っている(当時は、マルサンの怪獣シリーズと、イマイのサンダーバードシリーズが圧倒的に売れていたようだ)。また、問屋さんが「ウルトラマン」とか「カネゴン」とか「ジャイアントゴリラ」などの、ちょっと高級志向のプラモを営業で父に売り込んでいる姿も、漠然とながら記憶に残っている(通常のゴジラやバラゴンやガラモン等々、廉価版のプラモはだいたい500円以下ぐらいだったはずだが、ウルトラマンとかは特別に1000円近くか、若干超えるぐらいの値段設定だったような記憶がある)。

 そういった中、やはり、「スーパーマーケット」というものも世の中に普及し始めた時期で、ウチの店の近くにも、このスーパーマーケットというのがオープンし、我が家の売り上げは激減し、店をたたまざるを得なくなり、私が小学1年生一杯で閉店となったのである。この閉店に際して、閉店の1ヶ月ぐらい前であっただろうか、父が、「閉店になれば、売れ残ったプラモデルは問屋さんに引き取ってもらうけど、怪獣のプラモは、最後に、どれかひとつあげるよ」と私に期待させることを言ったのであった。よく覚えていないが、その時点でゴジラやバラゴンもあったはずだが、その中にウルトラQの「ゴロー」のプラモデルもあったのだ。店は、今で言う、「閉店セール」的に、プラモの1割引か2割引ぐらいのセール価格で売り払ったため、プラモがどんどん減っていき、私も大変不安になったわけだ。そんな私に、父は、「ゴローは、最初からずーっと売れ残っているから、安くしても誰も買わないから安心しな」みたいなことで慰められた。しかし、非情なもので、最後の最後に、「ゴロー」までもが売れてしまい、結局、怪獣プラモは手に入らなかったのであった。

 こうした思い出があるので、「ゴロー」に関しては、変に強い思い入れがいまでもあるのだ(笑)。確かに、当時のガキ達にとって、あの「ゴロー」はチョー魅力の無い怪獣だったのだろう(単なる、デカいサルでしかないので)。しかし、昨今のマルサン怪獣プラモの目の玉が飛び出るような骨董価格(写真参照:「宇宙船」別冊より。相場は、これでも安目かも)を見ると、あのとき、ウチの店に山積みされていたマルサン怪獣プラモは、そのまま今も持っておけば、全部で1000万をはるかに超えるトンデモないことになっていたんだろうと思うとはなはだ残念である。当然、大箱のプラモだけでなく、50円や100円のミニサイズの怪獣プラモが置いてあったこともよく覚えている。

 ちなみに、ゴローはもらえなかったが、私の誕生日かクリスマスのプレゼントかなにかで、「ガラモン」のプラモデルは父からもらった。いまでも、残存している前面パーツ、腕パーツは、思い出の品として、自室の引き出しに入れてある(写真参照)。

 尚、実家の店の閉店後の後日談であるが、父は、店にプラモを置いていた際に、例えば、「ガラモン 入荷しました」みたいなPOP文字を紙に書いて貼り出しているのを母が見て、「こういう仕事、いいじゃないの?」みたいなやりとりを経て、看板屋になって、ある意味、成功したといって良いであろう(元々、父方は、芸大を卒業した兄もいるようで、そういった美術的なセンスがある家系のようである)。

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お盆休みで、サボっていました。今回は力作です!!
コント55号が、ヒーローかどうかは、紆余曲折ありますが・・・・。

「コント55号の野球ケン!!(ホントは、このようにダブルアポストロフィが付くが、この表記は以下は省略)」って番組、大好きだったなぁ。1990年代の一時期、この番組のリメイク版的位置づけで、ダウンタウンの野球ケンが同じ日テレで不定期に放送されたが、元祖の迫力を知るものにとっては、比較の対象には成り得ない。まあ、今の人だと、そもそも「野球ケン(野球拳)」自体、知らない人が多いかも。逆に、古い人でも、この「コント55号の野球ケン」を知らない人は、お座敷での芸者遊びの「♪やぁきゅう、すぅうるなら、こうゆう具合にしやしゃんせぇ。アウト、セーフ、ヨヨイノヨイ♪」を連想する方も多いかも。でも、この「コント55号の野球ケン(以下、野球ケン)」は、似て非なるもの。

