| 今どき、電車の中で文庫本を開いている若い人を見かけることはほとんどない。携帯小説なんていうものがあるから、それを読むのかと思うと、どうもゲームに興じている人の方が多いようだ。しかしながら、今もし私が学生であっても同じように携帯で遊ぶだろうから、こんな様子を年寄り臭く嘆く気はさらさらない。半面、かつて親しんだ夏目漱石とか森鴎外などの世界が遠い昔に感じられるのが、なんとも寂しい気がするのである。 これでも学生時代、マンガばかり読んでいたわけではない。友達の中には本物の文学少年みたいなのがいて、これにはとても敵わなかったが、純文学や時代小説、SFやドキュメンタリーまでよく読んだものだ。一応、本の虫もどきだったように思う。 |
| 青空文庫というサイトがある。ここで、没後50年経って著作権が切れた作家の作品がダウンロードできる。先日、「草枕」とか「二百十日」といった漱石の作品を読んで懐かしい思いが込み上げてきた。そして、あることに思い当たるのである。 このブログのお得意さんの一人に、youさんという方がいる。youさんが最初に見えた時に、「緩やかに流れるようでいてコアな文体」とか「情景が浮かんで自分がそこにいるように感じる文」などと、かなり恐縮してしまうお褒めの言葉を頂戴した。正直、これは買い被っておられるとしか言いようがないのだけれども、もしそんな雰囲気が少しでもあるとすれば、学生時代の読書の影響を強く感じるのである。 |
| 漱石の「文鳥」なんて短編を読むと、これは自分の文体のルーツだなって思わずにいられない。決して真似をしようなどと大それたことを考えたわけではないが、間違いなく影響を受けている。いや、思えば、お年寄りがみなさん筆達者なのは、同じようにたくさんの文学に親しみ、自然に文の書き方を覚えていったからなのだろう。私なども、そういう作文術を身につけた世代に入るのかもしれない。なんて言うと、ひどく爺臭い物言いになってしまうけれども。 実は、自ら真似をしようと手本にした作家がいる。意外に感じられると思うが、それは幸田文という女流作家である。幸田文は明治の大文豪幸田露伴の次女。「おとうと」とか「流れる」などの代表作がある。物語ははっきり言ってそれほど面白くはない。しかし、私にはこの人の文章が、それこそ「緩やかに流れるようでいてコアな文体」で、「情景が浮かんで自分がそこにいるように」感じられたのである。 没後に発表された「木」とか「台所のおと」など、すらすらと全く抵抗なく読めてしまう。軽さ、けれん・・・ではない不思議な魅力がある。結局、真似できなかったし、幸田文以外の作家にも影響を受けて、今ではまるで違う文体になってしまっているが、いつも意識していた人だった。 もう一人、私の作文にとって重要な人がいる。数多くのドキュメンタリーを書いておられる、本多勝一というジャーナリストである。若い頃の北海道の話や未開人との接触をルポルタージュした作品がとても面白いが、南京事件などへの言及で、右寄りの人たちからかなり激しい攻撃を受ける人である。しかし、過激な左翼主義者なのかというとそうでもない。論理的に過ぎるところが、最終的に相手を怒らせてしまうのだ。それが本多勝一の大きな魅力なのだけれども。 この人が「日本語の作文技術」という本を書いている。表題通りのごく常識的なことがまとめてあるだけなのだが、この本からのかなりの影響を否定することができない。言語が何をもって情緒的か論理的かを区別することは難しい。しかし、用法によって文章の意味するところが矛盾してしまう例をいくつも挙げて、日本語の論理性について重要な示唆が記されている。正しく趣旨が伝わらなければ正しい理解が得られないという、当たり前でなかなか容易でない話をしているのである。 さて、私が書いている文章は、紛れもなく私のオリジナルである。しかし、その背景にいるのは、夏目漱石と幸田文と本多勝一。このなんの関係もない3人の文筆家が私という一人の人間の中でブレンドされ、さらにその他の多くの人々の影響がスパイスとなって出来上がっているのが、私の文章のスタイルであると、そう言えるのかもしれない。 youさんには、私の文体について語るという宿題を預かったまま、ずっと放ったらかしだった。とりあえず、こんな答でよろしいだろうか。 (つづく) |
(2009/02/06)
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文体。考えたこともありませんでした。そう言えば読書ってしなくなりました。子供に影響されたりして年間10冊読むかどうか。情けないですね。難しいことはわかりませんが、私には、面白刈りの文体は読みやすくて(わかりやすくて)ありがたいです。
私も、ちょっと研究して自分なりの文体に出会ってみたいです。
