こんにちは、ゲストさん
ログイン
Yahoo! JAPAN
すべての機能をご利用いただくためには、JavaScriptの設定を有効にしてください。設定方法は、ヘルプをご覧ください。
[ リスト ]
涙がとまりません。 なくなってしまった幼子もですが、キリッと口を結んだ男の子の心を思うと… なぜこんな目にあわせるようなことになったのか。 私たちは今、平和という言葉の中に生きています。 それがどれだけありがたいことなのかを考えるべき日が今日のような気がします。 高齢の祖父がおりますので戦争の話もたくさん聞きました。 在職中はたくさんの高齢者と接したのでいろいろなお話を伺いました。 シベリア抑留兵だった方からも当時のお辛い話もきくことができました。 日本男児たるもの…が口癖だった九州男児の方、「何があっても戦争はいかん。人を手にかけてはいかん。」と、遠くを見ながら話してくださいました。 空襲の中 命からがら逃げた話、中国に置き去りにされ残留孤児となってからの話… 新聞の紙上やテレビの中で語られる話が現実にありました。 みなさん同じように口にすることはもう2度と戦争は起こしてはいけないということでした。 たくさんの方の思いを受け、私も戦争はしない・させないということを子供たちに伝えていきたいと思っています。
2009/8/15(土) 午前 10:50
昨夜テレビで『火垂るの墓』を観ました。 泣いてはいけないと懸命に耐えていた少年の姿が、この写真と重なりました。 『はだしのゲン』が英語に翻訳されたそうですね。英語圏、特にアメリカには、まだ原爆投下について偏った見方をしている人が少なくないようです。多くの人が戦争について考え、語り合う大切さを若者も認識し、面白狩りさんのおっしゃるように、「戦争は二度としない」という大前提のもとでそのように行ってほしいですね わたしもラグジュアリーな空間は大好きです。人には笑いと快楽も必要だと思っています。でも、近頃のテレビ番組や雑誌のメッセージは、ただただ“日本人がバカになってゆく”ように思えるのです。
2009/8/15(土) 午後 4:11 [ You ]
CANDYさん、コメント有難うございます。 例えば、健康の有難さは病気になって初めてしみじみ感じます。でも、それが不治の病ならいくらしみじみ思っても手遅れなのですから、やはり常に気を付けて健康を維持しなければなりません。一方、普通の心理なら自ら望んで病気になろうとはしません。 病気を戦争、健康を平和と置き換えれば、同じことのように感じます。 ただ、病気は治すために援助してくれる医者がいる。しかし、戦争を治すための医者はいません。やはり一人ひとりが平和の努力をするしかないと思うんですね。 実際の体験者から戦争の話を聞くのは、それが本物の話ですからいやでも引き込まれます。しかし、それを記事にすると、どうしても難しくて悲しくやるせないものになってしまう。 仕方がないと言えばその通りなのですが、そのままでは子供たちに食べてもらえません。せっかくお年寄りから貴重な体験を語っていただいているのに、その多くが埋もれてしまう焦りを感じます。 そのようなものを易しく興味深くするにはどう調理するか。そのことがいつも気にかかります。
2009/8/16(日) 午前 6:32
youさん、コメント有難うございます。 「火垂るの墓」の野坂昭如さん、「はだしのゲン」の中沢啓治さんのように実際に戦争を体験し、自らそれを表現されている作品には鬼気迫るものを感じます。こうの史代さんの「夕凪の街」も素晴らしい作品だと思います。こうした作品を広く伝えるために映画化や外国語訳を進める方々は、素晴らしい仕事をなさっているなあと頭が下がります。 しかし、このような作品でも、ハナから拒否する子供たちがいるのが現実です。それは、子供たちのせいではなく、大人の側に問題があるのではないかと思うんですね。 結局、古臭い戦争ものでは金儲けにならない、ナンセンスなギャグと青春恋愛ものの方が受けるという、それだけの論理のように思います。
2009/8/16(日) 午前 7:25
追記です。 ガキの頃は、まだ人々の戦争の記憶も新しく、戦争など早く忘れたいという時代でした。それでも、その頃に読んだ「紫電改のタカ」とか「0戦はやと」、あるいはもっと古い「のらくろ」などは面白かった。そこに反戦のメッセージはあまり感じられなかったけれど、少なくとも戦争というシチュエーションを理解するのには役立ちました。 入り口はそういうものでも良いのかなとも思うのですが、やっぱり金にならなければダメなんでしょうね、今は。