 解説しよう。欽ちゃん、ジロさん(本当は二郎さん)のコント55号が、毎回、ゲストに迎えた女優や女性歌手と野球拳をやり、ジャンケンで負けた方が、1枚1枚、着衣を脱いでいく(ここまでは、普通の野球拳のやりかた)というものだが、「野球ケン」は、ここからがスゴイ!この脱いだ着衣を1枚1枚、「せり(いわゆるオークション!)」にかけて、会場の観客に売っていくんだから・・・・(後述するが、細かいことはさておき、これが放送されていたのは、昭和44年4月からで、NHK大河ドラマにぶつけて始まった毎週日曜夜8時からの「コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ!」の後半のコーナーで、その後、PTAから「低俗番組」「俗悪番組」の投書があいつぎ、昭和44年11月からは「・・・・ぶっ飛ばせ!」から30分番組として独立させて「コント55号の野球ケン!!」で毎週水曜夜9時から正味5ヶ月間放送されていた:本データは、wikipediaによる)。番組は、毎回、欽ちゃんかジロさんのいずれかが女性と野球拳をやるのだが(wikipediaによれば、最初はジロさんが毎回対戦していたが、途中からジロさんの裸を見せられるのに苦情が殺到し、毎回、欽ちゃんと交替で女性と対戦したらしい)、やっぱり、お目当てはその女性歌手であったり女優であったり、彼女らが、会場で惜しげもなく、1枚1枚、着衣を脱いでいくところが注目、かつ、特筆すべき点であろう。というか、いまのテレビ番組では、あの時間帯(最初は、日曜夜8時代)では有り得ない設定なような気がする。というのも、単に「テレビカメラの前、会場の観客といった衆目の面前で裸になっていく」というだけでなく、当時、コント55号と言えば、老若男女、すなわち子供から爺ちゃん婆ちゃんまで、大人気を博している大人気コメディアンであるから、会場には小学生ぐらいのガキがいっぱい観覧しにきていて、歓声をあげ、大喜びしている様が画面一杯に映し出される点、凄すぎる!その証拠に、アップした写真には、大喜びしているガキ(写真3)や、学帽で学校帰りかと思わせるような、中学生のあんチャン達がバックに映ってますぜ(写真2)。

 この番組、要するに、子供(それも親子連れで)がナマでストリップショーを観ているというシチュエーション以外のなにものでもないからだ。この番組へのコント55号の関与に関する背景や裏話は、wikipediaを参照願いたい(このブログは、あくまでも懐かし話を私個人の記憶に基づいて紹介するのが目的であり、自分も知らぬようなトリビアネタを紹介するといった主旨のブログではないため、データ等以外にはコピペは原則しません)。
私の記憶によると、間違っているかもしれないし、全部の放送を見たわけではないが、「小○○キ」という若い女優が、パンティーまで脱いで売っていた記憶がある。おっと、大事なことを言い忘れたが、まさか、ホントにストリップショーの如く、そのままパンツまで脱いでいくのではなく、ブラジャーから先は、ホームサウナのような着替え用ボックスに入って、バスタオルをまとって脱いでいく手順を経る。そして、ブラジャーを売って、もう売るものがパンツしかなくなって、一世一代のジャンケンにかける(これが、また、笑わせるのだ。女性は、当然負けたくないから必死に祈って、そしてわめく。一方、欽ちゃんたちは、会場の観客の「絶対、勝て!負けるな!」という声援とプレッシャーを一身に受けて、運命のジャンケンをするのである。それで、欽ちゃんたちが勝とうものなら、凄いことになるわけである(あとは、読者諸兄の想像にお任せしよう)。

 ところで、この「野球ケン」について、残念な感想がある。というのは、まともな映像素材が日テレに全然残っていないのではないかという点である。というのは、よくこの手の昔の番組を「マル秘 あの場面」とか言ったバラエティで紹介するにはするが、トラッキングノイズのようなひどい映像ばかりがことあるごとに流れるので、たぶん残っていないんだろうなぁと推察されるわけである。余談だが、あの日曜夕方の人気番組「笑点」のオープニング曲についても、昔はあの有名な曲にちゃんと歌詞がついていたのだが、そのビデオテープどころか、音源すら現存していないようで、現在、日テレは、当時、放送から音声を録音していた人から、広く音源を募集している(「笑点」のDVDのブックレットに書いている)のだ。私は、子供ながらに歌詞の一部は覚えているが、冒頭の、確か「♪ゲラゲラ笑って観るテレビ♪」と、最後の「♪笑点〜だぁよ♪」だけは耳に残っている。まあ、要は、あの当時の公開録画の素材の管理がテレビ局で、イマイチ、ちゃんとやってないということであろう。極めて、残念なことである。

