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書く壇塔
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最近の靖国報道には腹が立つことばかりだ。 案外、原因は日本人自身が日本人の精神活動の根幹に神道がある事に気づかないことにあるのかもしれない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82
荒魂・和魂 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にぎたま、にぎみたま)とは、神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面のことである。 荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の「たたり」は荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。 荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられていることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。 和魂はさらに幸魂(さちたま、さちみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられる。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きである。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。 荒魂・和魂・幸魂・奇魂を総称して四魂(しこん)という。 「荒魂を和魂に変えるため」という表現は間違っているような気もするが、死者の霊に対して手を合わせ、荒魂を鎮め、和魂による幸を期待して祈るという神道の姿は、古代からの現代まで受け継がれた日本人の精神活動である。この古代から受け継がれた精神活動に日本人の多くが気づいていないと思う。 日本は仏教を取り入れたが、神道の精神は厳然と生きている。盆は仏教行事だが、信仰としては神道の色彩が極めて濃い。日本の盆には盆迎え盆送りという先祖の霊を送迎する儀式があるが、仏教にはそもそもそのような思想は無い。これは明らかに神道の御魂祭りに由来している。盆踊りも先祖の御魂の前で霊を慰め、子孫に災いが無く、平和であることを祈って踊ったものだ。荒魂を鎮め、和魂による幸を期待して祈る姿である。 靖国参拝も同じである。心ならずも命を失った霊を慰め、日本の平和を祈るのだ。これも、荒魂を鎮め、和魂による幸を期待して祈る姿である。日本の平和を祈るとき、靖国以上に相応しい場所があるのだろうか?魂の無い国立の追悼施設を作ってなんになるのか?靖国参拝をしないことが良いことなのか、良く考えて欲しい。 |
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横須賀には東郷元帥乗艦の戦艦「三笠」が記念艦として保存されております。 |

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宮崎正弘氏の紀行文
http://www.melma.com/mag/06/m00045206/a00000229.html チベット紀行(その2) パンチェン・ラマの写真が方々に掲げられ、次の「支配構造」を暗示している ついに巡礼回路(八郭街)からもダライラマの肖像画、写真が消えていた ************************************* (5)ポタラ宮殿は壮麗で神々しい。 写真でイメージしてきた観光地点としての印象より遙かに壮大かつ狷介孤高として聳える。 (6)外国人観光客は正面玄関からではなく後方の門からクルマごと後宮の丘を登り、いきなり裏口から入るシステムになっている。 バター油臭いに宮殿内に一歩足を踏み込むとそこは立錐の余地のないほど外人観光客でぎっしりなのだ。 朝一番で入場したはずなのに、この数百数千の外国人は一体どこに泊まっているのか、と思う。 (7)なかには韓国人、台湾人の団体も目立つ(これら両国の物見高い団体ツアーは、中国の奥地の何処へ行っても出くわす。言葉と仕草で直ぐに分かるが、最近の日本人ツアーは実におとなしく、行儀が良い) 宮殿の中では英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、そして日本語が飛び交うが、ここに中国語のガイドの大声が被(かぶ)さる。 (8)いまや中国国内の観光団がイナゴの大群となってラサに押し寄せているが、彼らの夥しさと喧しさは形容しがたい。台湾も韓国も真っ青で、まさに「中国的」風景である。 さてポタラ宮には千の部屋があると言うが、どこにもダライラマの写真がない。所々に先年、なくなったパンチェン・ラマ十世の写真のみが、さりげなく飾られている。 (9)97年頃からダライラマの写真、肖像は一切禁止命令が出たからだ。 □次期総書記はチベット弾圧の張本人だ こうした冷血なチベット支配政策の中心に胡錦濤・次期総書記がいる。 胡錦濤は安徽省の生まれで、精華大学卒業組である。かれは「革命元勲」から第四世代に属し、悪く言えば「顔のない、薄っぺらな印象」しかない。 この胡錦濤には多くの知られざる暗い顔がある。 1988年当時、胡はチベット書記の任にあった。おりから勃発したチベット暴動を武力弾圧した張本人なのだ。 チベットの聖都「ラサ」はチベット語で「神の地」という意味。この「聖域」を中国は軍事力を投入して踏みにじった。 中国がチベットになした悪の業績は、血生臭い惨事、極悪非道という以外、言葉がでてこないほどの凄まじき殺戮、弾圧、宗教破壊だった。 歴史的経緯は省略するとして、新生中国が「改めて」チベットを軍事侵略したのは1951年、多くの仏教徒を虐殺し、ラマ教の由緒ある寺院を破壊し尽くした。 1959年、ダライ・ラマはインドへ亡命し、臨時政府を樹立した。中国は居残ったパンチョン・ラマに対抗心を煽り、北京に都合のいいように政治利用し、なんとしてもダライ・ラマ十四世の精神的影響力を排除しようと躍起になった。 北京幽閉のかたちのパンチェンラマに配偶者を押しつけ、聖と俗を混合させたり、晩年、彼が神経的にも衰弱をはやめた。 1987年から、ラサにチベット民衆の蜂起が断続的に起こり、89年には戒厳令が敷かれた。 そのときの弾圧の責任者は胡錦濤だった。 (以下略 リンク先原文をご参照ください) 1988年当時と2002年の違い (5)ポタラ宮殿は本当に美しいです。ラサってほとんど一年中快晴で、しかも空気が薄いので余計に空が青く感じます。その美しい青空に白亜のポタラ宮がそびえてます。 (6)1988年当時は記憶では正面から入れましたよ。確か正面側から階段を上って行き入っていきました。空気が薄いので慣れないとキツイ。 (7)旅行したのは1988年の春ですが、当時は韓国人は海外旅行が解禁されてなかったので全くいません(よくよく思い出すとこの当時、中韓に国交が無い)。中国人旅行者もほとんどいなかったような気がする。大半は欧米と日本人。 (8)中国人はとにかく五月蝿い。本当に五月蝿い。バスの中でも大音量でラジオを鳴らして平気な面をしている。声もでかい。周りのことなんて考えない。ゴミも平気で辺り構わずポイポイ捨てる。1988年当時と変わり無し。 (9)1988年当時は街のいたるところでダライラマの写真やバッジなどが売られてました。 日本の仏教で修行が一番厳しいのは永平寺だろうか。チベット全体が永平寺だと思えばある程度は想像できると思う。この気高いチベット世界をぶち壊した中国政府は断じて許せない。許してはいけない。
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