2009/8/16(日) 午前 7:27
すべて表示
小川菜摘
ルート33 堂土
シルク
[PR]お得情報
その他のキャンペーン
涙がとまりません。
なくなってしまった幼子もですが、キリッと口を結んだ男の子の心を思うと…
なぜこんな目にあわせるようなことになったのか。
私たちは今、平和という言葉の中に生きています。
それがどれだけありがたいことなのかを考えるべき日が今日のような気がします。
高齢の祖父がおりますので戦争の話もたくさん聞きました。
在職中はたくさんの高齢者と接したのでいろいろなお話を伺いました。
シベリア抑留兵だった方からも当時のお辛い話もきくことができました。
日本男児たるもの…が口癖だった九州男児の方、「何があっても戦争はいかん。人を手にかけてはいかん。」と、遠くを見ながら話してくださいました。
空襲の中 命からがら逃げた話、中国に置き去りにされ残留孤児となってからの話…
新聞の紙上やテレビの中で語られる話が現実にありました。
みなさん同じように口にすることはもう2度と戦争は起こしてはいけないということでした。
たくさんの方の思いを受け、私も戦争はしない・させないということを子供たちに伝えていきたいと思っています。
2009/8/15(土) 午前 10:50
昨夜テレビで『火垂るの墓』を観ました。
泣いてはいけないと懸命に耐えていた少年の姿が、この写真と重なりました。
『はだしのゲン』が英語に翻訳されたそうですね。英語圏、特にアメリカには、まだ原爆投下について偏った見方をしている人が少なくないようです。多くの人が戦争について考え、語り合う大切さを若者も認識し、面白狩りさんのおっしゃるように、「戦争は二度としない」という大前提のもとでそのように行ってほしいですね
わたしもラグジュアリーな空間は大好きです。人には笑いと快楽も必要だと思っています。でも、近頃のテレビ番組や雑誌のメッセージは、ただただ“日本人がバカになってゆく”ように思えるのです。
2009/8/15(土) 午後 4:11 [ You ]
CANDYさん、コメント有難うございます。
例えば、健康の有難さは病気になって初めてしみじみ感じます。でも、それが不治の病ならいくらしみじみ思っても手遅れなのですから、やはり常に気を付けて健康を維持しなければなりません。一方、普通の心理なら自ら望んで病気になろうとはしません。
病気を戦争、健康を平和と置き換えれば、同じことのように感じます。
ただ、病気は治すために援助してくれる医者がいる。しかし、戦争を治すための医者はいません。やはり一人ひとりが平和の努力をするしかないと思うんですね。
実際の体験者から戦争の話を聞くのは、それが本物の話ですからいやでも引き込まれます。しかし、それを記事にすると、どうしても難しくて悲しくやるせないものになってしまう。
仕方がないと言えばその通りなのですが、そのままでは子供たちに食べてもらえません。せっかくお年寄りから貴重な体験を語っていただいているのに、その多くが埋もれてしまう焦りを感じます。
そのようなものを易しく興味深くするにはどう調理するか。そのことがいつも気にかかります。
2009/8/16(日) 午前 6:32
youさん、コメント有難うございます。
「火垂るの墓」の野坂昭如さん、「はだしのゲン」の中沢啓治さんのように実際に戦争を体験し、自らそれを表現されている作品には鬼気迫るものを感じます。こうの史代さんの「夕凪の街」も素晴らしい作品だと思います。こうした作品を広く伝えるために映画化や外国語訳を進める方々は、素晴らしい仕事をなさっているなあと頭が下がります。
しかし、このような作品でも、ハナから拒否する子供たちがいるのが現実です。それは、子供たちのせいではなく、大人の側に問題があるのではないかと思うんですね。
結局、古臭い戦争ものでは金儲けにならない、ナンセンスなギャグと青春恋愛ものの方が受けるという、それだけの論理のように思います。
2009/8/16(日) 午前 7:25
追記です。
ガキの頃は、まだ人々の戦争の記憶も新しく、戦争など早く忘れたいという時代でした。それでも、その頃に読んだ「紫電改のタカ」とか「0戦はやと」、あるいはもっと古い「のらくろ」などは面白かった。そこに反戦のメッセージはあまり感じられなかったけれど、少なくとも戦争というシチュエーションを理解するのには役立ちました。
入り口はそういうものでも良いのかなとも思うのですが、やっぱり金にならなければダメなんでしょうね、今は。
2009/8/16(日) 午前 7:27