 さて、話を「野球ケン」に戻して、この番組に関する私のガキの頃の懐かしい思い出を1つ。私は、宮城県仙台出身であり、放送当時は小学校4年生だったわけだが、当時は仙台には民放テレビが2局しかなく、その2局は「TBS系」と「フジテレビ系」であり、「日本テレビ系」の番組は原則的に人気番組が、東京ネットとは別の時間帯(主に夕方や深夜の空き時間帯)に限定的に放送されることが常であった。「・・・・ぶっ飛ばせ!」は偶然にも日曜8時からリアルタイムでやっていたが、野球拳が単独放送となった「コント55号の野球ケン!!」は、東京地区(毎週水曜夜9時)とは1週間遅れの毎週土曜の深夜11時45分からの放送となってしまい、当時の小学生のガキにとっては大晦日ぐらいにしか許されない夜更かしを毎週しなければならず(今のガキなら、軽く起きている時間帯だろうが・・・)、当然、睡魔との闘いになり、ついつい寝てしまって見逃してしまうということが多々あった。そこで、親に、「11時45分に起こしてネ!」とバックアップ手順も準備したのだが、やはり、何度も見逃して悔しい思いをしたことが、今は懐かしい。ちなみに、ウチの親も親で、私が見逃してしまった日曜の朝に、「昨日は、どこまで脱いでいた?」と父親に聞くと(要するに、父親も、この番組のファンだったわけだが・・・・)、「昨日は、下着も全部脱いで、それでも負け続けたので、皮も脱いで骨だけになったヨ!」と言われ、今のガキと違って純情、単純だったので、それを真に受けて、骨だけになった状況を頭で想像したものだった(笑)。

 鉄人28号のエンディングといえば、「正太郎マーチ」である。この曲は、よく「元気が出る曲だ」というコメントを見るが、確かに、元気の出るテンポの良い曲だ。しかし、私は、別の意味でこの曲が好きだし、敬意をはらっている。その理由は、「鉄人28号」などというガキのアニメ番組にもかかわらず、おそらくフルオーケストラで演奏されているであろう根性の入れ方にホレきっている。特に、弦楽器の音色が活躍するところはシビレる。この曲は、第1コーラス部分と第2コーラス部分が同じっぽくて、演奏している楽器が異なり、また、曲の真ん中で約30秒の間奏が流れ、再び第1・第2コーラスが流れて終曲となる。

 この曲は、第7話か8話ぐらいからからインストとして先週のあらすじ、来週の予告編の部分で流れたが、第26話ぐらい(ぐらいと書いているのは、自信は無いため)で、このインストに歌詞を付けた「進め正太郎」という歌が、エンディングで紹介された。この「進め正太郎」は大量に市場に出回った鉄人のソノシートに収録されているので鉄人ファンにとっては、長年にわたり保持可能な音源アイテムであったが、「正太郎マーチ」の方は、当時、「進め正太郎」が初収録された鉄人のストーリー入りソノシート(銀行ギャング粉砕の巻)が発売されるまでのわずかな間しか販売されていなかったため、逆にファンにとっては長年にわたって垂涎の音源アイテムであった。しかし、1990年代前半に、東芝E□Iから懐かしのアニメソング集(正式商品名は忘れた)の第1集が発売され、とうとうこのCDに初収録されたのである。このときのうれしさは今でも忘れられないものであり、東芝E□Iに大感謝したものであった。

 さて、このくだんのCDでは東芝E□Iに大感謝の巻であったが、鉄人に関しては、逆に落胆させられたCDも東芝E□Iから出ており、1勝1敗というところか。それは、「懐かしのアニメミュージッククリップ」という企画モノCDで、毎巻、1作品に絞って、現存する音源を元にした歌とBGM集とする企画であった。確か、40作品を超える作品をリリースしたはずだが、「鉄人28号」(クリップ集 第?巻)の発売が決まってからは、「とうとう、鉄人28号のサウンドトラックを堪能できる!」と期待に夢を膨らませ、指折り数えて発売日を待った。もう、発売日前日には、「ひょっとして、入荷してるかも」と淡い期待を持ってCD屋を訪ねるほどの根性の入れようだ。

 さあ、発売日当日、10時開店のCD屋に10分前に着き、開店を心待ちにし(待っているのは私一人。店員が、逆に、今日何かあったっけ?というような顔をしていたのが印象的)、開店と同時に店内突入。予約してあったので血相変えてカウンターで「鉄人28号のCD、今日発売のやつ!」って言って買って、あわてて家路を急ぐ。昔、中学の頃、ビニ本を買って、人目があるのでそこでは開けず、あわてて家に帰って、自室であのビニールを破る、荘厳な瞬間と似たものを感じたのであった。

 そうして、CDをプレーヤーにかけて、愕然としてしまったのである。「BGM」と言っていながら
なんと、それは、テレビの音源そのままでセリフや効果音も入っている「おちょくっとんのか?」という内容のCDだったのである。CDのジャケットには、古い音源のため、そうしたというような記述があったかもしれないが、マジ、愕然とした。「無いものは無い」と言われる以上、無理なものは無理なので、あきらめる他はないが、本当に、この世に現存してはいないのだろうか?