2009/2/6(金) 午後 10:52
いつも楽しみに拝見させて頂いてます。
youさんの「緩やかに流れるようでいてコアな文体」とは、面白狩りさんの文章をみごとに表現していると、私も思います。
「文章の貴賓さ」
一日中、大量の情報と向き合うため、ほとんどの活字は読み散らかす癖がついてます。斜め読みです。
面白狩りさんのブログは、斜め読みが似合いません。アクセルを少しゆるめた時間帯に読ましていただいてます。すると「ストン」と頭に入ってきます。
自分の文体は、話し言葉の延長にしているので、「賓」とは無縁です。
2009/2/7(土) 午前 7:02
[CANDYさん]
いいえ、文体なんて普通は考えないものだと思いますよ。
この記事もyouさんのコメントがなかったら書くことはなかったと思います。
でも、自分にもこんな文章が書けたら良いなあと思うことがあって、それを真似するうちに自分の文体が出来ていったことを思えば、読書って本当に大切だなと思います。
2009/2/7(土) 午前 10:03
[dauchanさん]
ごめんなさい。最初に謝っておきます。
日本語にこだわるのがコンセプトなので、見過ごせないミスは指摘させてください。
「貴賓」は身分の高い客のこと。恐らく「気品」と勘違いされたのだろうと思います。
と、公然と指摘されると気分悪いですよね(もう来なくなっちゃうかも?)
実は、次回この件に関連した話を書こうと思っていました。
つまり、簡単なメモでも正しく書かないと相手に伝わらないことがある。
ネット投稿のように投稿後の修正がきかないと、文章には一層神経質にならざるを得ない。
そんな気にしていたら、ブログなんてやってられない。
だから、コメントも当り障りのない誉め言葉ばかり。それでお互い安心している。
それがどうも気になるんです。もちろん炎上は困りますが。
でも、dauchanさんのお話で納得がいったことがあります。
つまり、このブログはスピードがノロいんですね。だから、通りすがりのお客さんばかり。なるほどと思いました。
でも、スタイルを変えるつもりはありませんので、ご安心下さい。
コメント有難うございました!
2009/2/7(土) 午前 11:31
個人的な意見で申し訳ありませんが・・・
ブログによってはその時その時をリアルタイムで残している方、
じっくり自分の思いを残している方さまざまのようです。
読み手の方も、一瞬共感できるところがある、考えさせられるところがある、などと読み分けていらっしゃると思います。
正直、面白狩りさんのところは読んでサッと理解できるような内容ではありません(私にとってはですよ)でも、だから興味を持ちました。他人の文章を一方通行で受け取っているばかりではなくこちらからも発信できるし、面白狩りさんはちゃんと答えてくれる。
わがままのようですが、わからないことはわからないって伝えてもちゃんと教えてもらえそうな・・・(笑)
とにかく安心感のあるブログだなぁって思っています。
スタイルはぜひこのままでお願いしたいです。
2009/2/7(土) 午後 2:37
ご指摘ありがとうございます。
そうですね、気品ですね。
こちらこそ申し訳ありません。
めげずに、また参りますのでお許しを。
2009/2/7(土) 午後 3:22
[CANDYさん]
「安心感のあるブログ」っていうのはとぉっても嬉しい感想です♪
ブログというのは、色々なスタイル、様々なコンセプトがあるのが当然と思っています。ホームページは一方通行で電子化された書物という感じですが、ブログは面と向かって話をする形に近い。書き手・読み手双方の個性が、もろに出て来るんですね。
私など、友人から根は良いんだが取っ付きにくい奴だと言われます。ときどきサッと理解できないようなことを口走るらしいんですよ。まさにCANDYさんの仰るとおりなんです(笑)。
2009/2/7(土) 午後 4:59
[dauhanさん]
いいえ、本当にどうも失礼しました。
似たようなミスは、私にもありますから気にしないで下さい。
入力後の漢字変換で、正しくないのに勘違いしちゃうんですね。肉筆でものを書かなくなった影響だと思います。
私の記事にも変なところがあったら、遠慮なく指摘してください。
2009/2/7(土) 午後 5:14
記事にして下さってありがとうございます。実は30分もかけて書いたコメントが、キー操作を間違えたため…消えてしまいました。
気を取り直し…後日あらためて伺います。
2009/4/16(木) 午後 11:45 [ You ]
ご愁傷さまでした。
さーっと血の気が失せてしまう感じになりますよね。私も同じ経験があります。
コメント楽しみにしております。
2009/4/17(金) 午前 6:06