 ちなみに、時は流れて、1998年にテレビ東京系列で「彼氏彼女の事情」という現代アニメが放映された(半年ぐらいやっていた)。この中で、ナント、あの「正太郎マーチ」が新録音バージョンで採用され、「鉄人28号」同様に、前回までのあらすじ紹介シーンで多用されたので。通例、こういった「新録音バージョン」とかいうヤツって、昨今のアーティストが変にイジって、オリジナルを知っている者にとって耐え難いアレンジがなされてしまうことが多々あるが、この「彼氏彼女の事情」では、オリジナルの雰囲気を最大限に尊重し、しかし、なんかイマっぽい音源といったおももちで、大納得の一曲である。

 従って、こういった技術があるのだから、「鉄人28号」のサントラ盤も、新録音バージョンでも構わないので、なんとか商品化を実現して欲しいと切に願う限りである。尚、余談であるが、私が、この新録音バージョンの存在を知ったのは偶然であった。何の番組かは覚えてはいないいが、何か、バラエティ番組の中のコーナーで、運動会の競技っぽいゲームを出演者がやっているところに、景気づけで、この正太郎マーチの新録音バージョンが流れたのだ。あまりにも意外であったので、「何か、聞いたことのあるような音楽??」としか最初思えなかった。それから、「新録音なんて、そんなにたやすくできるもんじゃない」「どこかにこの音楽を使っているテレビ番組があるはず」と信じて、懸命に探して、ようやく「彼氏彼女の事情」に到達した(当時は、まだ、ネットが今ほどに生活に浸透
していなかった。今のようにネットを自在に使える環境があれば、もっと早くに到達しただろう)。

「鉄人28号の音楽」について書き出したら、なんとも、とまらなくなったので、一度、ここで中締めしておく。

さて、鉄人の白黒版アニメは、Wikipediaの情報によると1963年10月20日に放映開始と書いてある(ちなみに、よく鉄人と比較される鉄腕アトムは、この年の1月1日から放送されていた)。従って、おそらく、私がアニメの鉄人に触れたのも「少年」と同時期であるとすれば、放映開始から約1年半後ということになる。鉄人の1stシーズンは全83話(Wikipediaには全84話とあるが間違いである)であるから、ほとんど、最期の方でテレビに触れたようだ(自称、長年にわたる鉄人ファンであるが、ここらへんが上手く押さえられていないのは意外に情けない)。にもかかわらず、初期エピソードのバッカスやオックスやPX団とかを知っているのは、当時、再放送がテレビでしょっちゅう放映されていたからであろう。典型的なのは、夏休みマンガ大会とか冬休みマンガ劇場みたいな感じで、夏休みとかの平日朝9時から11時ぐらいまでしょっちゅう当時のアニメが再放送されていた、夢のような時代だ。現代は、ビデオが普及し、また、CS放送なども全盛なので、民放でこういった企画は、いつのまにか無くなった(少なくとも、息子がガキだったころまでは、ドラゴンボールなんかも、同じノリでやっていたけどね)。案の定、現在、夏休み中だが、やはり、「夏休みマンガ大会」みたいな企画はなさそうだ。

 ちなみに、白黒アニメ版の鉄人は、1stシーズン終了3ヶ月後に、新エピソード13話が製作され、「新・鉄人28号」として放映開始された(但し、番組中で「新」と表記があった記憶はない)。2ndシーズンは、これまた不可思議な放映の仕方だった(ようである)。1stシーズン最終話で鉄人のリモコンは金庫に封印されて終わるが、このリモコンがなくなる(実際には、なくなったのではなく、敷島博士が鉄人をパワーアップさせるために正太郎に内緒で、自分の工場に移送していただけという設定だが)というところから2ndシーズンは始まる。そして、テレビ版限定の敵キャラロボット「宇宙ロボット マグナX編」が展開される。さて、こうして13話が放映されたあとは、1stシーズンの第28話のハッスルゴーギャンのエピソードから再放送的に放映されていき、1stシーズン最終話の83話まで放映して完全な最終回を迎えた(ようである)。文中、「・・・ようである」的な記述は、要は、大人になってから知った事実で、当然、当時ガキだった私にとって、単に、エンドレスに続く鉄人バンザイだったわけである。ビデオなんて無かったし、こんな放送の仕方で、ガキ達は十分過ぎるくらいに満足したのであった。

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